1886年1月17日は交響曲第4番のウィーン初演があった日だ。ハンス・リヒター指揮ウィーンフィルハーモニーの演奏である。これについてのハンスリックの演奏評が残っている。この批評の中に興味深い部分があった。
ハンスリックは、交響曲第4番の調性「ホ短調」を指して、「それこそがまさに独創的」と指摘している。交響曲の第1楽章に「ホ短調」を採用することがそもそも珍しいという観点だ。
本当だろうか
- 1771年 ハイドン44番
- 1885年 ブラームス4番
- 1888年 チャイコフスキー5番
- 1893年 ドヴォルザーク9番「新世界より」
- 1899年 シベリウス1番
- 1905年 マーラー7番
- 1908年 ラフマニノフ2番
- 1943年 ハチャトゥリアン2番
- 1953年 ショスタコーヴィッチ10番
ご覧の通りだ。このほかに怪しいのはリムスキー・コルサコフの1番。1865年に変ホ短調として完成したが1884年にホ短調に改訂された。改訂版の初演は1885年12月4日だからブラームスの4番よりは約1ヶ月遅い。
直感としてはハイドンの44番以来114年途絶えていたホ短調交響曲をブラームスが復活したように見える。ハンスリックは、その点を鋭く指摘していると思われる。それを皮切りに他の作曲家が次々とホ短調交響曲に殺到したように思える。つまりドヴォルザークも殺到組の一員ということになる。
古来ブラームスの保守性の指摘に熱心な人は多いけれど、ホ短調交響曲の復活についてはあまり大きくは取り上げられない。
それにしてもハイドンの44番とは何者だ。1872年から1875年まで3シーズンの間ウィーン楽友協会芸術監督の座にあったブラームスは、在任期間中の演奏曲目に原則として交響曲を取り上げていない。ところがたった一つ例外がある。それが今日話題のハイドン作曲交響曲第44番ホ短調だった。(←コメント欄に注記あり)
演奏会で取り上げるにあたってブラームスがハイドンの44番を十分に研究していたことは確実だから、単なる奇遇とばかりも言えない気がしている。
最近のコメント