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カテゴリー「352 ヨアヒム」の29件の記事

2016年3月31日 (木)

ハンス・ミリエス

ハンス・ミリエス(Hans Millies1883-1957)は、ヴァイオリニスト、指揮者、作曲家の肩書きを持つ音楽家。ベルリン高等音楽院に学んだというだけでもありがたいのに、ヴァィオリンをヨアヒムに師事したとあっては、そのご利益たるや半端ではない。

1910年、彼は上海租借地のオーケストラにコンサートマスター兼副指揮者として招かれる。1914年には第一次大戦の勃発とともに青島に出征するがそこで、租界オケの仲間4人とともに捕虜になってしまい日本にやってくる。やってきた先は千葉県習志野市にあった捕虜収容所だ。仲間は散り散りになるが、徳島坂東に送られた2人が第9交響曲日本初演に携わることになる。

おそらく1000名程度の捕虜が1919年まで収容されていた習志野で彼は弦楽四重奏団を組織し、やがてオーケストラも出来上がる。習志野捕虜オーケストラの指揮者あるいはコンマスとして運営を取り仕切った。確認されているだけでの10回くらいは演奏会を開いている。

このオケがブラームスを取り上げた事実がなかなか確認できないが、ヨアヒムの直弟子が指揮者だったというだけで満足した気になっている。

2016年1月 7日 (木)

3大弦楽四重奏団

「ブラームス存命時」のという条件で、独断を駆使して3大弦楽四重奏団を考えた。

<ヨアヒム四重奏団> 1867年創設。クラリネット五重奏曲初演のメンバーを列挙する。クラリネットはミュールフェルトだ。

  • ヨゼフ・ヨアヒム 1stVn
  • ハインリヒ・デアーナ 2ndVn
  • エマニュエル・ヴィルト Va
  • ロベルト・ハウスマン Vc

<ヘルメスベルガー四重奏団> 1849年創設。弦楽四重奏曲第1番初演時のメンバーを記す。

  • ヨゼフ・ヘルメスベルガー・シニア 1stVn
  • ヨゼフ・ヘルメスベルガー・ジュニア 2ndVn
  • ジキスムント・バッハリッヒ Va
  • ハインリヒ・レーファー Va

<ロゼー四重奏団> 1882年創設。弦楽五重奏曲第2番初演時のメンバーを記す。

  • アルノルト・ロゼー 1stVn
  • アウグスト・ジーベルト 2ndVn
  • ジキスムント・バッハリッヒ Va
  • ラインホルト・フンマー Vc

ブラームスとのかかわりを考慮するとこれで決まりか。世界初演を最低1回は任されている。活動当時どれも世界一の折り紙をつけられていた。ブラームスの室内楽作品は、その初演に世界一の四重奏団を起用できたということだ。よく見ると、ジキスムント・バッハリッヒさんは2回現れる。ヘルメスベルガー四重奏団のヴィオラ奏者として弦楽四重奏曲第一番初演にかかわった後、今度はロゼー四重奏団の第二ヴァイオリンとして弦楽五重奏曲第2番を初演した。

2015年12月26日 (土)

ニ短調ソナタ

無伴奏ピアノのためのソナタや、ピアノを含む二重奏ソナタはしばしば単に「ソナタ」と通称されている。第1楽章の調性を添えて呼ばれるのもお約束だ。ブラームスのピアノソナタ3曲、二重奏ソナタ7曲計10曲のうちニ短調の作品はただ1つしかない。ヴァイオリンソナタ第3番op108である。友人で大指揮者、優秀なピアニストでもあったハンス・フォン・ビューローに献呈されているのだが、クララ・シューマンのお気に入りでもあった。

1894年のある日、クララはヨアヒムとともにこのソナタを演奏した。「めったに経験できない純粋な喜び」と日記にしたためた。1891年3月を最後に公開の席での演奏から身を引いていたから、このときのヨアヒムとの二重奏はプライヴェートなものだ。いやはや何とももったいない。

2014年10月26日 (日)

長距離列車

1867年2月26日ロンドン、クララからブラームスに宛てた手紙の中に、英国での公演ツアーの日程が厳しいことを伝えている部分がある。

3日連続で演奏会が組まれていたりするので、毎日5~6時間も列車で移動せねばならないと言っている。ヨアヒムのスケジュールはもっと厳しいとも伝えている。

当地では演奏会が金儲けの手段になっているばかりか、夜にはパーティーにあるので、余計に体力を消耗すると嘆いている。それでも演奏の質を落すのはプライドが許さないから、ギリギリのところで折り合っている。

