おかしなタイトルだがご辛抱いただく。
1873年だからドイツ帝国成立の2年後、通貨としてのマルクが導入された。ブラームス作品はこれ以降、事実上の独占出版権を持ったジムロック社からマルク建てで支払いを受けることになった。ブラームスから作品の原稿を買い上げる際に、ジムロックが支払った代金には、以下の通り取り決めがあった。
- 室内楽 3000マルク(およそ150万円)/曲
- 協奏曲 9000マルク(およそ450万円)/曲
- 交響曲 15000マルク(およそ750万円)/曲
交響曲は室内楽の5倍で、協奏曲は3倍だ。1891年に改訂されたピアノ三重奏には、ちょうど半額の1500マルクが支払われている。妙に整然とした体系で感心するばかりである。
ジムロックから支払われる原稿料は、楽譜に記される音符の数で決まっていたと思われる。編成が大きいほど、そして小節数が多いほど、高い金額が設定されていたとわかる。愛好家の間に巻き起こる感動の大きさとは必ずしもリンクしない。作り手のブラームスからしたら、脳内に出来た音楽を総譜に写す手間だけの差に違いないから、こうしたクールな設定で折り合っていたものと思われる。
その証拠に室内楽の買い取り価格3000マルクは、弦楽四重奏曲第3番op67から、最後の室内楽、クラリネットソナタ第2番まで、揺らぐことなく維持された。
問題は協奏曲だ。特にピアノ協奏曲第2番は、交響曲と同じ4楽章構成だったから小節数も多い上に、独奏楽器がピアノだから、音符の数が交響曲よりも膨らむ。少なくとも規模が小さいことで有名な第3交響曲よりは、手間がかかったのは確実だ。
おそらく、価格の見直しがあったのだろう。マッコークルの作品目録では、最後の交響曲と最後の協奏曲となった第4交響曲と、二重協奏曲において、原稿料不明としている。第四交響曲を20000マルクとし、二重協奏曲は15000マルクになったとにらんでいる。
最近のコメント