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カテゴリー「412 ヴィトマン」の6件の記事

2014年10月12日 (日)

広告付き切符

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第3巻78ページ。友人のヴィトマンの証言。日用品の改良には敏感なブラームスというくだり。ヴィトマンはブラームスが広告付きの馬車鉄道切符に感心していたと証言している。

この証言はいろいろな意味で貴重。1886年のこの段階で、馬車鉄道がまだまだ残っていたという証拠になる。馬車鉄道に乗るのに切符が必要だったことも判る。買い求めた切符に広告が印刷されておりブラームスがこれに感心したというニュアンス。それが以前には無かった新機軸だということが仄めかされている。同時に広告媒体としての切符の可能性を評価しているとも思われる。

これがスイスの話なのか、ドイツの話なのか、はたまたオーストリアの話なのか不明なのが残念だ。

2014年8月 5日 (火)

ベルン行

音楽之友社刊行の「作曲家◎人と作品シリーズ」のブラームスは170ページに興味深い記述。スイス・トゥーンに滞在したブラームスがときどきベルンのヴィトマンを鉄道に乗って訪ねたと書かれている。

ベルンはスイスの首都で、トゥーンの北北西31kmの位置。東京と千葉くらいの距離。実はバーゼルからベルン、トゥ-ンを経て南下し、シンプロントンネルを抜けてミラノに至るルートは当時も今も大動脈だ。現在では30分ごとに特急が行き来する。その特急に乗ってしまうとトゥーンの次はもうベルンで、所要時間は18分でしかない。

トゥーン滞在時のブラームスの生活は規則正しくて、5時に起きて散歩とコーヒー。作曲は午前中に済ませて午後は知人を訪ねるというものだった。ベルン訪問は午後からでも十分に可能な距離、特急に乗らなくてもOKだったと思われる。

2014年5月10日 (土)

イタリアンエキスプレス

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第3巻145ページに厄介な記述がある。ヨーゼフ・ヴィトマンがブラームスと同行したイタリア旅行について証言している。気になるのは以下の件り。

「ブラームスはフロイントと、アンコーナ経由でウィーンに向かう汽車に乗り込んだ」

詳しい状況を少し加える。1893年5月7日、60歳の誕生日をナポリで過ごしたブラームスが、ウィーンに引き返すルートを1文で記したものと考えていい。日付はおそらく8日~10日あたりと推定される。フロイントとは人名で、イタリアに同行したハンガリーの音楽家だ。

何が厄介かというと、何よりも今ナポリ-ウィーン間に直通列車はない。当時はあったのだろうか。伊墺間の国際特急は、全てローマ止まりで、ナポリへは乗り換え必須になっている。しかも乗換えが発生するとしたら、ローマが自然だ。

ところがこの文を素直に解釈すると「ウィーンとナポリに直通列車があった」「それもアンコーナ経由」というように読める。ナポリは「イタリア長靴」のすねのあたり。アンコーナは反対側、ふくらはぎのあたり。ナポリからイアリア半島を横切ってアンコーナに辿りつかねばならない。現代の鉄道地図で見る限り、その路線にはいくつか候補があるけれど、どれも幹線とは言えない。「ローマ経由じゃなさそう」に見せかけて実はローマに到達したのち、アンコーナ周りになっていた可能性もあるにはある。

  • 疑問① 当時はナポリ-ウイーンに直通列車があったのか?
  • 疑問② その直通はローマ非経由のアンコーナ回りとすると、イタリア半島横断のルートはどこか?
  • 疑問③ ナポリ→ローマ→アンコーナという経路の直通列車があったのか?

アンコーナまでたどり着けば、そこから先はウィーンまで当時も今も大幹線となる。ボローニャを経由してやがてヴェニスに至る。ナポリからベルンに戻った友人ヴィトマンは、ヴェニスで投函されたブラームスからのハガキを受け取っているから、ヴェニス経由は明らかだ。ヴィラッハでオーストリアに入り、やがて名高いゼメリンクを通ってウィーンにたどり着く。このルートがとても自然であるだけに、ナポリ-アンコーナ間の記述が不自然に浮かび上がる。

直通ではなくて、アンコーナやボローニャで乗り換えたなら、ぐっと現実味がある。

37代引退公演・第21回スペシャルコンサートは明日。

4週間前から続けてきたスペシャルコンサートへの秒読みだが、今日で最後となる。現実とはいえ、切ない秒読みだった。

2012年12月11日 (火)

