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カテゴリー「408 ハンスリック」の9件の記事

2014年9月11日 (木)

三等の客

1895年9月11日、オーストリア・トラウン湖の北岸グムンデンにあるミラー・ツー・アイヒホルツ邸で、ハンスリック70歳を祝うパーティーがあった。グムンデンはイシュルの北およそ32kmの位置にある。

出席者は、ハンスリックを中心にミラー家のメンバーのほか、ブラームス、ヨアヒム、マンディチェフスキー、ホイベルガー、ゴルトマルク夫妻、エプシュタイン夫妻。同日の午後から集まって21時半にはお開き。

ブラームスとマンディチェフスキーはイシュルに引き返す。ホイベルガー夫妻はイシュルからさらに南13kmほどのところにあるシュテークまで帰る。どちらも名高いザルツカンマーグート線で、乗り換え無しだ。

ここで面白いことが起きる。ホイベルガー夫妻はシュテークまで二等の切符を用意してあったのに対し、ブラームスは三等の切符を持っていた。32kmしかないので三等で十分と判断したのだろう。それはそれでよいのだが、ブラームスはホイベルガー夫妻も三等で帰るように言い張った。根負けしたホイベルガーはしぶしぶ三等で帰ったという。音楽界の重鎮ブラームスが自ら三等を手配していたとは驚きだが、それを子分のホイベルガーに強要したのはあり得る話だ。

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻141ページにある話。

2011年4月20日 (水)

ハンスリック

記事「欠席者のリスト」でブラームスの葬儀の欠席者を話題にした。参列して当然の大物4人が欠席していると問題を提起した。

  1. ハンス・リヒター
  2. ヨーゼフ・ヨアヒム
  3. グスタフ・マーラー
  4. エドゥワルド・ハンスリック

上記のうち3番までの3名は、みな演奏家だからキャンセル出来ぬ演奏会と重なったのだと推定した。

本日はハンスリックを話題にする。実はこのネタが載っている「ブラームスの実像」の最終章の末尾に訳注が振られている。最終章そのものはブラームスの葬儀の模様を伝える翌日の新聞記事の和訳だ。訳者は葬儀の様子を伝える記事を執筆し、無署名で寄稿したのがまさにハンスリックではないかと指摘している。

なるほど、記事は参列者でなければ判らないようなことまで克明に書かれている。さらに各国音楽界が送り込んだ要人の名前まで事細かである。翌日の新聞記事であることを考えると執筆者の情報網に嘆息せざると得ない。そして記事は「さらば親愛なる巨匠ヨハネス」と結ばれている。

以下推測だ。

ハンスリックは、19世紀後半の音楽界を2分した大論争の片側の当事者だ。そしてブラームスはいわば戦友だ。戦友の死を悼む最大の方法として、もっとも得意とする方法を採用したと考える。音楽評論界の重鎮として君臨するハンスリックにとってもっとも得意な方法とは、つまりペンを執ることだ。親友の旅立ちの様子を渾身のレポートとしてまとめ、無署名とすることでブラームスに頭を垂れたのだ。おそらく故人の近親者として葬儀の中心にいたに違いない自分の名を記事から抹殺することで最高の弔意を示したと解したい。

ハンスリックは欠席してはいなかった。

2011年4月15日 (金)

欠席者のリスト

人は何かとリストアップする。特定の条件を満たす要素を漏れなく拾い出しては表にする。その表に何かを物語らせたいからだ。表に現れた顔ぶれを分析して未知の傾向を読み取ろうと心を砕く。

書物「ブラームスの辞書」の狙いは、まさにそこにあった。ブラームス作品の楽譜に出現する楽語を抜き出してアルファベット順に並べる中から、ブラームスの用語使いの癖にたどり着きたいと心から願う立場だ。

ところが、リストに載ってきた事項もさることながら、逆にリストから漏れた事項が雄弁に何かを物語ることがある。4月7日の記事「poco p」がその例だ。

音楽之友社刊行、日本ブラームス協会編「ブラームスの実像」の最終章にブラームスの葬儀の模様が克明に描写されている。葬儀への参列者が個人団体を問わず列挙されているのだ。いわば「参列者リスト」だ。日本のような芳名帳があれば、量といい質といい貴重な逸品になったに違いない。

本日の論旨から申せば、今日の主役はそのリストに名前の無い人たちだ。ブラームスとの関係、当時の社会的地位から申して載っていてもおかしくない人物が抜けているのだ。

  1. ハンス・リヒター
  2. ヨーゼフ・ヨアヒム
  3. グスタフ・マーラー
  4. エドゥワルド・ハンスリック

この4人だ。ブラームスの昔の恋人アガーテが載っていないとしても、さほど驚くには当たらぬが、これら4名は「載っていてもおかしくない」どころではなくて「載ってなければならない」と感じる。もちろん記事の最後にはウィーン中の音楽関係者や友人が多数参列したと書かれているが、この4名がその他大勢として扱われるハズがない。

