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カテゴリー「506 職務」の15件の記事

2016年9月11日 (日)

デトモルト近郊

1856年ロベルト・シューマンが没したことにより、ブラームスの献身は一区切りを迎えた。明くる1857年5月31日からおよそ一週間デトモルトに滞在し宮廷で演奏した。クララの紹介はあったものの、これは実質就職試験だった。結果は「採用」だった。同年9月からデトモルトの宮廷勤務が始まった。9月から12月までの季節限定勤務で、1859年までの3年間続けられた。

デトモルト。ビーレフェルトの南東およそ25kmに位置する小さな街。小さくはあるがリッペ・デトモルト公国の首都。森に囲まれた自然環境と、けして多忙ではない職務の間、ブラームスは周囲の自然を堪能した。

デトモルトについて調べているうちにこの街が、ドイツ史の中で特筆される位置にあることがわかってきた。特にブラームスが滞在した19世紀中ごろまでは、名実共に歴史の街だった。

世に言う「トイトブルクの戦い」。敗者はローマ帝国ゲルマニア駐在の司令官ヴァルス。勝者はケルスキー族の王アルミニウスの戦。「桶狭間」と「本能寺」と「関が原」をあわせたような位置づけにある。

まずは「桶狭間」。海道一の弓取り今川義元が、当時無名の織田信長に敗れた戦い。「雨」「奇襲」「油断」が、戦国最大の番狂わせを実現させた。ヴァルス率いるローマ軍団18000が、雨の中トイトブルクの隘路で全滅させられた。

そして「本能寺」。勝ったアルミニウスは、ローマに学んで東方戦線での勲功により騎士に列せられていた、れっきとしたローマ市民。あろうことかヴァルスの部下。この戦いはアルミニウスの謀反だ。

最後に「関が原」。戦いの帰趨が後世に与えた影響という意味で比肩する。歴史に「たられば」は無いと前置きされながら、「もし結果が逆だったら」としばしば考察されてきた。おそらくローマはエルベ川までを属領としたに違いない。現代のドイツはかなり形を変えていたと考えられている。

さて9月11日といえば、アメリカを震撼させた同時多発テロの日だが、このトイトブルクの戦いは西暦9年9月11日とされている。

アルミニウスが属したケルスキー族の本拠地こそが、デトモルト付近だ。ブラームスが勤務していた頃は、トイトブルクの古戦場もデトモルト近郊だと信じられていた。

2016年3月21日 (月)

カントルの職務

1879年ライプチヒ・トマス教会は、ヨハネス・ブラームスに対しカントルへの就任を打診する。「トマスカントル」と通称されるこの職務は、誤解を恐れずにう~んと易しく申せば教会付属音楽学校の校長でもあり、ライプチヒの教会音楽の総責任者という側面もある。

トマスカントルと言えばバッハがその後半生を捧げたことで名高い由緒ある地位だが熟考の末ブラームスはこれを辞退した。

トマスカントルの職務をもっと詳しく調べる。バッハの伝記には詳しく書かれていることが多い。1723年に就任したバッハからざっと150年経過していることに目を瞑ればおおよその目安にはなると思われる。

  1. 年間59日ある祝日に市内の主要4教会に対して、教会音楽を供給すること。
  2. トマス学校の寄宿生の監督教育。
  3. 葬儀、婚姻等に関わるミサへの出演。

気にかかるのは上記1番だ。バッハは就任から最初の2年間、全ての祝日用に自作のカンタータを用意した。まさにその研究が、バッハのカンタータ研究の礎になっている。何故ならカンタータの初演日は当時の教会暦上の祝日と完全に一致するからだ。その祝日の分布は1年の間に満遍なく分布している。大雑把に申して毎週だ。春夏秋冬ほぼ一定のペースで教会の祝日がやってくる。

もしブラームスがトマスカントルを引き受けたら、夏に避暑地へ赴くことは出来なくなる。壮年期以降ほぼ5月から9月までに及ぶ避暑地での滞在が、多くの傑作を生んだこと周知の事実だ。そうして生み出された作品が秋から始まる演奏会シーズンで次々にと演奏されるというルーチンが出来上がっていた。トマスカントルの職務と壮年期以降のブラームスの生活パターンは真っ向から対立すると考えてよい。

辞退の理由をこのあたりに求めてみたい。

本日はバッハのお誕生日だ。

2012年8月20日 (月)

元帥

ドイツ語で「Feldmarschal」と綴る。ドイツ帝国陸軍最高位だ。上級大将の中から選任される決まりになっているが、原則として戦時にあって敵要塞を陥落させるなどの目覚しい勲功が伴うことが条件になっている。有名なのはモルトケ将軍だが、何とオーストリアの皇帝フランツ・ヨーゼフ1世にもドイツ帝国元帥の位が授与されている。

ビスマルクは政治家外交官だから、軍の位階には無関係かと思うとそうでもなくて、1890年に宰相を退任する際、長年の勲功に対して「元帥位を有する上級大将」という地位を授与された。要塞陥落などの戦時の手柄はないから元帥という訳には参らぬものの、それに準じた待遇をするということだ。

