ある旅行
音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第1巻92ページからしばらく、興味深い記述が続く。1876年2月25日から28日までのハードシュケジュールが明らかになる。記述したのは友人のヘンシェルだ。
- 2月24日夜 コブレンツ。公開ゲネプロ。そこでブラームスはシューマンのピアノ協奏曲のソロを弾いた。
- 2月25日午前 練習。
- 2月25日昼 地元名士の家で宴会同然の昼食会。
- 2月25日夜 同じくコブレンツで、演奏会。
- 2月25日夜 その後宴会。
- 2月26日 列車でヴィースバーデンに移動。
- 2月26日 ヴィースバーデンに到着。すぐリハーサル。今度はブラームス自身のニ短調ピアノ協奏曲だ。
- 2月26日夜 演奏会。
- 2月26日夜 地元名士の家で宴会。
- 2月27日午前 ヴィースバーデンの貴族の館で室内楽の演奏会。ピアノ四重奏曲第3番他。
- 2月27日午後 別の貴族の館を訪問。
- 2月27日夜 某作曲家を訪問。
- 2月27日夜 列車でフランフルトに移動。定宿に投宿。
- 2月28日早朝 ヘンシシェルはベルリンに向かうがブラームスはウィーンに向けて列車で出発。
- 2月28日夜 ヘンシェルは日付の変わる前にベルリンに戻って日記を書く。
以上だ。赤文字で示したところが列車による移動。コブレンツからフランクフルトまでゆっくりと演奏会をこなしながらライン川に沿って遡る。ルートは効率的だが、日程はぎっしりだ。
2月26日は移動当日にリハーサルと本番をこなしている。コブレンツとヴィースバーデンは半日の距離とは言え、万が一列車事故にでも遭遇すれば、ぶっつけ本番になるハズだ。さらにこの路線は現代のライン右岸線で、当時Rheinbahnと呼ばれており、ブラームスはこの会社の株主だったことがある。売ってなければ株主優待があったかもしれない。
2月28日早朝にベルリンおよびウィーンに向けて出発するために、便のいいフランクフルトに夜のうちに移動しているのがわかる。
一般の伝記を列車移動の観点から読み直すと、いろいろ発見があって面白い。
最近のコメント