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カテゴリー「356 ビューロー」の23件の記事

2023年2月26日 (日)

地味に大事なこと

昨日に続いてハンスフォンビューローのお話。ブラームスの親友。大指揮者であり大ピアニストであると同時に音楽評論家。バッハの平均律ピアノ曲集をピアノ音楽の「旧約聖書」とし、ベートーヴェンのソナタを「新約聖書」と称したり、現代まで語り継がれるエピソードには事欠かない。

ブラームスの歴史的位置づけを表す彼のことばがある。ブラームスの第一交響曲を「ベートーヴェンの第十」と呼んだことだ。交響曲史上におけるブラームスの位置づけをベートーヴェンをツールに言い表したと考えられる。

そのビューローは、ブラームスの1番のピアノソナタを「ベートーヴェンの33番」とは呼んでいない。弦楽四重奏も同じくブラームスの1番に「ベートーヴェンの17番」という称号を与えていない。ヴァイオリンソナタやチェロソナタ、あるいは協奏曲も同様だ。

ブラームスにもベートーヴェンにもバッハにも精通し、ピアノ演奏も超一流な上に現代指揮法の確立者であったビューローの歴史観の反映だ。交響曲だけが特異な扱いだとわかる。

噛みしめたい。

2017年10月25日 (水)

リスク

いやはやリスクは、世の中全体から管理対象とされているのだが、人々はまだこれを完全に統御できていないようだ。何をリスクと感じるかは人によってさまざまなのだが、もしかすると多くの人々がよってたかって見逃していることの中に本当のリスクが隠れているとも感じる。

ブラームスは第4交響曲の初演を準備するにあたり、指揮を任せるビューローにスコアを送った。書き上げたばかりの手書きスコアだ。その瞬間には世の中に唯一の貴重な貴重なスコアを写しも作らずに、普通小包で送ったのだ。ビューローはそれを知って激怒する。「万が一小包が行方不明になったらどうするのか」とくってかかった。ビューローにはしばしば小包が行方不明になった経験があったのだろう。それにもまして、満を持した第4交響曲それもブラームスが書き下ろしたスコアの音楽的価値を知り尽くしたビューローならではの反応だ。当時の郵便事情を考慮した妥当なリスク評価だと感じるばかりか、現代においてもすこぶる真っ当な感覚だ。

これに対するブラームスの反応は鮮やかだ。ブラームスとて当時の郵便事情は理解していたのだが、「もしも行方不明になったら、また書けばいいではないか」という反応だった。つまりブラームスは小包で送ることをリスクと思っていないのだ。しばしば小包が行方不明になることは、理解していたが相対的にはリスクたり得ないということだ。何故ならまた書けるからだ。ブラームスにとっては写しを作るための写譜も、紛失してまた書くのと大して変わらないということなのだ。全ての音が、必然を持って置かれているのだから。カッコいい。

巨匠同士の壮大な行き違い。

1885年10月25日マイニンゲンにて第四交響曲初演。

2017年9月 2日 (土)

交響曲第18番

ハンス・フォン・ビューローは、高名なピアニストであると同時に、今風な意味での指揮者の走りでもあった。加えて聴衆に対して演説をぶつのが恒例でもあった。居合わせた聴衆にとっては負担だったかもしれないが、そうした演説から名高いエピソードがいくつも生まれているからバカにならない。

ベートーヴェンの交響曲第9番といえば演奏におよそ一時間を要する大曲だが、ビューローは一度演奏した後に、お決まりの演説をかまして、再度全曲演奏したという凄いエピソードが残っている。その際聴衆が帰れないようにホールの扉に鍵を掛けさせたというから相当な確信犯である。このエピソードは大抵聴衆が気の毒というニュアンスで語られるが、付き合わされたオケの団員も疲労度という意味では相当なモンだと思う。

さてさて、その話を伝え聞いたブラームスは「それじゃあまるで交響曲第18番だ」とつぶやいたという。出所が怪しくて確認も必要だが、痛快である。もし事実ならブラームスが即座に「9かける2」の暗算に成功していたことは間違いない。

だから今日は9月2日。

2014年10月25日 (土)

演奏旅行と鉄道

第4交響曲は1885年10月25日にマイニンゲンで初演された。同地の宮廷管弦楽団をブラームスが振った。その後11月25日のヴィースバーデンまでの一ヶ月が初演月間とも言うべき下記の通りの状況。