鉄道で行動範囲が広がったのは事実ながら、かえって日程がハードになってしまったというのが実情らしい。

2014年3月 2日 (日)

ハノーファーの位置

ロベルト・シューマンがライン川に身を投じたという知らせを、ブラームスはハノーファーで聞いた。そのハノーファーと主要都市との距離を以下に掲げる。

  1. ベルリン 263km 2時間
  2. ハンブルク 185km 1時間10分 少し訳あり
  3. デュッセルドルフ 295km 2時間30分
  4. ライプチヒ 269km 3時間10分
  5. ウィーン 937km 8時間 当時はまだ鉄道で直結されていない。

5番目のウィーンは参考のため載せておいた。所要時間は現代のICE利用による。

つまりハノーファーは便利な場所だということ。シューマンに認められて、楽壇に紹介され、作品の出版話もトントン拍子に進む中、一旦デュッセルドルフのシューマン邸を辞したブラームスの落ち着き場所がハノーファーだった。ここにはヨアヒムがいた。何せ当地の宮廷楽団のコンサートマスターだった。

ふるさとのハンブルク、シューマンがいるデュッセルドルフ、出版社があるライプチヒこれら諸都市に行くにも便利だ。当時はまだウィーンに進出を決める前だから、ウィーンとの距離は問題にならない。ウィーンを参考と言ったのはそのためだ。急を聞いてシューマン家に馳せ参ずるとき、当時としても半日あれば十分なところにいたということだ。

2013年9月12日 (木)

今時のヨアヒム

ブラームスラブを隠そうとしな我がブログで、断りなくヨアヒムと言ったら、19世紀屈指の大ヴァイオリニストで、親友のヨーゼフ・ヨアヒムを思い浮かべるのが自然だ。しかしながら現代のドイツ人も同じかと言うとどうも勝手が違う。

おそらく現代のドイツ人なら、サッカー現ドイツ代表監督のヨアヒム・レーヴを思い出す人の方が数の上で優勢ではないかと感じる。この人歴代のドイツ代表監督の中でも際立ってイケメン。私と同い年で誕生日も近いので星座も一緒。2012年の欧州選手権までは采配の評価も高かったが、準決勝で敗れてからは批判も湧いて来た。

欧米の言語では、苗字にも名前にも使える名前がある。ヨアヒムもそのうちの一つだと判る。

2013年6月17日 (月)

ゲーゲン協奏曲

一般に「ヴァイオリン協奏曲」といわれているが、正式には「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲」だ。ドイツ語では「Konzert fur Violine」(赤文字はウムラウト)だ。つまり「fur」は「のための」と訳されている。英語で申すなら「for」に相当する。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲がヨアヒム独奏により世に出たとき、実は実はその評判は厳しいものだった。ヨアヒムが各地で演奏旅行をする際、その出演契約書には「ブラームスのコンチェルトを演奏しない」という特約が付与されたこともあるという。

当時ウィーンにおけるヴァイオリン演奏の泰斗だったヘルメスベルガーも反対派の一員で、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を「Konzert gegen Violine」と称した。「fur」を「gegen」に代えた言い回しだ。「この作品はヴァイオリンのために書かれていませんよ」「ヴァイオリンに拮抗するために書かれていますよ」というニュアンスを一言で言い表している。「gegen」は英語で申すなら「against」だ。ゴルフの世界なら逆風を意味する。もちろん誉め言葉であるハズがない。

サッカーの世界で今「Gegen」は「トレンド」だ。チャンピオンズリーグ準決勝で、ドイツのクラブが、スペインの両雄を撃破したキーワードが「ゲーゲンプレッシング」という。「Gegenpressing」と綴る。冒頭に本日話題の「ゲーゲン」が来る。味方が相手にボールを奪われた瞬間に、すぐさまボールを奪い返す戦術のことだ。味方がボールを奪われ、相手が攻撃に転ずる瞬間こそが、相手守備体制が最も弱い瞬間だと認識している。これがドイツ勢の台頭を支えた思想だという。

昨日FIFAコンフェデレーションズカップが開幕した。

2013年6月15日 (土)

インタビューの日取り

昨日言及した「音楽の創造と霊感」という本、ブラームスへのインタビューが活字化されたものだが、残念なことにインタビューの正確な日付けが書かれていない。1896年晩秋だということは明記されている。場所はウィーンのブラームス宅だ。

ブラームス関連の最終第6章の末尾に、インタビューの4ヵ月後にブラームスが没したと書かれていることをヒントに推理する。

音楽之友社刊行「ブラームス回想録集第2巻」195ページに友人のホイベルガーの証言がある。それによると1896年12月4日の夜の出来事として「ホイベルガーはブラームス、ヨアヒムとその他で夕食に出かけた」と記述している。

