エリザベス女王
9月8日に96歳で崩御した英国のエリザベス女王の葬儀が今日19日に執り行われるという。始まったばかりの源実朝特集を敢然とさえぎって言及する。
このお歳で公務をこなし、先般トラス新首相と握手したばかりなので驚いた。87歳の母がポツリとつぶやいた。「葬儀を敬老の日に合わせるとはさすがだねぇ」「私もまだまだがんばらねば」と。日本の祝日に合わせるはずもないのだが、母は冗談のつもりではないようだ。
母とともに心からご冥福を祈る。
9月8日に96歳で崩御した英国のエリザベス女王の葬儀が今日19日に執り行われるという。始まったばかりの源実朝特集を敢然とさえぎって言及する。
このお歳で公務をこなし、先般トラス新首相と握手したばかりなので驚いた。87歳の母がポツリとつぶやいた。「葬儀を敬老の日に合わせるとはさすがだねぇ」「私もまだまだがんばらねば」と。日本の祝日に合わせるはずもないのだが、母は冗談のつもりではないようだ。
母とともに心からご冥福を祈る。
漢字では「棕櫚」と書く。ほぼ「ナツメヤシ」のこと。
ブラームスの伝記の末尾、葬儀の記事の中、棺に棕櫚の枝が添えられていたと書かれている。一方シューマンの葬儀の記事の中にもやはり「棕櫚の枝」が現れる。
一体何かと思って調べたら昨日の記事「アトリビュート 」と大いに関係があった。西洋の絵画では人物が棕櫚の枝を持っていたらその人物は「殉教者」であることを意味するらしい。つまり棕櫚は殉教者のアトリビュートだった。殉教者とは一般に信仰に殉じた人のことだ。だからもちろんブラームスもシューマンも殉教者ではない。
けれども葬儀の際には棺に添えられていた。殉教者から派生して信仰厚き人を意味する小道具だったのだと思う。
ロベルト・シューマンの葬儀は1856年7月31日だった。没したのが29日だったからその翌々日の葬儀。ボン市長まで参列していたから、翌日の新聞くらいにはキチンと載っていたと思われる。
その葬儀から1週間以内という極めて近い時期に、歴史の教科書には必ず載っている発見があった。発見の場所はシューマン夫妻が住んでいたデュッセルドルフの東およそ13kmにある、洞窟の中だ。発見の詳しい日付は不詳だ。石灰岩採掘の作業員が骨片を見つけた。これが人骨であるという鑑定結果が出るのにおよそ1ヶ月かかり、地元の新聞には9月6日に掲載された。
これこそが名高いネアンデルタール人の発見である。ネアンデルの谷で発見された古代人なのだが、その洞窟は石灰岩の採掘のために取り壊されてしまった。それどころかネアンデルの谷もとろも削定されていた。産業革命を支えたセメントの材料を採掘するために、渓谷が丸ごと取り潰されてしまい、そこを流れる川は平地の真ん中を流れる川になってしまっていた。現在は学者の努力で、発見場所がほぼ特定されているが、谷間の洞窟までは復元されていない。
世界史の教科書には必ず掲載されるネアンデルタール人だが、音楽史的には無視されまくる。
昔こういうタイトルのフランス映画があった。音楽がキレイだったのでよく覚えている。鉄道員という言葉の響きが物憂げな訳あり感を醸しだすのに一役買っている。「鉄道員」とは、運転士、車掌、駅長、駅員、保線工あたりを総称しているような感じがする。社長や総裁は含めにくい雰囲気だ。助役あたりまでが限界と見た。語感からの直感だけで申せば女性を想定しにくい。
音楽之友社刊行の「ブラームスの実像」に、1897年4月6日に挙行されたブラームスの盛大な葬儀の様子が詳しく書いてある。葬儀当日に自宅に送られた膨大な数の花環の贈り主が列挙されていて貴重なのだが、その中に興味深い記述があった。
「オーストリア鉄道員合唱団」
思わず唸った。いったいどういう団体だろう。素直に読めば運転士、車掌、駅長、駅員、保線工の人々が仕事の合間に合唱をするサークル、たくましい男声合唱を想像する。葬儀に花環を贈るのだから一方ならぬ関係に決まっている。ブラームスの作品を演奏会で取り上げたのだろうか。あるいはメンバーの中にブラームスの知人がいたのだろうか。もしかするとブラームスが指導を買って出ていたかもしれない。
記事「欠席者のリスト」でブラームスの葬儀の欠席者を話題にした。参列して当然の大物4人が欠席していると問題を提起した。
