三等の客
1895年9月11日、オーストリア・トラウン湖の北岸グムンデンにあるミラー・ツー・アイヒホルツ邸で、ハンスリック70歳を祝うパーティーがあった。グムンデンはイシュルの北およそ32kmの位置にある。
出席者は、ハンスリックを中心にミラー家のメンバーのほか、ブラームス、ヨアヒム、マンディチェフスキー、ホイベルガー、ゴルトマルク夫妻、エプシュタイン夫妻。同日の午後から集まって21時半にはお開き。
ブラームスとマンディチェフスキーはイシュルに引き返す。ホイベルガー夫妻はイシュルからさらに南13kmほどのところにあるシュテークまで帰る。どちらも名高いザルツカンマーグート線で、乗り換え無しだ。
ここで面白いことが起きる。ホイベルガー夫妻はシュテークまで二等の切符を用意してあったのに対し、ブラームスは三等の切符を持っていた。32kmしかないので三等で十分と判断したのだろう。それはそれでよいのだが、ブラームスはホイベルガー夫妻も三等で帰るように言い張った。根負けしたホイベルガーはしぶしぶ三等で帰ったという。音楽界の重鎮ブラームスが自ら三等を手配していたとは驚きだが、それを子分のホイベルガーに強要したのはあり得る話だ。
音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻141ページにある話。
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