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カテゴリー「314 リスト」の10件の記事

2012年7月29日 (日)

リストに挑む乙女たちに

この程度の本数でリスト特集とはおこがましい上に、現在ビスマルク特集真只中ということもあって遠慮気味。高校オケ現役生活最後の一年でリストに取り組むことになった36代の乙女たちに、ブログ「ブラームスの辞書」からのエール代わり。記事の備蓄が1500本を越えているのにリスト関連の記事はたったこれだけ。それもブラームス目線からの薀蓄ネタばかりで、演奏の役になんか立ちそうもないのを承知で、居ても立ってもいられず発信。

悲惨なのはボロディン。備蓄記事にはネタは皆無。付け焼刃で調べてもお里が知れるだけなので、潔く諦めた。よくよく考えてみると、昨年35代が挑んだファリャやショスタコーヴィチも、備蓄記事が無いという点ではボロディンと変わることはない。むしろ6本も備蓄していたリストが例外なのだ。次女のオケの課題曲が、そうそう私の好みの作曲家になるはずがない。万が一ブラームスにでもなっていたら、この先半年の記事公開のプランを白紙見直しする必要に迫られるところだった。

  1. 2012年07月20日 リストのソナタ
  2. 2012年07月21日 シューマン最後の日々
  3. 2012年07月23日 濡れ衣
  4. 2012年07月24日 リストという男
  5. 2012年07月25日 出版の仲介
  6. 2012年07月26日 捜索願い
  7. 2012年07月28日 レプレリュード
  8. 2012年07月29日 本日のこの記事。

2012年7月28日 (土)

レプレリュード

リストの交響詩。同ジャンルの代表作でもある。ここから作品解説やお勧めCDネタに走らぬは毎度毎度のお約束。

7月19日の記事「リストのソナタ」で、突然リストネタを乱入させ、その後今日までリストネタを連ねた。次女たち高校オケ36代がリストの「レプレリュード」に挑むことになった。今年のお盆の主役の一人ビューローがリストの娘婿であることから、記事「私事都合」を橋渡し役に利用して急遽リストネタを連ねた。既に書き溜めておいた記事でリストに言及した記事を繰り上げて公開した。その間ビスマルク特集は中断。

リストと言えばブラームスとは音楽的立場を異にするというのが定説。だからブログ「ブラームスの辞書」としては、どうしてもあちら側の人扱いなのだが、逆に言うといいチャンス。こういうことでもないと積極的にリストを話題にすることもない。

2012年7月25日 (水)

出版の仲介

ロベルト・シューマンは、若きブラームスを楽壇に紹介したことと並んで、有力出版社にブラームスを紹介したことはよく知られている。ライプチヒのブライトコップフ社だ。

あまり知られていないが、ブライトコップフ社にブラームスを紹介しようと試みた人物がもう一人いる。最近ブログで話題にしているフランツ・リストその人だ。

演奏旅行のパートナー・ヴァイオリニストのレーメニとの決裂を報告したヨアヒム宛の手紙でブラームス本人がそのことに言及している。このままでは故郷には帰れないから、リスト先生からブライトコップフ社に手紙を書いてもらうのに期待するかというニュアンスだ。リストは「なんならブライトコップフを紹介してもいいよ」くらいの口約束はしていたのだと思う。

作品の演奏中に居眠りした挙句に、早々にワイマールを辞したという話が、どうも浮いてしまうエピソードである。

2012年7月24日 (火)

リストという男

ブラームスがはじめて訪れたリスト邸で、リストが自作を演奏する間に居眠りをしたというエピソードに疑問を差し挟んだ。その後の2人の無邪気な対応が不自然だと。

確かにブラームスはリストの作品を評価していなかったし、リストもブラームスの作品をレパートリーに加えた形跡が無い。けれどもブラームスがブレークして以降、2人は時代を代表する作曲家同士、大人のつきあいをしていたと見る方が自然だ。

1882年2月2日、ウィーンでブラームスのピアノ協奏曲第2番の演奏会があった。独奏者にビューローを据えたこの演奏会をリストが聴きに来ていた。ビューローはリストの弟子だから、お呼び立てしたのかもしれない。休憩時間に2人は談笑し、リストがこの協奏曲の楽譜を所望したという。ブラームスは印刷したての楽譜をリストに贈った。

リストのピアノ独奏で聴いてみたいような気もする。

2012年7月23日 (月)