先のインタビューは、その場にヨアヒムが同席したことが明記されているし、ブラームス没の4ヶ月前という記述からして、12月4日というのは魅力的だ。名前が明かされていない「友人」の中に著者アーベルが含まれていた可能性もある。この時期のブラームスは、カルルスバートでの鉱泉治療から戻ったものの、傍目にも体調不良が明らかになっていた時期だ。インタビューの内容は、とても精力的で雄弁で、少なくとも病人へのインタビューという雰囲気は感じられない。

2012年6月 5日 (火)

サリカ法

女性の王位を認めないゲルマンの古法だ。ドイツ諸国に女王が現れないのはサリカ法のせいだ。フランク王国に由来するので、実はフランスもこれを遵守していた。単に女性の土地相続を認めないものだったが、拡大解釈されたものといわれている。

英国王がハノーファー国王をかねていた時代。男子を得ないまま崩御したウイルヘルム4世のあと、英国では女性が即位した。これがヴィクトリア女王だ。ところが、彼女がハノーファー国王になることはサリカ法を遵守するドイツでは許されていない。だからウイルヘルムの弟が国王になった。

彼の子ゲオルク5世の治世、1866年に普墺戦争が起こった。字面だけを読めば、プロイセンとオーストリアの戦いに見えるが、実際にはドイツの領邦が参戦した。ドイツ連邦内の内輪もめだったのだ。バイエルンを始め多くがオーストリアについた。ゲオルク5世のハノーファー王国もオーストリア側。

プロイセン王ウイルヘルム1世が、ハプスブルクの威光にビビッた訳ではなかろうが、宣戦布告後、先にオーストリアに仕掛けることを禁じた関係で、プロイセンは敵対する領邦の攻略を優先した。ハノーファー王国は開戦からわずか2日で陥落。ハノーファー軍は抵抗をまったくせずに王を奉じてバイエルンにむけて脱出したが、やがて追いつかれて敗北。王はウィーンに亡命した。

プロイセン宰相ビスマルクは、ドイツ連邦内の主導権をオーストリアから奪い取る目的の戦争に、英仏露が介入してこないように万全の手を打った。ロシアはクリミア戦争で中立を守った貸しがあったし、フランスにはライン西岸の割譲をえさにナポレオン3世に不介入を約させた。大英帝国の関心はアジア、アフリカ、新大陸にあって、プロイセンに興味はないと見抜いていたと言われているのだが、もしハノーファー王国が英国と同君王国という関係のままだったら、事情は変わっていたと思われる。少なくとも英国が介入する可能性はあったかもしれない。

ブラームスの親友ヨアヒムは、ブラームスと知り合った頃、ハノーファー宮廷コンサートマスターだった。つまりこのゲオルク5世に雇われていたということだ。1853年4月ブラームスがヨアヒムを訪ねたのがハノーファーだ。ブラームスの才能を喜んだヨアヒムのとりなしで、同年4月と12月にブラームスはゲオルク5世の前でピアノ演奏を披露している。

2012年6月 4日 (月)

転職の理由

ブラームスの親友で当代最高のヴァイオリニスト・ヨアヒムは、12歳でライプチヒに赴き、メンデルスゾーンに見出されてそこでデビュー。15歳の時にはメンデルスゾーンに連れられてロンドンを訪問しセンセーションを巻き起こすが、翌年にメンデルスゾーンは他界してしまう。その後の職歴を以下に示す。

  • 1848年 ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。
  • 1850年 ワイマールのコンサートマスター。
  • 1852年 ハノーファー宮廷楽団のコンサートマスター。
  • 1866年 ベルリン王立アカデミー校長。

1852年のワイマールからハノーファーへの転出は、しばしばリストとウマが合わなかったと説明されることがあるけれど、1866年のハノーファーからベルリンへの異動は、あまり理由を詮索されない。リストとウマが合わなかったときだけ言及するのは不公平だ。

1866年は普墺戦争のあった年。このときハノーファー王国はあろうことかオーストリアについて、プロイセンに敵対した。プロイセン大勝を受けた戦後処理で王国断絶となり、王はウィーンへ亡命したので、宮廷楽団の雇い主が居なくなったということだ。

一方ドイツ統一を目指すプロイセンは、首都ベルリンに芸術の最高学府を設立した。校長にと迎えられたのはハノーファーのコンサートマスターで、雇用主を失ったばかりのヨアヒムだったというわけだ。ヨアヒムは一生ベルリンを本拠として過ごすことになる。きっと三顧の礼もあったのだろう。

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