2011年10月20日 (木)

民謡の中の職業

8月27日の記事「民謡の分類」で、エルク&ベーメの「歌の宝」における民謡の分類を列挙した。その中で「愛の歌」に告ぐ曲数を誇ったのが職業の歌だ。労働歌と申し上げていい。19世紀ドイツのさまざまな職業が歌われている。本日はドイツ民謡に登場する職業をアルファベット順に列挙する。歌詞に直接出現する名称に加え、歌詞には登場しなくても明らかにその職業を描写しているケースも取り上げた。

  1. Baker パン屋
  2. Bauer 農夫
  3. Brauer 醸造屋
  4. Buchbinder 製本屋 こういう苗字のチェリストがいたような。
  5. Bergmann 鉱夫
  6. Dachdecker 屋根葺き 
  7. Drechsler 旋盤工 NBAの選手にいた。
  8. Drogist 薬種屋
  9. Elektriker 電気工
  10. Fischer 漁師 こういう名のピアニストがいたような。
  11. Gartner 庭師
  12. Goldschmid 金細工師
  13. Kaufmann 商人 
  14. Maler 塗装工 作曲家マーラーはMahlerで「h」が多いが。
  15. Maurer 左官 MLB最強の捕手。
  16. Mechaniker 機械工
  17. Megger 屠殺人
  18. Musiker 楽師
  19. Sattler 馬具士
  20. Schmied 鍛冶屋 英語圏ではおそらくスミスになるハズ。
  21. Schneider 仕立屋 オランダのサッカー選手にいたような。
  22. Schreiner 指物師
  23. Schrosser 錠前屋
  24. Schuster 靴屋
  25. Seiler 縄ない人
  26. Spengler ブリキ職人
  27. Steinmetz 石工
  28. Topfer 陶工
  29. Uhrmader 時計屋
  30. Verlehr 御者
  31. Wagner 車輪作り ご存知の作曲家がいるでしょう。
  32. Weber 機織人 ここにもまた作曲家がいる。
  33. Winzer 葡萄摘み人
  34. Zimmermann 大工 名高いピアニストがおります。
  35. Zinngiesser 錫職人

職業名はとかく苗字になり易いという。 

2011年6月14日 (火)

ハンブルクの呪い

米国の野球、メジャーリーグには奇妙な言い伝えがある。

ベーブ・ルースを放出したために、長い間ワールドシリーズに勝てなかったボストン・レッドソックスは「バンビーノの呪い」に取り憑かれていると噂されてきた。この呪いは既に解かれているが、シカゴカブスの「山羊の呪い」はまだ継続中だ。

ブラームスにも故郷ハンブルクについて似たような話がある。ブラームスはハンブルクからウィーンに進出して、文字通り国際的作曲家の座に駆け上ったのだが、本人は故郷ハンブルクでポストに就くことを希望していた。「俺が俺が」としゃしゃり出るタイプではないことも、微妙に影響して、とうとう生涯ハンブルクでのポストにありつけなかった。これを生涯独身の言い訳に使っている形跡もある程だ。もちろんブラームスの作品や演奏に対しては、ハンブルクはいつも暖かい反応を示したが、ポストにありつけない巡り合わせはブラームスを嘆かせた。

最初の挫折は1862年11月だ。長く努めたグルントの後任に、友人のシュトックハウゼンが選出された。これが相当なショックで、クララ・シューマンに愚痴をたれたらしい。ウィーン進出を決心するキッカケになったことが確実視されている。真相は闇の中だが、ブラームスが貧民街の出身だったからとも言われている。その後もハンブルクフィルハーモニーの音楽監督の空席は2度もブラームスを通り越して外国人にあてがわれた。

1889年になってハンブルク市は不手際を謝罪し、ブラームスを名誉市民に選ぶ。あろうことか1896年になって音楽監督のオファーを出すというおまけつきだ。さすがにブラームスはこれを悲しげに断った。

一方後世の研究者の中には、デトモルトに始まってウィーン楽友協会に終わったブラームスの勤め人稼業がどれも3年以内の在任にとどまり、延長のオファーに応じていないことを理由に、ハンブルクでもきっと長くは続かなかったと推測する人もいる。

故郷ハンブルクに対するこうした一連の執着は、伝記の書き手により扱いに濃淡があるので注意が必要と思われる。

2010年1月29日 (金)

ウィーン高等音楽院

ウィーンでもっとも名高い音楽教育機関。発足は19世紀初頭1812年。現在は国立だが当時は楽友協会の所轄だったという。楽友協会の元芸術監督のブラームスが、ホールの校長席にしばしば姿を現したのはそのせいだろう。

1875年を最後にブラームスは楽友協会芸術監督の座を退く。その後も楽壇における存在感と比例して、楽友協会内部での発言力は増大していったと思われるが、ブラームス自身が教鞭を取ることはなかった。

