オイゼビウス・マンディチェフスキー(Eusebius Mandyczewski1857-1929)はブラームスの友人だ。少し詳しい伝記には載っている。友人というより「一の子分」という雰囲気である。もちろんキチンとした音楽家である。私がオケにのめり込み始めた頃のスター指揮者だったカール・ベームやジョージョ・セルの恩師でもあるくらいだから、よっぽどの人物なのだ。
彼はブラームスに心酔するあまりほとんど「無給の秘書」状態だったという。
さて晩年になって十分な収入を得るようになっても、ブラームスは質素な生活をした。趣味は古楽譜や書籍の収集だ。だから彼は膨大なコレクションを残した。手回しのいいブラームスは貴重な文献の寄贈先を生前に決定していた。それはつまりウイーン楽友協会だ。そのウイーン楽友協会の司書を務めていたのがマンディチェフスキーその人である。司書とはまさに楽友協会の蔵書の番人だ。ブラームスライブラリーの管理人としてうってつけの人物である。
もちろん彼の功績はそれにとどまらない。楽譜校訂をさせても一流だった。シューベルト全集の編集主幹として仕切ったことをブラームスに誉められている。そのほかブラームスと共同で何人かの作曲家の楽譜を校訂している上に、御大ブラームス作品の校訂者にもなっている。我が家にもある。「4手のためのピアノ曲楽友協会版」の校訂者がマンディチェフスキーその人になっている。
ブラームスの生きた19世紀後半は、バッハ再興と平行して音楽学が根付いて行った時代だ。ブラームスは気鋭の音楽学者たちとの交流を通じて、最先端の音楽学を吸収していた。音楽の研究にとって、作曲家の自筆譜を含む古楽譜が超一級の資料であることを自覚していたハズだ。自らのコレクションが音楽学に多大な貢献をする宝の山であることさえ知っていたに決まっている。
だからブラームスは迷わずマンディチェフスキーにコレクションを委ねた。ブラームスのコレクションはその全量が散逸することなく今日に伝えられた。
思いがけないところから貴重な楽譜が発見されるという楽しみと引き換えだ。
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