  1. 1885年10月25日 マイニンゲン
  2. 1885年11月01日 マイニンゲン
  3. 1885年11月03日 フランクフルト
  4. 1885年11月06日 エッセン
  5. 1885年11月08日 ブッパータール-エルバーフェルト
  6. 1885年11月11日 ユトレヒト
  7. 1885年11月13日 アムステルダム
  8. 1885年11月14日 デンハーグ
  9. 1885年11月21日 クレーフェルト
  10. 1885年11月23日 ケルン
  11. 1885年11月25日 ヴィースバーデン
  • これを鉄道路線との関わりから眺めてみる。
    1. マイニンゲン→フランクフルト およそ70km南のシュヴァインフルトからヴュルツブルクを経由してフランクフルトに入ったものと思われる。総延長160km程度。当時も今もマイニンゲンは中核都市とまでは言えない。乗り継ぎもいれると一日はかかる。だから11月2日は移動日に当てられていたはず。1日の演奏会の打ち上げで飲みすぎた場合でも、寝坊は許されなかったと見る。
    2. フランクフルト→エッセン およそ200km。エッセンはルール工業地帯の中心都市だから、このルートは当時から大動脈だったハズ。あるいは乗り換えなしでという幸運もありえた。うまくいけば4日午後からの移動で4日中にはエッセン入り出来たかも。
    3. エッセン→ヴッパータール これは近い。南西に25km。急行に乗る必要もなかっただろう。移動には半日を見れば十分。演奏会が中1日になっているのは合理的。
    4. ヴッパータール→ユトレヒト ユトレヒトはオランダ。ヴッパータールから西に30km程のデュッセルドルフに出る。そこからユトレヒトまでおそらく直行便があったハズ。現代の特急なら2時間程度の距離。総延長約150kmくらい。丸一日で十分。
    5. ユトレヒト→アムステルダム 距離40km。現代なら30分くらい。11月12日が移動日になっているので楽な日程だろう。
    6. アムステルダム→デンハーグ 距離63km。現代なら45分。しかし移動日なしの公演だから、油断は禁物。現代ならアムステルダムの演奏会場からデンハーグのホテルへバス移動かもしれない。
    7. デンハーグ→クレーフェルト ドイツに戻る。まずはアムステルダムに45分かけて戻る。アムステルダムからドイツのデュイスブルクまではおそらく直行便がある。現代ならおよそ2時間。150km少々。デュイスブルクから南西に25kmでクレーフェルトに着く。一日かければOKだ。ここは公演が一週間空くので楽だ。
    8. クレーフェルト→ケルン ノイスやドルマーゲンを経由するライン西岸のショートカットが当時あったかどうかは別として、デュッセルドルフ経由になったとしても40km程度なので11月22日を移動日に当てることで問題は無さそう。
    9. ケルン→ヴィースバーデン およそ120kmライン川沿いを走る景勝コース。11月24日を移動日とすることでOK。ライン川を船でという風流な手もある。

    注意しておきたいことは4つ。まずこれらの日程は、鉄道利用を前提としない限り、物理的に成立し得ない。

    2つ目。このツアーはブラームスがひとり移動して現地のオケを指揮したのではない。ビューローを含むマイニンゲンの宮廷楽団を帯同していたのだ。おそらく100人前後のメンバーが大挙移動したのである。アウトバーンが完備している現代なら大型バスも考えられるが、当時は間違いなく鉄道だ。数十kmの移動でも、大所帯となるとそれなりの苦労があると思わねばならない。

    3つ目は楽器。第4交響曲に登場する楽器のうち、チェロはともかくコントラバス、ティンパニの運搬はどうしていたのだろう。あるいは、移動先で調達したのだろうか。

    4つ目は、ゲネプロ。これらの諸公演でゲネプロはどうしていたのだろう。前日のゲネプロともなると上記スケジュールのうちいくつかは厳しい日程になる。気心知れたマイニンゲン宮廷楽団だから、最悪ステリハのみでOKという希望的観測。

    2012年10月20日 (土)

    フォン・ビューロー

    ブラームス縛りともいえる我がブログで「ビューロー」と申せば、リストの弟子でブラームスの親友にして大指揮者ピアニストのハンス・フォン・ビューローを思い出すのが自然だ。けれどもドイツ史に絞ればそうとは言い切れない。第4代ドイツ帝国宰相ベルンハルト・フォン・ビューローを思い出す人の方が多いと思われる。ビスマルクの3つ後の帝国宰相だ。

    ブラームス在世中は、ハンガリー王国やイタリア王国の公使を歴任し、ブラームスの没した1897年に外務大臣に就任した。帝国宰相への就任は1900年。

    若きウィルヘルム2世をよく助け、世界政策を推進したとされているが、その中心となった海軍増強により英国との対立を深め第一次大戦の道筋を作ってしまったとも言われている。