濡れ衣

あらぬ疑いをかけられることだ。「濡れ衣を着せられる」と言い回される。一方で「火のないところに煙は立たぬ」という諺もあるから、冷静な判断が求められる。

1853年6月ワイマールのリスト邸を訪問したブラームスは、場の雰囲気になじめず、ピアノ演奏は辞退した挙げ句に、足早にその場を辞去したとされている。リストが自作を演奏している最中に、ブラームスが居眠りしたという有名なエピソードがある。リストが気分を害したとも伝えられている。

本当だろうか。

リスト邸を辞して後、1853年10月にはデュッセルドルフにロベルト・シューマンを訪ねたブラームスのその後のブレークぶりは名高い。シューマンは早急に出版の手続きを進めた。ブラームスは出版社との打ち合わせも兼ねて11月にはライプチヒを訪れている。このときたまたまライプチヒを訪れていたリストを訪問しているのだ。ちなみにベルリオーズも一緒だったらしい。居眠りのエピソードから半年も経っていない。この訪問は無神経とも思えるし、当のリストがケロリと訪問を受け入れたというのも変だ。

そもそもいわゆる居眠りのエピソードの出所は、ウイリアム・メイスン。ところが、彼は実際にブラームスが居眠りしているのを見た訳ではないようだ。ネタの出所は当時のブラームスの相棒、ヴァイオリニストのエドゥワルド・レーメニだ。

ブラームスはここでレーメニとのコンビを解消しゲッティンゲンにヨアヒムを訪ねたことは有名だ。つまりレーメニとは決裂したのだ。居眠りの話はレーメニの腹立ち紛れの出任せかもしれない。このレーメニとは後日ハンガリア舞曲の著作権をめぐって裁判沙汰も起こしている。「彼には嘘が多かった」というブラームスの回想は、あながち誇張ではなく、この居眠りのエピソードをも含んでいたのではなかろうか。

本当は「これにてお暇させていただきます」と挨拶くらいしてワイマールを去ったのかもしれない。失礼な去り方をしていたら、半年以内に表敬訪問なんぞ出来まい。

居眠りは濡れ衣。

2012年7月21日 (土)

シューマン最後の日々

フランツ・リストのピアノソナタロ短調がロベルト・シューマンに献呈されたことは、昨日話題にした。クララは嫌悪感を日記にぶちまけているとも書いた。当時シューマン一家のために献身していたブラームスが、さっそくリストのソナタをクララに弾いて聴かせた。

後になってブラームスは献呈された本人つまりロベルトの反応を証言している。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻118ページのホイベルガーの証言だ。1894年12月1日の会話の中で、エンデニヒに入院中のロベルト・シューマンの様子が語られている。献呈されてたロ短調ソナタをじっくり見て喜んでいたというブラームスの証言が語られている。クララが、入院中のエピソードの公開を拒んだとも付け加えている。

クララが作品に示した反応を、シューマンは知らされていたのだろうか。それが出来るのはブラームスしかいないが、ブラームスの証言は残っていない。

2012年7月20日 (金)

リストのソナタ

一昨日の記事「私事都合」で、ビューローネタに触れた。そこでピアニストとしてのビューローがフランツ・リストの弟子であると書いた。だから今日はそのリストネタ。

何の断りもなくただ「リストのソナタ」と言えば1853年に書かれたピアノソナタロ短調を指すと思って間違いない。

実はロベルト・シューマンに献呈されている。1854年5月25日にシューマン邸に届いたらしい。この日のクララの日記で言及されている。ロベルト・シューマンへの献呈と申しても、ライン川への投身後ただちにエンデニヒの病院に収容されたから、献呈相手のシューマンは既に不在であった。

このときのクララの日記は、作品への嫌悪を隠さずにぶちまけている。あまりにストレートなので内容は省略する。作品についての愚痴は別として「ブラームスがさっそく弾いて聴かせてくれた」と書かれている。ブログ「ブラームスの辞書」としては、ブラームスが演奏したリストのソナタの方が気になる。クララは作品のまずさの指摘に余念がない感じで、ブラームスの演奏の出来映えには言及がない。

さらに、「それでも礼ぐらいは言わねばならないと思うと大儀で仕方がない」とこぼしている。

当時、シューマン一家の一大事と聞いてはせ参じたブラームスは、シューマン邸に頻繁に出入りし、家計簿の記入さえ任されていたくらいだから、礼状の代筆くらいは朝飯前だったと思われる。

2012年3月24日 (土)