上記のうち3番までの3名は、みな演奏家だからキャンセル出来ぬ演奏会と重なったのだと推定した。
本日はハンスリックを話題にする。実はこのネタが載っている「ブラームスの実像」の最終章の末尾に訳注が振られている。最終章そのものはブラームスの葬儀の模様を伝える翌日の新聞記事の和訳だ。訳者は葬儀の様子を伝える記事を執筆し、無署名で寄稿したのがまさにハンスリックではないかと指摘している。
なるほど、記事は参列者でなければ判らないようなことまで克明に書かれている。さらに各国音楽界が送り込んだ要人の名前まで事細かである。翌日の新聞記事であることを考えると執筆者の情報網に嘆息せざると得ない。そして記事は「さらば親愛なる巨匠ヨハネス」と結ばれている。
以下推測だ。
ハンスリックは、19世紀後半の音楽界を2分した大論争の片側の当事者だ。そしてブラームスはいわば戦友だ。戦友の死を悼む最大の方法として、もっとも得意とする方法を採用したと考える。音楽評論界の重鎮として君臨するハンスリックにとってもっとも得意な方法とは、つまりペンを執ることだ。親友の旅立ちの様子を渾身のレポートとしてまとめ、無署名とすることでブラームスに頭を垂れたのだ。おそらく故人の近親者として葬儀の中心にいたに違いない自分の名を記事から抹殺することで最高の弔意を示したと解したい。
ハンスリックは欠席してはいなかった。
グスタフ・マーラーが1897年4月16日にハンブルク最後の演奏会で、モーツアルトのレクイエムを演奏したと昨日書いたばかりだ。マーラーの演奏会の記録を調べていた興味深い発見をした。
そのハンブルクの演奏会の選曲がブラームスへの哀悼の意思表示だと推測したが、その直前の演奏会は、1897年3月31日ブダペストだった。4月1日から15日までちょうど15日間は、演奏会が空白だったのだ。マーラーの書簡集を調べるとどこにいたかがわかる。ウィーンにいたのだ。正確には4月1日から8日まで一週間のウィーン滞在だ。9日には友人宛の手紙がハンブルクから投函されている。これ4月16日のハンブルクでの最終公演を準備したものと思われる。
しかししかし、それならばブラームスの葬儀には出席出来たハズだ。4月13日の記事「ちょっとがっかり」で述べたように、ウィーン進出の恩人の葬儀に欠席とは水臭い。キャンセルの出来ぬ演奏会と重なっていたら仕方ないと4月15日の記事「欠席者のリスト」で書いたが、15日間も演奏会の空白があり、ましてやウィーンに滞在したと判明した以上、がっかりが復活する。
もし葬儀への欠席が事実なら4月16日の演奏会のモツレクには「葬儀欠席のお詫び」の意味もこめられていたに違いない。
人は何かとリストアップする。特定の条件を満たす要素を漏れなく拾い出しては表にする。その表に何かを物語らせたいからだ。表に現れた顔ぶれを分析して未知の傾向を読み取ろうと心を砕く。
書物「ブラームスの辞書」の狙いは、まさにそこにあった。ブラームス作品の楽譜に出現する楽語を抜き出してアルファベット順に並べる中から、ブラームスの用語使いの癖にたどり着きたいと心から願う立場だ。
ところが、リストに載ってきた事項もさることながら、逆にリストから漏れた事項が雄弁に何かを物語ることがある。4月7日の記事「poco p」がその例だ。
音楽之友社刊行、日本ブラームス協会編「ブラームスの実像」の最終章にブラームスの葬儀の模様が克明に描写されている。葬儀への参列者が個人団体を問わず列挙されているのだ。いわば「参列者リスト」だ。日本のような芳名帳があれば、量といい質といい貴重な逸品になったに違いない。
本日の論旨から申せば、今日の主役はそのリストに名前の無い人たちだ。ブラームスとの関係、当時の社会的地位から申して載っていてもおかしくない人物が抜けているのだ。
この4人だ。ブラームスの昔の恋人アガーテが載っていないとしても、さほど驚くには当たらぬが、これら4名は「載っていてもおかしくない」どころではなくて「載ってなければならない」と感じる。もちろん記事の最後にはウィーン中の音楽関係者や友人が多数参列したと書かれているが、この4名がその他大勢として扱われるハズがない。