    2012年7月18日 (水)

    私事都合

    1870年7月15日の朝刊でエムス電報事件が広く人々の知るところとなった。このあたりの欧州情勢は日々緊迫の度を加えるというもので、毎日が事件の連続という形になっている。

    バイエルンがプロイセンへの加担を公式に決定するがのが16日だ。18日がフランスの対プロイセン宣戦布告。21日にはルートヴィヒ2世が参戦決定について市民から歓呼を受けたと、ミュンヘンにいたスメタナが書いている。ワルキューレの上演のために音楽家がミュンヘンに集まっていたということだ。

    音楽家で思い出した。リストの娘コジマと結婚したハンスフォンビューローは、当初ワーグナー寄りの姿勢だったが、妻コジマがワーグナーの子を宿すなど理不尽な目にあって、やがてはブラームスに接近した。ビューローとコジマの離婚が正式に決定したのが7月18日だった。宣戦布告の日に離婚成立とは出来過ぎか。

    2012年7月17日 (火)

    お盆のファンタジー13

    「ふるさと」をめぐってさんざん盛り上がったあと、ブラームスがおどけた表情で「ふるさとの後、3曲目のアンコールが一番気に入った」と次女に語りかけた。今年はあんまり長居なので、すっかり打ち解けた次女は、これがブラームス独特のジョークだと悟ったらしく、間をおかずに「はい。私たちも一番練習に時間をかけました」とニヤリと笑って応酬した。

    先般聴いたCDのラスト、アンコール2曲目の「ふるさと」の演奏に続く長い喝采の後に、サプライズがあった。拍手がサーっと引き、だれもがアンコール曲だと思った次の瞬間、タクト一閃とともにオケ全員が「Ein Zwei Drei,aufwiedersehen」と唱和して全員が手を振り始めたのだ。日本語でなら「1,2,3、ごきげんよう」くらいの意味。意表を付かれた聴衆の大爆笑がおきた。だれもが心から笑ってのスタンディングオベーションがそれに続いた。

    「あれは一体誰のアイデア」とブラームス。「もちろん指揮者です」「彼はいつもそういういたずらを考えています」「5月の演奏会ではファリャのラストで全員が立ち上がるというサプライズを決行しました。」「そういういたずらほど熱心に綿密に練習しますが、家に帰って親に絶対話すなという口止めも忘れません。」「だからあの日のスプリンクラーもまた彼の演出かと思った人もいます」次女がいきいきと説明する。

    「あれには私も笑わせてもらった」とはビューロー。「こいつは楽団員に厳しく接するばかりで、ユーモアとか余裕が感じられない」とはブラームスのビューロー評。「楽団員どころか聴衆にも説教を始めるからな。ちっとはこちらの先生を見習ってもらいたいもんだ」

    「あんたのゴツイ作品の前後にユーモアのサプライズなんか挟めるものか」「毎度毎度振らされるこっちの身にもなってみろ」と反撃のビューロー。どうやら仲間割れが始まった。

    2012年7月16日 (月)

    お盆のファンタジー12

    どうもCDを聴いてからというもの、ブラームスとビューローはしきりにひそひそ話をしていていた。昨晩になってブラームスは「ニュルンベルク2曲目のアンコール曲はいったい何と言う曲か?」と尋ねてきた。「ふるさとという歌で、大抵の日本人は知っている」と答えると、ビューローが「テキストの大意は?」と畳み掛ける。「幼い頃走り回った野山を懐かしむ歌」「同時に両親や友人を懐かしむ歌」「立身出世を遂げた後戻って来たいと願う歌」と要約すると2人とも深々とうなずく。

    「1914年頃の作品で、高野辰之作詞、岡野貞一作曲と言われています」と次女が付け加える。ブラームスは目を丸くして「よく勉強しているね」とほめる。「私たちの学校の校歌もこの二人の作品です」と自慢げな次女だ。当日はオケのメンバーがかわるがわる合唱するバージョンですとさらに補足。ブラームスは真顔になって「楽譜はあるの?」と尋ねる。「はい」と答えた次女はブラームスが「見せてくれ」と言い終わる前に嬉しそうに自室に上がってゆく。とって返した次女はセカンドヴァイオリンのパート譜とスコアを差し出す。案の定ブラームスはスコアを手にとって、またビューローとひそひそ。