1番のハンス・リヒターは、1897年3月7日にウィーンフィルを指揮してブラームスの前で第4交響曲を演奏した。ウィーン市民は広く知られていたから、葬儀に欠席すれば目立つ。「ブラームスの実像」本文に欠席の理由が書いてある。ブダペストの演奏会と重なったためだそうだ。なるほど2番目のヨアヒムとともに2人は当代屈指の演奏家だ。友人恩人の葬儀といえどもコンサートのキャンセルなどおいそれと出来るものではないのだ。

ハンス・リヒターの欠席の理由になったブダペストの演奏会のプログラムを見てみたい。リヒターのことだ、ブラームスの訃報に接して予定のプログラムを急遽取りやめ、オールブラームスプログラムに差し替えるくらいのことはしていたかもしれない。

こうして見るとマーラーの欠席も合点が行く。今でこそ作曲家としての名声が定着しているが、若きマーラーは何よりもまず指揮者として台頭したのだ。

一概にマーラーを責めてはなるまい。

2011年1月17日 (月)

暗い泉

1886年1月17日。交響曲第4番のウィーン初演があった日だ。ハンス・リヒター指揮によるウィーンフィルの演奏だった。

ブラームスの盟友にして、音楽批評界の大物エドゥワルド・ハンスリックの演奏評が残されている。彼は交響曲第4番の終楽章を「暗い泉」と評した。作品全体の印象として、ただちに魅力の全貌を把握することが難しいと一般受けを心配している。

「ブラームスの第4交響曲のフィナーレとかけて、暗い泉と解く」

「その心は」と問われて、「深く見入れば見入るほど、星の光が明るく、輝き映える」と答えた。さすがである。ブラームス本人は恥ずかしがるだろうが、作品は雄弁で、バッハに着想を得たこの終楽章は知れば知るほどはまり込む。

2010年2月12日 (金)

理性と心

ブラームスとドヴォルザーク共通の知人で、19世紀後半の楽壇に君臨したハンスリックが、この両者を評したたとえがある。出所がやや怪しい話だから鵜呑みは厳禁だが、興味深いことにかけては世界遺産級なので、言及しておく。

「理性と心のブラームス、心と理性のドヴォルザーク」

含蓄がある。言い得て妙だ。「理性と心」の意味は多様だから難解であることは動かし難いが、その分奥行きも味わいもある言葉だと思う。ハンスリックの立場が親ブラームスであると同時に親ドヴォルザークであるということは重要だ。2人への好意を下敷きにした喩えである。ハンスリック程の音楽評の大家だから大衆を納得させる言い回しについては、折り紙付きだ。平易なたとえを用いて事の本質を突くことが仕事でさえある。

理性や心がそれぞれどのようなドイツ語の反映なのか確認も必要だが、理性を知、心を情と置き換えたり、理性を形式、心を旋律と置き換えてみるのも一興だろう。2人ともそれらのバランスが絶妙であることが言い表されていると感じる。

与謝野鉄幹先生の言う「六分の侠気、四分の熱」を思い出した。

2010年2月10日 (水)

ハンスリックの懸念

米国から帰国後、1895年に発表された2曲の弦楽四重奏曲を最後に、ドヴォルザークが絶対音楽から遠ざかったことは昨日書いた。

オペラや交響詩に関心が移ったのだ。1896年に発表されたのが3曲の交響詩だ。「水の精」「真昼の魔女」「金の紡ぎ車」だ。このうち前2曲がハンス・リヒターの指揮で、ウィーンでも演奏された。

これを聴いたハンスリックは、ドヴォルザークの作風の変化を敏感に感じ取り、リヒャルト・シュトラウスのようになりはせぬかと心配した。「絶対音楽」の旗手一人が、陣営から出て行くという危機感を持ったと解されている。

思い詰めたハンスリックは、もう一人の旗手ブラームスに相談を持ちかけた。「友人として警告をすべきかどうか」である。その警告が実際に発せられたのかどうかホノルカ博士の伝記では曖昧に書かれているが、結果としてドヴォルザークは「英雄の歌」を書く。交響詩の路線をひた走るのだ。

このときのブラームスの反応は伝えられていないが、残された作品群を見ればハンスリックの懸念は、あながち的はずれとは言えない。

2010年1月17日 (日)

ホ短調の交響曲

1886年1月17日は交響曲第4番のウィーン初演があった日だ。ハンス・リヒター指揮ウィーンフィルハーモニーの演奏である。これについてのハンスリックの演奏評が残っている。この批評の中に興味深い部分があった。