喧嘩の原因

イタリア旅行に3度同行し、スイス・トゥーンの滞在でも世話になったスイスの作家ヴィトマンとは、1888年に絶交寸前の喧嘩をした。

原因は政治。ヴィトマンは共和的な考えの持ち主であるのに、ブラームスは保守なので、元々一触即発なのだが、お互いがその話題に触れぬことでバランスが保たれてきたのだが、このときは違った。ドイツ皇帝ウィルヘルム1世の崩御、あとを継いだフリードリヒ3世も3ヵ月後になくなった。若きウィルヘルム2世が登場し、方向転換が図られる。即位間もないウイルヘルム2世の演説をヴィトマンが「国粋的過ぎる」と批判したことがキッカケで行き違いが起きた。

共通の知人の仲裁で絶交には至らなかったが、この年限りで夏の滞在地にトゥーンが選ばれることはなくなる。

2012年9月28日 (金)

低温と長雨

ブラームスがクラカタウ山の大噴火を知っていたかもしれないと書いた。ブラームスの伝記にその痕跡が残っていやせぬかと真剣に探したが、どうやら有力候補を見つけた。

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第3巻88ページ。トゥーンに滞在中のブラームスが、低温と長雨にたたられた退屈しのぎに、ベルンのヴィトマン邸を訪れる機会が増えたとある。この夏の低温を話題にしたヴィトマンとブラームスのいくつかのやり取りが証言されている。

それは1887年の夏。1883年8月に大噴火したクラカタウの影響で、その後1888年まで世界中で異常低温が観測されたという事実と符合する。

2008年11月21日 (金)

忠犬アルゴス

音楽之友社刊行「ブラームス回想録集」第3巻92ページだ。ブラームスの友人でスイスの詩人ヴィトマンの記述に感動的な話が載っている。

ブラームスとヴィトマンは愛犬アルゴスを連れてインターラーケンに程近いグリンデルヴァルトに出かけた。アイガーをバックに雄大な氷河を望むアルプス有数の名所だ。ハプニングはここで起きた。愛犬アルゴスとはぐれてしまうのだ。泣く泣く捜索を諦めてヴィトマンとブラームスはベルンのヴィトマン邸に帰った。金曜日のことだ。

週明けの月曜日の朝。ブラームスはクララのいるバーデンバーデンに向かうために身づくろいをしていると、ドアをひっかく音。何とアルゴスがベルンに帰還したのだ。一家総出の大騒ぎの中、ブラームスは自分の出発も忘れてアルゴスをくしゃくしゃにした。「そこいらの忠犬物語じゃないんだぞ」と叫んだという。

ヴィトマンは回想録の中で具体的な地名を挙げてアルゴスの苦難の道のりを思い遣る。

  1. アイガーの中腹にそって
  2. シャイデック Scheideggと
  3. ヴェンゲン Wengen を越え
  4. ラウターブルンネン Lauterbrunnen
  5. インターラーケン Interlaken
  6. そこからトゥーン湖畔
  7. 最後にベルンへ

という具合だ。これを先に買い求めた地図上でトレースした。これはイーターラーケンからの登山鉄道の西回りだと判る。ここに出た地名は現在の観光ガイドでは欠かされる事のない景勝地ばかりだ。4番ラウターブルンネンまでは上記のルート通りにアプト式鉄道が走っている。つまり下りとはいえ相当な勾配だということがわかる。ブラームスが訪ねた当時もこのアプト式鉄道があったが、飼い主とはぐれた犬が乗車出来たとは思えない。だからこのルートはヴィトマンの推定でしかないのだ。インターラーケンからトゥーンの間に横たわるトゥーン湖の北岸を進んだのか南岸をたどったのかさえわからない。

現代のスイスの観光ガイドを読む限り、犬が単独でインターラーケンに下山するならグリンデルワルトからツヴァイリュッチネンに直行する東回りの方が現実的と感じる。あるいはアルゴス号が主を乗せた列車が西回り線を走り去るところを見ていた可能性もある。だから線路をずっとたどったと考えると西回りという可能性も残る。

いずれにしろ総延長60kmは下るまい。金曜日にはぐれてから、3昼夜でベルンに帰還したのだ。さらにヴィトマンの記述にはアルゴスが子犬であったことが仄めかされている。これを犬の嗅覚は鋭いからとか、単なる帰巣本能でと論評するのは容易いが、地図上でトレースしてみてアルゴス号の凄さがわかった。もしかするとアルゴス号は主人ヴィトマンに連れられて何度かグリンデルワルトを訪れたことがあるのかもしれない。そう考えねばにわかには信じられない。東京から東海道線に乗れば平塚くらいで、大阪からなら明石の少し先までに相当するが、行程のアップダウンはそれらの比ではあるまい。

ブラームスはその後の手紙でアルゴス号に言及している。「パン切れなんかじゃなく、肉を与えてくれ」「きっとブラームスからの挨拶だと思ってくれるはずだ」とある。

地図は楽しい。

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