1番のハンス・リヒターは、1897年3月7日にウィーンフィルを指揮してブラームスの前で第4交響曲を演奏した。ウィーン市民は広く知られていたから、葬儀に欠席すれば目立つ。「ブラームスの実像」本文に欠席の理由が書いてある。ブダペストの演奏会と重なったためだそうだ。なるほど2番目のヨアヒムとともに2人は当代屈指の演奏家だ。友人恩人の葬儀といえどもコンサートのキャンセルなどおいそれと出来るものではないのだ。
ハンス・リヒターの欠席の理由になったブダペストの演奏会のプログラムを見てみたい。リヒターのことだ、ブラームスの訃報に接して予定のプログラムを急遽取りやめ、オールブラームスプログラムに差し替えるくらいのことはしていたかもしれない。
こうして見るとマーラーの欠席も合点が行く。今でこそ作曲家としての名声が定着しているが、若きマーラーは何よりもまず指揮者として台頭したのだ。
一概にマーラーを責めてはなるまい。
4月12日の記事「宮廷歌劇場指揮者」で、マーラーのウィーン進出がブラームス没のあわただしさの中で行われたと書いた。
マーラーは、ハンブルク市立歌劇場指揮者の身でありながら、ポスト獲得活動のためにウィーンに滞在していた。ブラームス没の翌日これに成功し、4月7日には報告の手紙をウィーンから送っている。
一方4月3日に死去したブラームスの葬儀は6日だ。ウィーン中を巻き込んだ盛儀だったという。ドイツ国内はおろか英国やフランス、オランダの諸都市からも弔使が訪れたという。棺を運んだ馬車の天蓋に巨大な花輪が2つだった。これらは故郷ハンブルクとウィーンが1つずづ出し合ったものだ。
マーラーの伝記を調べてもブラームスの伝記を調べても、マーラーがブラームスの葬儀に立ち合った形跡が浮かび上がってこない。マーラーほどの大物だ。葬儀に出れば何らかの記述が残るはずだ。それが発見できないのは参列しなかったのだと思う。このとき現ハンブルク市立歌劇場指揮者で、次期ウィーン宮廷歌劇場指揮者という立場のマーラーが、ハンブルクとウィーン双方に深いゆかりがあるブラームスの葬儀に出ぬということがあるのかと思う。
ましてやそのウィーンでのポスト獲得にはブラームスの支援が物を言ったのだ。作風の違いを乗り越え、指揮者マーラーの理解者ではなかったのか。弔使を送り込んだ諸都市のリストを見れば、ハンブルクが遠いという言い訳は失笑のタネでしかない。
現にドヴォルザークはプラハから駆けつけているではないか。
1897年4月15日グスタフ・マーラーはブラームスの支援の甲斐あって、念願していたウィーン宮廷歌劇場の指揮者に就任した。
グスタフ・マーラーの伝記の中にあってエポックを形成する出来事だ。この少し前1897年4月4日に宮廷楽長就任の意思を公式に表明する。これを友人に報告する手紙が書かれたのは4月7日ウィーンだ。マーラーは4月1日から交渉のためにウィーンに滞在していた。
就任の意思表示から11日後の15日は契約が成立した日である。これだけをさらりと書いてしまうと、ふむふむで終わってしまう。これら一連の手続きを岩波書店の「グスタフ・マーラー辞典」をもとにブラームスの伝記と比較してみよう。
つまりグスタフ・マーラーの宮廷指揮者ないしは宮廷楽長への就任の手続きはブラームス没のあわただしい中で行われたということになる。少なくともマーラーはウィーンでブラームスの訃報に接したと思われる。これこそまさに歴史の偶然。
ウィーン中を巻き込んだ盛大な葬儀だったというから、その日ばかりはマーラー側の諸手続きが進まなかったと思われる。
旗の掲揚の方法。弔意を表する手法の一つである。一旦旗ざおの頂上まで上げてから、中ほどまで降ろす。回収の時はその逆で、旗ざおの頂上まで上げてから降ろすという。
重要人物の死去の際に見られる。
1897年4月4日だから、ブラームス死去の翌日、ブラームスの故郷ハンブルクでは停泊中の船が全て半旗を掲げたという。ドイツ最大の港町だから相当な数の船舶でにぎわっていたに違いない。外国籍の船も少なくはなかろうが、ハンブルクの港湾当局は半旗掲揚を発意し、みながそれにしたがったということだ。ハンブルク出身にして名誉市民、欧州屈指の作曲家の死を、街全体で惜しんだのだ。
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