ハンスリックは、交響曲第4番の調性「ホ短調」を指して、「それこそがまさに独創的」と指摘している。交響曲の第1楽章に「ホ短調」を採用することがそもそも珍しいという観点だ。

本当だろうか

  1. 1771年 ハイドン44番
  2. 1885年 ブラームス4番
  3. 1888年 チャイコフスキー5番
  4. 1893年 ドヴォルザーク9番「新世界より」
  5. 1899年 シベリウス1番
  6. 1905年 マーラー7番
  7. 1908年 ラフマニノフ2番
  8. 1943年 ハチャトゥリアン2番
  9. 1953年 ショスタコーヴィッチ10番

ご覧の通りだ。このほかに怪しいのはリムスキー・コルサコフの1番。1865年に変ホ短調として完成したが1884年にホ短調に改訂された。改訂版の初演は1885年12月4日だからブラームスの4番よりは約1ヶ月遅い。

直感としてはハイドンの44番以来114年途絶えていたホ短調交響曲をブラームスが復活したように見える。ハンスリックは、その点を鋭く指摘していると思われる。それを皮切りに他の作曲家が次々とホ短調交響曲に殺到したように思える。つまりドヴォルザークも殺到組の一員ということになる。

古来ブラームスの保守性の指摘に熱心な人は多いけれど、ホ短調交響曲の復活についてはあまり大きくは取り上げられない。

それにしてもハイドンの44番とは何者だ。1872年から1875年まで3シーズンの間ウィーン楽友協会芸術監督の座にあったブラームスは、在任期間中の演奏曲目に原則として交響曲を取り上げていない。ところがたった一つ例外がある。それが今日話題のハイドン作曲交響曲第44番ホ短調だった。(←コメント欄に注記あり)

演奏会で取り上げるにあたってブラームスがハイドンの44番を十分に研究していたことは確実だから、単なる奇遇とばかりも言えない気がしている。

2010年1月12日 (火)

ハンスリックのコメント

ドヴォルザークを世に送り出すキッカケが、オーストリア国家奨学金制度だったことは既に述べた。「若く」「貧しく」「才能ある」作曲家の発掘が狙いだった。そこで審査員をしていたブラームスの目にとまったことがドヴォルザークの転機になった。審査員メンバーの中にもう一人大物がいた。それがエドゥワルド・ハンスリックだった。反ワーグナーの論陣を張るウィーン楽壇最高の批評家だ。

ドヴォルザークに対するハンスリックのコメントが残っている。

奨学金の狙いは「若く貧しく才能ある作曲家の発掘」だったが、応募者のほとんどが、若くて貧しいという条件だけしか満たさない中、プラハのアントンの習作が大きな喜びをもたらした。

さすがにウィーン批評界の大御所だ。スパイスの効いたコメントで、ドヴォルザークという原石の発見を喜んでいる。

ブラームスの熱狂に加え、ハンスリックの高評価が、その後5年の奨学金獲得の前兆だったと見て間違いあるまい。

2008年4月11日 (金)

ハンスリックの本心

メンデルスゾーンによる「マタイ受難曲」の再演を契機に、バッハの復興が進んだことはよく知られている。それにつれて演奏の機会も多くなった。時は19世紀後半、音楽史的に申せばロマン派が爛熟にむかう時代だ。

バッハのカンタータや受難曲に現われるレチタティーボ・セッコは本来、通奏低音のみが歌の声部に付随するのが通例だったが、時代背景に触発されてか、ワーグナー風の大管弦楽に伴奏させてしまうような解釈が現われた。ロベルト・フランツというハレの作曲家兼指揮者がその代表だ。シューマンとリストを足したような名前が出来過ぎ風だが、本当である。

当時欧州の楽壇を2分する論争があったことは有名だが、大管弦楽伴奏のレチタティーボはワーグナー派から称賛をもって迎えられた。これらの動きはシュピッタのような学者からは支持されず、バッハ作品の演奏解釈上の小論争に発展した。ブラームスは直接論争に参加した訳ではないが、言うまでも無くシュピッタ側だ。小論争と言うのは、間もなく論争が終わったからだ。どちらの勝ちかは申すまでもあるまい。

この小論争について調べているうちに意外なことに気付いた。反ワーグナーの論陣の主役であった批評家のハンスリックは、大管弦楽伴奏のレチタティーボ演奏を支持したというのだ。申すまでも無くハンスリックは反ワーグナーを唱える一方でブラームスを擁護したから、大管弦楽伴奏の支持には違和感がある。

ブラームスを擁護したハンスリックだが、このあたりの波長のズレは気になる。ハンスリックは当初ワーグナーに心酔し、後からアンチワーグナーに転じたといわれているけれども、心の底からブラームスラブだったのだろうか。この手のズレを見せられると本当はやっぱしワーグナーだったのではあるまいかと勘ぐりたくなってしまう。

何やら事情がありそうだ。

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