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カテゴリー「310 ワーグナー」の25件の記事

2017年10月12日 (木)

ノーサイド

試合終了のことだ。ラグビー特有の言い方である。試合中にはいろいろあったけれども、試合が終わってしまえば敵も味方もないという精神を一言で言い表している。試合の終了を表す言葉は「ゲームセット」「タイムアップ」というスポーツが多い中ラグビーの言い回しはひときわ目立つ。

ラグビーは、球技の中では際だって身体の接触が多い。ルール通りに振る舞っていても、相手選手との身体のぶつかり合いは必須である。ラグビーにおけるディフェンスとはすなわち攻撃側のボールキャリアへのタックルが主体となる。ルール通りとは言いながらタックルされれば「痛い」のだ。その「痛い」が相手への遺恨となっては困る。次回の対戦が遺恨試合になるのは好ましくないのだ。

だからこそ試合終了の度に「ノーサイド」を確認するのだ。戦いが終われば敵も味方もないと。

古来、ライバルの死を悼む話は美談として多く伝えられる。三国志の英雄・曹操は、戦死した敵将・関羽の遺体を諸侯に準ずる儀礼を持って葬った。上杉謙信は、武田信玄の訃報に接して、箸を捨てて落涙したという。いわばノーサイドだ。

ブラームスは、ブルックナーやワーグナーの訃報に接し、哀悼の意を表したことが伝えられている。欧州の楽壇を2分した論争相手だ。論争を煽ったのは周囲の取り巻きで、本人たちの反目はそれほどでもなかったというが、最年少のブラームスが2人を送る立場になったのは幸いだ。逆だったら怪しいと思う。

2014年8月23日 (土)

ラインゴルト

さまよえるオランダ人」で思い出した話。「Rheingold」と綴る。「ラインの黄金」という意味。ワーグナーの楽劇のタイトルと一致する。ライン川の底に沈められた黄金にまつわる伝説に由来する国際特急列車の名前だ。

営業開始は1928年5月15日だから、ブラームスには直接関係がないものの、ドイツの鉄道ネタとしては避けて通れぬ話。時代によって変遷するがほぼ、アムステルダムとバーゼルを結ぶと考えてよい。

激動の時代を走りぬけ1987年まで存続していた。

2014年8月22日 (金)

さまよえるオランダ人

名高いワーグナーのオペラのタイトル。ドイツ語では「Der Fliegende Hollander」綴る。英語では「Flying Dutchman」だ。元々は喜望峰がらみの幽霊船の話だったがワーグナーがそれを題材にとった。記事「空飛ぶハンブルク人」で取り上げたベルリン-ハンブルク間の特急列車の名前「Der Fliegender Hamburger」が、この話に由来するのは明らかだ。さすがにこれを「さまよえるハンブルク人」と訳すのは気がひけただけだ。

それにしても幽霊船にまつわる名前を列車名に採用するとは大胆な話であると、早合点してはいけない。1851年英国グレートウエスタン鉄道に登場した特急は、長らく世界最速の列車の座に君臨していた。もちろん蒸気機関車が牽引するのだが、何と300kmの距離を平均時速85kmで駆け抜けていた。その列車の名前が「Flying Dutchman」だった。しかしながら当時英国で無敵を誇った競走馬の名前という説もある。

つまりドイツの空飛ぶハンブルク人は、世界最速の列車を運行するにあたり、過去の世界最速の列車名の中の「ダッチマン」の部分を「ハンブルク人」に差し替えたものだ。幽霊船にちなんだのではなかった。むしろ並々ならぬ決意の表明であった。

和訳には注意が要る。幽霊船なら「さまよえる」で結構だが、列車名としては「空飛ぶ」あたりに落ち着かざるを得まい。

2014年4月20日 (日)

もう一人のワーグナー

断り無くワーグナーと言えば、作曲家のリヒャルト・ワーグナーを思い浮かべる人が多いだろう。ところが蒸気機関車の業界にとっては、別のワーグナーがいる。

リヒャルト・フェリクス・パウル・ワーグナー(1882-1853)はドイツの鉄道技術者。とりわけ蒸気機関車の技術面では追随を許さぬ存在。1923年から19年間、鉄道局蒸気機関車部門の長の座にあった。技術面での功績は数知れない。

蒸気機関車の先頭を思い浮かべて欲しい。ボイラーの先端、煙突のあるあたりの両端に、板が立っている。除煙板という部品で、機関車先頭付近の気流を制御することで、煙の流れを整え、運転席前方の視界を確保する機能がある。これを考案したのがワーグナーその人で、ワーグナー式除煙板として知られている。日本の蒸気機関l車にも普通に取り付けられている。

