導音に至る6度下降
民謡学者エルクは、ライフワークとなった民謡収集活動を通じてドイツ民謡の始源の姿を突き止めようとした。近代に作曲された民謡風歌曲と本来の民謡の峻別を試みた。現代の研究成果から申せば、それらの区別にはほぼ意味がないと結論付けられてはいるのだが、当時は大まじめだった。
エルクは、旋律の形質をキーに、いくつかの基準を示した。そのうちの一つが本日のお題「導音に至る6度の下降」だ。こうした旋律が現れたらそれは古来の民謡ではなく、近代以降に作曲された「民謡風歌曲」だということだ。
言われてみればブラームスの歌曲にも「導音に至る6度下降」は、いくつか例が見つかる。
先日来話題にしているヴィヴァルディの「調和の霊感」からホ長調協奏曲op3-12の第2楽章7小節目の「cantabile」に触発されて楽譜を眺めていたら、なんとなんと「導音に至る6度下降」があるではないか。
同コンチェルトの魂ともいうべき「レ抜き音階」の到達点「ロ音」から「嬰ニ音」へ6度の下降だ。「嬰ニ音」は半音せりあがって「ホ音」に進む。「嬰ニ音」は、到達点の「ホ音」に対する導音だから、全体として「6度下降→半音上昇」ということになる。つまり「6度下降して導音に至っている」ということだ。
ドイツ民謡学の泰斗が、旋律の「近代性」と判断する目安とした「導音に至る6度下降」の実例がヴィヴァルディに現れていた。
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