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カテゴリー「432 リーズル」の6件の記事

2018年7月 8日 (日)

ハインリッヒ・ヘルツォーゲンベルク

Heinrich von Herzogenberg(1843-1900)グラーツで生まれたオーストリアの作曲家。

彼の愛妻リーズルは、ブラームスから贈られた作品の草稿をもとに、しばしば鋭い批評を展開しブラームスを喜ばせた。晩年のクララは、自分の優先順位が下がったと感じヘソを曲げたとも言われている程だ。

op69以降の諸作品について議論した2人の往復書簡は、研究家垂涎の第一級の資料になっている。ブラームスは彼女の批評を元に作品を改訂したことは滅多になかったが、批評を乞うことを止めようとはしなかった。彼女とのやりとりそのものが楽しかった感じである。

彼女との文通で厄介なことが一つだけあった。ブラームスが作品を送ると、ときどき亭主ハインリッヒの作品が送られて来ることだった。もちろんコメントを求められているのだ。出来る限りスルーを決め込んでいたブラームスだが、やむにやまれず不器用なコメントを返した。対位法の大家ブラームスといえどもこれは難儀だったと見えて、リーズルの機嫌を損ねないでやり過ごすのに汲々としてしていたらしい。

ブラームスは楽譜を見ただけで作品の価値をたちどころに見抜いていたし、その作者の才能の奥行きまでも読み切っていたことは疑い得ない。称賛ばかりがとどまらぬドヴォルザークとハインリッヒの差は歴然である。

そうはいっても、彼は記念碑委員会の発起人の一人であり、ライプチヒ・バッハ協会の芸術監督まで務めた大物だ。ブラームスがライプチヒ訪問の度に夫妻に会っていたくらいの関係である。

2009年12月 5日 (土)

いけにえ

大切なことを実現するために差し出される物のこと。いわば願をかける神に捧げる担保だ。昔は生き物の命を捧げていたのだ。

ブラームスがモーツアルトのアンダンテを聴いていたときのエピソードだ。曲名は不明ながらアンダンテということは確からしい。隣で聴いていたリーズルことエリザベート・フォン・ヘルツォーゲンベルクに耳打ちした。

「こんなアンダンテが書けるなら僕のガラクタ全部やっちゃうよ」

ブラームスのモーツアルトへの敬愛ぶりが伺える話だ。自作全部と交換に応じてもいいという意味だ。一途で健気なブラームスである。

ドヴォルザークにも似たような話が伝わっている。自作全部をいけにえとして引き換えという意味では先のブラームスと同じだが、ドヴォルザークの方が数段大胆だ。「もし本物の機関車が手に入るなら、自作全部と引き換えでも構わない」とつぶやいたという。ドヴォルザークは相当な鉄道マニアだったのだ。プラハからドレスデンに向かう鉄道が故郷のネラホセヴェスを通っている。プラハ・ジトナー通りの自宅はフランツ・ヨーゼフ駅の至近だ。列車の走行音の異常に気付いて、車掌に知らせて事故を未然に防いだ話もある。アメリカ行きを承諾したのは大陸横断鉄道を見たいからという説もあるくらいだ。

2009年11月 5日 (木)

報酬の送金先

作品の原稿料として出版社からブラームスに支払われる報酬は、ブラームスの口座に振り込まれたと見るのが自然だ。ジムロックはブラームスの友人にして大出版社の経営者だ。さらにはブラームスの信任厚き財産管理人でもある。だからジムロックはブラームスに作品の報酬を支払うとは言っても、原則として自分が管理するブラームスの口座に送金するだけだった。

ところがだ。「雨の歌」の通称で名高いヴァイオリンソナタ第1番ト長調op78は例外だった。3000マルク(約150万円)という金額はいつもの通りだったが、その振込先をブラームスから特に指示されたのだ。その送金先を見て驚いた。

シューマン基金だ。そんな例は他に無い。

シューマン基金への寄付は、事実上クララへの送金と見てよい。ヴァイオリンソナタ第1番の報酬全額をそっくりクララに贈ったようなものだ。

ヴァイオリンソナタ第1番の引用元歌曲「雨の歌」op59-3にテキストを供給したクラウス・グロートをブラームスに紹介したのはクララだった。あるいは2008年2月16日の記事「天国に持って行きたい」を思い出して欲しい。