37代引退公演・第21回スペシャルコンサートまであと21日。→こちら

2013年12月13日 (金)

ビール恋しや

ワーグナーの伝記を読んでいると「パリ時代」と呼ばれる時期がある。1839年9月から約2年半だ。自作を上演したいとの夢を持ってパリに進出したが、なかなか話が進まず、友人に愚痴をこぼしている。

匿名で執筆したあるエッセイで、フランスのよくない点を列挙した後、「それに引き換え」というニュアンスで、ドイツの長所に言及する。「情緒がある」「ジャン・パウルがいる」「哲学やシュトラウスのワルツの話題で盛り上がる」など、ほとんど言いがかりにも見える中に、「バイエルンのビールがある」と言っている。

これがなかなか象徴的だ。フランス生活の中でドイツ恋しいの気持ちがエスカレートし、思い出すのがバイエルンのビールだということだ。バイエルン王ルートヴィヒ2世との交流に加え、聖地バイロイトがバイエルン州にあることから、ワーグナーといえばとかくバイエルンのイメージが強いが、このパリ時代はまだバイエルンとの絆は生じていなかった。それでいてなお「バイエルンのビール」と言っているところがポインドだ。

ビールといえばバイエルンなのだ。

2012年6月28日 (木)

後援券

ドイツ帝国成立後、急ピッチで造営が進んだバイロイト祝祭劇場だが、例によって毎度お決まりの資金難に直面する。ルートヴィヒ2世からの巨額融資をもってしても埋まらぬ呆れた資金難に対してワーグナーは金策に走る。

それが本日話題の後援券。1枚900マルクおよそ45万円の券を1000枚売りに出した。案の定半分しか売れずに焦ったワーグナーは、買ってくれそうな人々に趣意書を送る。これを購入することでのメリットが不明なのでなんともいえないが、半分売れただけでも御の字だと思うがいかがだろう。ワーグナーが趣意書を送った人の中に、鉄血宰相ビスマルクがいた。一旦ドイツ帝国が成立してしまえば、ワーグナーなんぞに用はないビスマルクは当然これを無視する。

現代ドイツでバイロイトが稼ぐ外貨を考えると、高いのか安いのか判らなくなってくる。

2012年6月27日 (水)

バイロイト音楽祭

ワーグナー楽劇を演目として毎年夏にバイロイトで開かれる。記念すべき第1回は1876年8月13日から開かれた。ハンス・リヒターの指揮で「ニーベルングの指環」全曲が初演された。もはや国家的一大事の様相を呈する。バイエルン王ルートヴィヒ2世、ドイツ帝国皇帝ウイルヘルム1世の他、ブラジル皇帝さえ含む華麗な国賓の他、音楽家ではチャイコフスキー、ブルックナー、リストらが顔をそろえた。

ブラームスは来ない。もちろん招待もされていない。

もう一人来なかった人物がいる。ビスマルクだ。ブラームスと違って招待を受けながらそれに応じなかった。ドイツ統一の前夜、バイエルン王ルートヴィヒ2世への工作のために、人を介してワーグナーに接近を図ったというビスマルクだが、ドイツ帝国が狙い通り成立してしまった後となっては、ワーグナーに用は無いとばかりに欠席をかました。ドイツ帝国成立の際に「皇帝行進曲」を献じた熱狂も、ビスマルクのこの仕打ちにより完全に冷めたと見られている。

さてさて集まったメンバーの華麗さに比して、収支は無惨だったという。15万マルクもの赤字を発生させた。およそ7500万円という赤字額はさすがのスケールだ。ブラームスの交響曲に払われた原稿料に換算して10曲分である。

第一交響曲の初演は同じ年の11月4日だ。

2012年6月26日 (火)

ワーグナー代

ブラームスは王侯貴族の庇護を離れ、作曲だけであるいは一部演奏や教授で飯が食えた最初の作曲家だったとしばしば指摘される。それでいて結構な額の遺産を残したともいう。一方ワーグナーの桁外れの金銭感覚についてはしばしば語られている。豪勢な話を一つ。

ワーグナーを援助したバイエルン王ルートヴィヒ2世が、ワーグナーに与えた金銭的援助の記録がバイエルン王国に残っていた。本日はそれを列挙する。

  1. 1864年 年俸4000グルテン(8000マルク) 5月4日王との謁見時から。
  2. 1864年 20000グルテン(40000マルク) 5月4日時点での借金の肩代わりと引越し代。
  3. 1865年 年俸5000グルテン(10000マルク) ワーグナーの要求により増額。
  4. 1865年 ボーナス30000グルテン。(60000マルク
  5. 1865年 ボーナス40000グルテン。(80000マルク
  6. 1866年 年俸6000グルテン(12000マルク)1882年まで続く。
  7. 1874年 ボーナス216152マルク。ドイツ帝国成立でマルクに変わる。
  8. 1878年 100000マルク バイロイト音楽祭向け融資の名目。

