スランプの名残り
例によってまたまた音楽之友社刊行の「作曲家別名曲解説ライブラリー」第7巻ブラームスの話だ。クラリネット三重奏曲に言及する261ページの出来事である。クラリネット三重奏曲を指して、唖然とするような解説を提示する。同曲が現代ではあまり演奏されない理由として下記のような記述を展開している。
それは、聴いて人をそれに没頭させるというよりは、むしろ一種の倦怠感をもよおさせることにもよるし、主題の取り扱いが他の曲のようには魅惑的でないことにもよるだろう。とにかく創作力減退のスランプは、この曲の頃までには完全には回復していなかったようである。
あんまりな言われ方だ。何があんまリか順を追って列挙する。
- 「聴いて人をそれに没頭させるというよりは、むしろ一種の倦怠感をもよおさせることにもよる」とあるが何が言いたいのか。筆者がこう感じるのは自由だが、初心者を含む広い読者層を前に、わざわざこう告げる必要があるのか疑問だ。
- 「倦怠感をもよおす」とは言いがかりもいいところだ。
- 「主題の取り扱いが他の曲のように魅惑的ではない」のうちの「他の曲」ってどの曲だろう。いったいどこがどう魅惑的ではないのだろう。これに続く解説文の中では一切説明が無い。思い切った断定の割には根拠への言及がない。
- 弦楽五重奏曲第2番完成後の創作意欲の減退のことを指す「スランプ」だと思うが、恣意的だ。それでいて続く262ページの中ほどで、「スランプから完全に抜け出してはいないものの、ブラームスの優れた腕を見せ付けられた気がする」と持ち上げている。見苦しい。
残念ながらピアノ四重奏曲第2番、ピアノ三重奏曲第2番と並んであんまりな言われ方の三本柱を形成してしまっている。少なくとも作品解説は、読後に「聴いてみたい」と思わせる余韻が残る方がいいに決まっている。つまらぬ作品だと思うなら、名曲解説本に収載しなければいい。名曲認定しなければいいのだ。
構うことは無い。有名作曲家による作品でも、同シリーズに取り上げられていない室内楽作品は山ほどある。出版されておおやけになった室内楽24曲全てが名曲扱いされているブラームスはむしろ例外だ。
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