この珠玉のソナタはフェリクスの想い出が詰まった曲だ。天国のフェリクスに聴かせたいとクララが願った曲だ。おそらくブラームスはその願いに答えたのだ。作品をクララに献呈するという形式を取らずに、それでいてクララへの贈り物であることを記憶する方法を考えたに違いない。何故ならこのソナタはリーズルことエリザベート・フォン・ヘルツォーゲンベルクから献呈をねだられたのに対し、別の曲「2つのラプソディ」op79を献呈してごまかしている。だからこのソナタを大っぴらにクララに献呈しては、今度はリーズルの機嫌を損ないかねない。

表面上このト長調ソナタは誰にも献呈されていないが、報酬全額をシューマン基金に寄付することでけじめをつけたと見た。このソナタが断固クララ母子への贈り物であることを、リーズルに秘匿しつつ表明したようなものだ。

フェリクスの名付け親でもあったブラームスのけじめ。

最近こういうのをカッコいいと感じるようになった。歳だろうか。

2009年4月 6日 (月)

46の和音3連発

「霊感の涸渇をごまかすために46の和音を用いてはならない」

ブラームスはこう言って弟子のグスタフ・イエンナーを戒めた。46の和音とは和音の第二展開形のニックネームだ。

作品が出来上がったら46の和音の場所を全部抜き出して必然性が伴っているかチェックせよと言うのだ。イエンナーは後年この方法が非常に有効だったと回想している。

「まどろみはいよいよ浅く」という歌曲がある。作品番号105-2を背負う。全長53小節の小品ながらブラームス後期歌曲の代表作という位置付けにある。

その43小節目にGdurの46の和音がある。音名にして低い方から「DGH」だ。この和音の骨格は2小節続き、45小節目ではBdurの46の和音になる。音名にして「FBD」だ。2連続の46の和音だが、驚いてはいけない。さらに2小節後の47小節目には「AsDesF」つまり変ニ長調の46の和音が現われる。つまり「DGH」→「FBD」→「AsDesF」という具合に46の和音が3回連続で出現しているというわけだ。

作品の草稿を送られたリーズルことエリザベート・フォン・ヘルツォーゲンベルクは、この46の和音の連続に「掟違反だ」と噛み付いた。ブラームスもそれを認めているが、結局これを最終稿とした。

つまり必然性が説明出来るということだ。むしろこの進行こそが「まどろみはいよいよ浅く」を結末に導く重要な手順になっていると感じる。

でもって今日は4月6日である。

明日から歌曲特集は10日間の休憩に入る。記事の更新は続くがカテゴリー「31 歌曲」に属する記事を公開しない。

2008年2月16日 (土)

天国に持って行きたい

自作を聴いた聴衆から「天国に持って行きたい」と言われたら作曲家は相当嬉しいと思う。そう言ったのが、親しい女性だったら尚更である。

実際にクララは、こういってブラームスのヴァイオリンソナタ第1番op78を誉めた。特に第3楽章がこの言い回しの対象だったと伝えられている。ブラームスの喜びはいかほどだっただろう。どうもこの作品は女性たちの感性に深く訴えるようだ。才色兼備のリーズルことエリザベート・フォン・ヘルツォーゲンベルグもその一人だ。あろうことか彼女はヴァイオリンソナタ第1番を自分に献呈して欲しいとねだったのだ。ところが親密度ではクララと並ぶ彼女のおねだりだが、実現していない。op78は誰にも献呈されていないのだ。代わりにop78次の番号op79の「2つのラプソディ」がリーズルに献じられた。この2つの作品は同じ年の夏にペルチャッハで完成を見た。このことはとても重要だ。op78は絶対に献呈出来ないという事情の裏返しと見える。代わりにop79を差し出したことは明白である。代わりに差し出したのが「ラプソディ」ならリーズルも満足だろう。