    やがてブラームスは遠くを見つめるような表情で、「あのニュルンベルクのコンサートで、初めて聞くドイツのご婦人たちが何人も涙を流していた」「初めて聴く曲なのに心に染みた」「一度聴けば忘れないシンプルで格調高いメロディ、端正な形式、絵に描いたような有節歌曲、どれをとってもローレライや菩提樹に匹敵する」とつぶやいた。

    「ふるさとを主題に何か変奏曲でも」と私。娘たちのオケに「ふるさとの主題による変奏曲ヘ長調op123でもお願いしますよ」と、軽口をたたいたが、ブラームスは少し考えてから「いやいや、それは僭越だ」と大真面目。「むしろ、簡単で気の利いた和音を付けた歌曲か、声部の少ない女声合唱くらいがいいだろう」と答える。モラヴィア二重唱の中に入っていても全く違和感がありませんねとはビューローの感想だ。

    次女が思い余ったように「その楽譜差し上げます」と申し出た。ブラームスは少し間を置いて次女をまじまじと見つめながら「楽譜は大事にしなければ。簡単に人にあげてはいけないよ」と諭す。

    いつもおとなしい次女が、キッパリと反論を試みる。「志を果たして」という3コーラス目のテキストは、まさに私たちの気持ちそのままでした。長い間準備してきたドイツ公演の最後の演目だとみな知っていたからとりわけ心をこめました。そして「いつの日にか帰らん」と続いて、間もなくの帰国を暗示しているかのようです。スタンディングオベーションのお代わりには本当に涙が出ました。

    だからやっぱり差し上げます」と一歩も譲らない次女。ブラームスはまた遠くを見つめる目になって「ああ伝わったとも」「古くから歌い継がれていた曲は、必ずオーラを持っているものだ」と自分に言い聞かせるようにつぶやく。

    ブラームスは少し間をおいて「何かお礼をさしあげなきゃね」と次女の手を握った。

    2012年7月13日 (金)

    お盆のファンタジー10

    届いたばかりのドイツ公演のCDを皆で聴いた。録画は無いのかとブラームス。もう少し遅れると答えると、それは残念と声をそろえる2人。「届いたら送りましょうか?」と次女。あの子どこに送る気だろう。

    やがてブラームスは私に向き直って「どうも君たち日本人はドイツが好きらしいな」と言い出した。「そりゃそうですとも」と私。「思うにドイツには世界一が5つある」というとビューローまでもが身を乗り出してきた。「まず第一にビール」と切り出すと2人とも大きくうなずいている。長女と次女がビールのお代わりをとりに冷蔵庫に向かった。

    「それから2番目に自動車」というと2人とも「はあ?」という表情。彼らの時代にはまだ自動車は一般的ではなかったから無理もない。「うちのクルマはドイツ製だよ」と自慢するのは3月の旅行以来ドイツ贔屓が進む長男。目を丸くするブラームス。

    娘たちが「日本製ですみません」といいながらビールのお代わりを持って入ってきた。かまわず私が「クルマとビールの次はサッカー」というと二人とも同時に首を振る。「女性のサッカーだとドイツは世界一ではない」と口をそろえる。こういうところは妙に律儀だ。

    「4つ目はオケ」「世界最高のオケはいつの時代にもドイツにある」と私。ビューローはさすがに自慢げだ。ブラームスはわざとまじめぶって「でもニュルンベルクのコンサートを聴く限りではU-17だと日本もすばらしいな」と社交辞令だ。「それを聴いて大喝采のドイツの聴衆はやはり世界一でしょう」と次女がおじさん同士の会話に割ってはいる。うら若き乙女の攻撃にたじたじのブラームスだ。

    「ところで5番目の世界一はいったい何だ」とブラームス。次女の酌を受けながらビューローが耳をそばだてている。私はわざと大声で「それはあなたです」と答えると、ビューローは親指を立ててOKの仕草だ。ブラームスは耳たぶまで真っ赤にしながらジョッキをあけた。

    2012年7月12日 (木)

    お盆のファンタジー9

    昨夜「今年の迎え火そろそろだね」と母と話していたら、玄関で物音。ブラームスが立っている。「迎え火もまだなのに」と言いかけた私を押しのけて、次女に向かって突進し、いきなり抱きしめた。ドン引き気味に立ちすくむ次女にお構いなしに頭を乱暴に掻きなでる。

    昨年のお盆は、地震商売の話ばかりだったので、次女が高校オケにはいった話をし損ねた。その次女は今年、オケの話をしたくて楽しみにしていたことは間違いないのだが、迎え火前の登場には意表をつかれた。

