卵の上を歩け
ヴァイオリンソナタ第3番のエピソードだ。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第3巻47ページ。クララ・シューマンの四女オイゲーニエが母クララの言葉を書き留めている。同曲第3楽章の155小節目ピアノに現れる「Tranquillo」のことに言及して、「あそこは卵の上を歩くようなものよ」と述べている。
巧妙な言い回しだ。すぐに比喩だとわかる。「卵の上を歩く」訳が無いからだ。クララにだって経験があるわけではなかろう。そしてこの言い回しには「卵の上を割らずに歩く」という意味が内蔵されていると思っている。歩きながら卵を割りまくる訳ではないと心得たい。だからこそ「並外れて微妙で」「用心が要る」という意味になる。
「Tranquillo」単独では「静まって」という意味なのだが、この部分は「とりわけ微妙でっせ」というクララの認識を表していると見て間違いがない。
それにしてもクララ一家はうらやましい。楽譜上の単語1個について、これほど具体的な会話が親子で交わされているということだ。オイゲーニエはこのことをずっと心に留めていたある日、クララの家でブラームス本人がピアノを受け持ってこの曲に挑むのを聴く機会を得た。
ブラームスは問題の「Tranquillo」に差し掛かると、大幅にテンポを落として切り抜けたと証言している。「ブラームスさんはつま先立ちで歩いたんだわ」と姉のマリエと喜び合ったという。
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