作曲家生活50年祝賀会
1894年に行われたヨハン・シュトラウス2世の作曲家生活50周年記念祝賀会の話題が、ブラームスとホイベルガーの会話に出現する。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻の117ページだ。
せっかくの祝賀会に楽友協会の幹部3人が揃って欠席だった話。その理由にブラームスが言及している。ブラームスはその理由を「許されざる結婚」と称している。ヨハン・シュトラウスの3度目の結婚を指している。2番目の妻リリーが劇場支配人シュタイナーと駆け落ちして、その後アデーレと結婚したのだが、2番目の妻とは死別ではない。カトリックは離婚を認めないから、アデーレとの結婚には道義的な問題が生じるという筋立てだ。
楽友協会の上層部に加え、大臣や政府高官などのVIP、あるいは宮廷の音楽家たちも軒並み出席を見送った他、ウィーン市は名誉市民権も贈らずにお茶を濁した。
カトリックの街ウィーンにとってはゆゆしき結婚だったという訳だ。
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