    5分は続いた手荒いハグのセレモニーの後、呆然とする次女にしみじみと話しかけた。「凄かったね、ニュルンベルクのコンサート」と切り出した。「おいでいただいたのですか」と次女。「もちろんだとも」「デュッセルドルフも聴いてたよ」とブラームス。「デュッセルドルフの聖ヨハネ教会は懐かしかったけど、演奏を聴いて驚いた」「だからとニュルンベルクにはなかなか出かけないのだが、大震災に遭った日本から乙女たちのオケが来ると知り合いをみな誘ったんだ」

    話がいきなり盛り上がったせいでゲストを忘れていた。後ろでモジモジしていた男をブラームスが紹介してくれた。ブラームスの親友ハンス・フォン・ビューローだ。「ニュルンベルクのコンサートで、こいつがあんまり感激したモンだから連れてきた」とブラームス。次女が握手をしながら「指揮もなさるのですか」と話しかけるとブラームスは腹を抱えて笑った。「ジョークのセンスもたいしたもんだ」とブラームスは誉めてくれたが、次女は何故笑われたかわかっていない。「すんません。後でよく説明しておきます」と平謝りの私。

    ところが当のビューローはにこりとも笑わずに「無闇に年齢を訊くのは日本でも失礼なのか?」と私に尋ねてきた。「もちろんですが」と答えたにもかかわらず「ニュルンベルクのコンサートの生徒たちはいったい何歳なのですか」と畳み掛けてきた。次女が「16歳か17歳です」と答えると、ブラームスの方に向き直って両手を広げて首をすくめる動作。次女に向き直ると「大震災の日本から元気をもらったよ」とビューロー。「ありがとうございます」と次女が緊張気味に答える。「私はセカンドヴァイオリンでした」というと今度はブラームスが「ああ、よく見えたよ」と割り込む。

    「演奏の出来はいかがでしたか」と度胸のついた次女が尋ねる。ブラームスとビューローは一瞬顔を見合わせて、ほぼ同時に「ブッルァ~ヴォ」とつぶやいた。やけに巻き舌を強調する言い方だった。「みんな立ち上がっていただろ」とブラームス。次女は「その様子が凄くて本当に感動しました」とポツリ。「ビューローも私ももちろん立ち上がったよ」ビューローは「演奏の水準もだが、スプリンクラーのあり得ない誤作動から、気迫が演奏に乗りうつっていたね」「尋常ならざる雰囲気の中、集中を切らさなかったのはたいしたものだ」「だから思わず年齢を聞いたんだ」とまくし立てる。

    「スプリンクラーの誤作動のとき、みんなどう感じていたの?」とブラームス。「演奏会が続けられるかとても不安でした。正直なところ足がすくんでいました」と神妙な次女。「世界中どこのオケだってスプリンクラーの誤作動なんぞ想定していない」とビューロー。「きょろきょろしないで、指揮者だけを見ているよう心がけました」と珍しく雄弁な次女の対応。「全く想定外のトラブルに対し、微動だにしない様子だけでも一見の価値がある」とブラームスがビューローを押しのけるように割り込む。「ありがとうございます。でも聴衆のみなさんの暖かい応援のおかげです」

    総立ちのスタンディングオベージョンでさえ滅多に起きることではない上に、それを浴びた少女たちはただ涙。涙する乙女たちと、総立ちの聴衆がじっと向かい合ったままの夢のような数十秒間。スプリンクラーのことなんぞみんな忘れていたよと、ビューローは興奮が収まらない様子。

    長いドイツの伝統で、聴衆には「感動したら立つ」というルーチンが出来上がっている。演奏家に対する最上の敬意。これがスタンディングオベージョンなのだが、あの日はもどかしかった。総立ちのスタンディングオベージョンを浴びてステージで涙する少女たちに、それ以上の敬意を示す手段が無かったからだ。あの演奏会がチャリティだったのが幸いだった。これはブラームスの熱弁。はっきり言わないがブラームスも募金に応じたようだ。それもかなりの額。

    「凄い練習量なのだろう?」とビューロー。「部活全体には初心者も多いので大変でした」と次女が答えると、2人とも「はぁあ?」という表情。楽器を始めて1年のメンバーが少なからず混じっているという説明にビューローはおよそ10cmのけぞった。ブラームスがビューローを押しのけながら「そもそも部活ってなんだ?」ともっともな質問。次女は丁寧に答えるのだが二人とも全く飲み込めていない様子。

    当日の録音は無いのかという話になったところで長女がビールを持って入ってきた。

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    ブラームスの辞書写真集

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      はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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