イェーナの学士会

学生歌「我らは立派な校舎を建てた」の由来についてずっと調べている。「大学祝典序曲」op80で最初に登場する学生歌だが、どうも学生歌関連の書物に現れない。手許の解説書には、イェーナの学士会が解散に追い込まれた際に作られたとある。

イェーナの学士会は、1873年にリストを名誉会員に迎えたことで知られている。リストは委嘱に答えた作品の中で名高い学生歌「ガウデアムス」を引用している。解散に追い込まれたのは1819年のスキャンダルが原因だった。学士会活動の自由主義的風潮を指摘したコッツェブーという作家が、イェーナの学生に刺殺されるという事件が起きた。学生会活動は20世紀に入ってナチスによって統制され、かなりの数の学士会が解散に追い込まれたこともあったが、イェーナのケースは殺人事件だから深刻だ。イェーナに再び学士会が発足するのは1848年のことである。

これにより学士会のメンバーたちはちりぢりになった。この事件は周囲の学士会にも大いに影響を与えたとされている。このときに生まれたのが「我らは立派な校舎を建てた」だというのだ。ドイツの学士会活動にとっての大事件だけに、学士会関連の資料で言及されることも多いのだが、「大学祝典序曲」との関連については全く語られていない。「我らは立派な校舎を建てた」とは別のタイトルで認知されていた可能性もあるから断言は禁物だが、我が家のCDにも同じ旋律は全く出てこない。

2011年12月16日 (金)

学生歌を織り込む

学生歌を自作に織り込むことにかけてはブラームスの「大学祝典序曲」op80があまりに有名だ。念のため他の作曲家の作品においてもそういう現象が起きていないか調べてみたら、これが望外の大漁だった。

  1. モーツアルト これはいささか無理目。「Bruder,recht die Hand zum Bunde」(友よ同盟のために手をさしのべよ)がオーストリア学生歌として刊行されている。「オーストリア共和国歌」としても名高い。古い歌集ではモーツアルト作とされているものの、現代では別人の作と判明している。
  2. ズッペ 「陽気な仲間たち」の中で「ガウデアムス」を含むいくつかの学生歌を引用。
  3. スメタナ 「学生部隊の行進曲」の中で「ガウデアムス」と「Das Fuchslied」を引用。
  4. ウェーバー 「日は昇り」「僕は学生生活を支える」の2曲を作曲。
  5. シューベルト 「何が向こうの森で輝いているのか」D205を作曲。
  6. シューマン 「何千回も挨拶を」「黒赤金」に作曲。
  7. メンデルスゾーン 「神の御心のままに」op47 メンデルスゾーン本人に学生歌という認識があったかどうかは不明ながら、一部の学生歌集に採録されている。
  8. ヨハン・シュトラウス1世 「学生軍団行進曲」を作曲。
  9. ヨハン・シュトラウス2世 「学生行進曲」「学生ポルカ」「学生諸歌」「学生賛歌」を作曲
  10. ヨゼフ・シュトラウス 引用多数。
  11. エドゥワルド・シュトラウス 引用多数。
  12. リスト 「ガウデアムス」を複数回引用。

これら全ての用例がブラームスの「大学祝典序曲」に先行する。学生歌の作曲やその引用は、ブラームスに始まった訳ではないことが判る。ブラームスはむしろ総仕上げに関与したと申し上げるべきだろう。

こうなるとドヴォルザークがいないのが残念だ。

2010年12月28日 (火)

生誕200年の人々

2010年は、シューマンとショパンの生誕200年だった。メンデルスゾーンは2009年だし、リストは2011年だ。2010年±1年は、ロマン派初期の巨人たちが相次いで生まれたということだ。

我が愛するブラームスは1833年の生まれだ。音楽史の授業ではブラームスだってロマン派とされているが、ロマン派初頭の巨人たちからざっと20年遅れて生まれてきたのだ。このことは、もっともっと意識されてよい。音楽史の授業や書物でざっくりと分類されると見落としがちになる。上記4名のうちリストを除く3名とは、活躍の時期が重なっていないと申して良い。

音楽史として振り返る場合は、20年など一瞬で、人によっては誤差の範囲なのかもしれないが、同時代を生きた生身の人間にとってはけして一瞬ではない。

ブログ「ブラームスの辞書」は2033年のブラームス生誕200年をゴールと定めている。シューマンやショパンの生誕200年でもある今年から見ればあと23年後だ。ブログ管理人の私は、ゴールの時73歳のブラ2寿となる。

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