このほか、家賃、家具代、上演費は王室もちだったが金額がわからない。話を判りやすくするためにマルクに換算して上記赤文字の金額を足す。これだけで51万6152マルクだ。こうした単純合計だけではいけない。上記6番の6000グルテンが17年続くので16倍した192000マルクを加えねばならない。

70万8152マルク。現代の円への換算は難しいが1マルクはおよそ500円だから、3億5407万6000円になる。19年間におよそ3億5千万円で1年あたり1864万円。王とワーグナーが会った1864年に値が一致するというスペシャルな奇遇付きである。現代のスポーツ選手の高年俸に慣れてしまった感覚からはさほど高いと感じないのだが、当時としては破格である。参考までに申せばバイエルン王国の国家予算がつかめないのだが、1866年のプロイセンの国家予算は5億マルクだった。普墺戦争後ビスマルクに下賜された功労金が120万マルクだった。

ブラームスの交響曲1曲の原稿料がおよそ750万円だ。

2012年6月24日 (日)

ビスマルクとワーグナー

あくまでもプロイセン主導によるドイツ統一を目指すビスマルクにとって、普墺戦争勝利によって、オーストリアを枠外に置くことに成功した後の課題はバイエルン王国だった。バイエルン王国の協力無しにドイツの統一はあり得ぬとまで思い込む。

普墺戦争開戦前夜、ビスマルクはバイエルンがオーストリア側に付かないようルートヴィヒ2世を説得してくれというメッセージを何とワーグナーに送る。ビスマルクのゲッティンゲン大学時代の学友で、ワーグナーとも懇意にしていたフランソワ・ヴィレに親書を託した。ちょうどワーグナーがルートヴィヒ2世に「天下三分の計」を献策していた時期だ。ルートヴィヒ2世がワーグナーの意見に耳を傾けるという関係を知っての奇策。

ワーグナーはこの要請を拒否する。表向きの理由は「ルートヴィヒは気紛れで自分の言うことなど聞かない」というものだったが、普墺戦争の結果を予見していた節がある。普墺戦争がプロイセンの圧勝に終わった後、バイエルン王国内の親オーストリア派は一掃され、国論がプロイセンとの共闘已む無しに傾くのと平行して、ワーグナーは次第にビスマルクに傾倒して行く。カトリックの牙城であるバイエルンとプロテスタントのプロイセンの連携に走らせたものとは、ただただフランスの脅威だった。

これはフランスの脅威を煽るビスマルクの巧妙な宣伝作戦によるところが多い。

かくして普仏戦争開戦前夜にはミュンヘンで「ワルキューレ」が初演され、戦後のドイツ帝国の発足に当たり、ワーグナーは喜びを隠していない。

2012年6月17日 (日)

天下三分の計

三国志の逸話で名高い。三顧の礼によって軍師に迎えられた諸葛亮が、劉備に説いた策。華北の魏、江南の呉に対抗して劉備は四川に拠ることで、魏呉蜀の3国鼎立状態を志向せよという考え方だ。3国の中でももっとも強大な魏でさえも単独で天下を統一する力は無かったことに乗じて、四川盆地の天然の要害に依存しながら蜀で身を立てよということだ。

1866年普墺戦争前夜のことだ。バイエルン宮廷を追われスイスに逃れた後もなお、バイエルン王ルートヴィヒ2世と交友があったリヒャルト・ワーグナーは作曲と同様、政治的感覚もすぐれていた。バイエルンを奉じてのドイツ統一を夢見ていたワーグナーは、プロイセンとオーストリアの対立を好機と捉えていた。バイエルンは今こそ、毅然たる態度でオーストリアとプロイセンの仲裁役となり、両者と対等の立場を維持しつつドイツ統一の主役になるべきだとルートヴィヒ2世に書き送る。ワーグナーの狙いは、「オーストリア」「プロイセン」の対立に乗じて「バイエルン」の影響力を維持することだ。まさに「天下三分の計」だ。

ルートヴィヒ2世は、議会を強引に丸め込むほどの影響力は発揮できず、オーストリアとプロイセンの関係悪化のペースについてゆけなかった。何も影響力を行使できないうちに普墺戦争があっという間にプロイセンの圧勝で終わり、天下三分は夢と帰す。

プロイセンのビスマルクは、バイエルン王ルートヴィッヒ2世に対するワーグナーの影響力に注目することになる。

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