ちなみに「ブラームスの辞書」op78の持ち主は我が家の次女になっている。光栄だ。

ヴァイオリンソナタ第1番op78がリーズルのおねだりにもかかわらず、誰にも献じられていないのは、深い訳がある。クララから「天国に持って行きたい」と言って誉められた作品を別の人に献ずるハズがないのだ。そしてさらに決定的な要因がある。

クララの最後の子供フェリクスは、元来病弱だった。1878年、フェリクスの名付け親でもあったブラームスは病に伏せっていたフェリクスを見舞う手紙をクララにしたためる。ヴァイオリンをたしなんだというフェリクスにちなんで、ヴァイオリンソナタ第1番の第2楽章の冒頭部分の楽譜を24小節にわたって引用した手紙でクララを慰めたのだ。

薬石効無く、明くる1879年2月16日つまり129年前の今日フェリクスはこの世を去る。ヴァイオリンソナタ第1番の完成はその年の秋である。その第2楽章を聴いたクララは、ただちにそれがフェリクスへの見舞いの旋律だと察したに違いない。そして「雨の日には幼い頃を思い出す」という趣旨のテキストをもつ歌曲「雨の歌」の旋律で始まる第3楽章中で、この旋律が回想されるのを聴くに及んで「天国に持って行きたい」と称した。これには「持って行ってフェリクスに聴かせたい」という意味があったに決まっているではないか。当然ブラームスもその意図を察知する。いやそれが察知出来ないような男だったら、こんな曲は書けまい。この曲がリーズルに献じられたらクララをどれほど傷つけるか私でさえ想像出来る。

だから、間違ってもこのソナタを誰かに献呈出来るハズがないのだ。それがリーズルであってもである。

フェリクスの調

名付け親

2006年4月30日 (日)

リーズルの思い出

「p molto espressivo e dolce」という用語が生涯で一回使われている。

一昨日の記事と比較していただきたい。「molto dolce ed espressivo」が生涯で二回使用されているという記事だった。もはや日本語訳を律儀に記述するのは野暮の領域だ。ましてや「molto dolce ed espressivo」との比較論を延々と論じるなぞもってのほかだ。「空気を読む」としか言えない。

「molto dolce ed espressivo」がピアノ協奏曲第一番の緩徐楽章とあまりメジャーでない歌曲の冒頭に配置されていたことは一昨日述べたとおりだ。実を言うと本日話題の「p molto espressivo e dolce」もまた歌曲のピアノ伴奏冒頭に一回だけ出現する。作品32-9だ。この歌曲の原題「Wie bist du meine konigin」となっているが、日本語訳が定着していない。「いかにおわすか我が女王」「わが妃よ、そなたは何と」など翻訳者の苦労ばかりが透けて見える。近いうちに意訳委員会を開催せねばなるまい。

ブラームスの伝記には必ず出現する女性のランキングを作ると第一位のロベルト・シューマン夫人のクララは順当として、第二位をアガーテ・フォン・ジーボルトと争いそうな候補にエリザベート・フォン・ヘルツォーゲンベルグがいる。ブラームスより16歳年下だ。ブラームスに弟子入りしたが、あまりの美貌と才能に恐れをなしたブラームスが他の先生に押し付けてしまったというエピソードで名高い。愛称はリーズルである。

実はこの作品32-9は、彼女リーズルことエリザベート・フォン・ヘルツォーゲンベルグを想って作曲されたものだという。それにしてもピッタリの詩をよく見つけてきたものだ。大切な小鳥を両掌でそっと受け取るかのような絶妙なニュアンスを冒頭の「p molto espressivo e dolce」にこめたものと推察できる。4節目で「そなたの腕の中で息絶えることを許し給え」と歌っているが、彼女はブラームスより早くこの世を去る。

訃報を聞いたブラームスが彼女の思い出のために作った歌もまた残されている。作品121「四つの厳粛な歌」の最後を飾る第四曲がそれだという。他の3曲より実は作曲時期が早いことがその根拠とされるが、土壇場92小節目からの7拍間の旋律が、作品32-9のこれまた土壇場77小節目からの7拍間の旋律とピタリと一致する。

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