1896年に至っても尚、ウィーン高等音楽院の教授人事に影響力があったのではと思われるエピソードがあった。3月ブラームスはドヴォルザークにウィーン高等音楽院で作曲を教えるよう説得を試みた。既に前年に楽友協会の名誉会員に推挙されていたドヴォルザークではあったが、結果としてこの招聘人事は実現していない。ドヴォルザークはプラハを離れる決意がついに出来なかったということだ。断りを入れたドヴォルザークに対するブラームスの対応は暖かな思いやりに溢れたものだった。辞退したドヴォルザークが逆に恐縮したほどだ。

クララの没する2ヶ月前、ブラームス自らの旅立ちの1年1ヶ月前だ。ブラームスの信任がどこまでも厚いドヴォルザークだった。

2009年10月30日 (金)

デュッセルドルフのオファー

デュッセルドルフの指揮者の地位は、ロベルト・シューマンが病気によって退いた後、ユリウス・タウシュが就任していた。どうもあまり有能とは言えなかったらしく、1876年頃には水面下を含めて後任人事が取り沙汰されていた。

まっ先に挙がったのがマックス・ブルッフだ。「作曲ばかりしそう」という理由で撤回された後、ブラームスの名前が挙がった。1875年4月にウィーン楽友協会の芸術監督の地位を退いたブラームスは、その時点で定職に就いていなかった。提示された年俸は6000マルクだったという。ウィーン楽友協会芸術監督の年俸が6000マルクだったから、それを意識した提示である。

1853年つまりロベルト・シューマンの在任最終年の年俸が2250マルクであった。25年の年月を超えてなお破格ぶりがうかがえる。

ブラームスがこのオファーを受けるかどうか、ドイツの音楽界の一大関心事になったという。なんだかサッカーの移籍市場みたいな感じである。周囲は気を揉んだ。友人知人たちの意見も賛否分かれた。ロベルト・シューマン退任の折に悔しい思いをしたクララは反対の側だった。

シューマンゆかりのポストだけに、感慨深いものがあったに決まっているが、結果は、拒否であった。クララの反対も大きかったし、何よりもウィーンが気に入っていた。年俸6000マルクのオファーを蹴ったということだ。作曲で食って行く自信とはこういうことかもしれない。

2009年5月 9日 (土)

バブル崩壊

今日本は昨年秋に始まった世界的不況のまっ只中にいる。それは「バブル崩壊」と形容される株価の暴落に象徴されている。

1873年5月9日だから今から136年前の今日、ウィーンの株式市場が大暴落を起こした。1871年の普仏戦争勝利により50億フランもの巨額の賠償金を獲得したドイツがバブル経済状態に陥った。その資金は一部がオーストリアに流れ込んでいた。ベルリン株式市場の暴落が波及するのはむしろ当然だった。1866年普墺戦争に敗れた混乱からようやく立ち直り、ウィーン万国博の開催にこぎつけた途端の出来事だった。これによって引き起こされた不況で何が起きたか、現代の日本人に説明が要るとは思えない。8つの銀行が破産し、40の銀行が清算に追い込まれたという。ドイツがこの不況から脱するのは1895年とされている。

1874年1月にはオーストリア政府つまり皇帝の旗振りで「中小企業支援のための皇帝フランツ・ヨーゼフ基金チャリティーコンサート」が開かれる。これにブラームスも出演しているのだ。伝記にもちゃんと書いてあるけれど前後の脈絡が語られていないことが多いので、ちょっとした違和感を感じることもある。この不況によって疲弊する中小企業の救済が目的とすれば、すんなりと腹にはいる。

そして庶民が生活を切りつめるのは明らかだ。ウィーン市民が演奏会に出かける回数を減らすことは想像に難くない。

これにブラームスの経歴を重ねてみる。1872年秋のシーズンから1875年春まで丸3年楽友協会の芸術監督の座にあった。つまりこのバブル崩壊は監督在任のまっ只中だったということだ。1872年秋に始まった最初のシーズンが4月に終わった後だから、影響を受けたのは1873年秋からの2年目のシーズンだ。

3年を勤め上げた後、契約の更新に応じなかった原因が伝記にも書いてある。ブラームスが取り上げるプログラムが渋すぎて、水面下でブーイングが貯まったことに原因を求めることが定着している。曲目を見ればその説明でも一応納得できるのだが、現実はもっとシビアで、はっきり言って演奏会の売り上げが落ちたというのが実態なのだと思う。でもそれはブラームスの選曲以前に、バブル不況で客足が遠のいたためだと解したい。しからばとばかりに何とか市民に来てもらおうと、選曲に匙加減を施す機転が利かなかったのだと想像したい。

成績不振の責任を監督に問うのは何もサッカーだけの話ではない。

2009年3月 4日 (水)

いざ鎌倉

鎌倉将軍の家来である御家人の心意気を表す。鎌倉に一大事があれば、何をおいても真っ先に駆けつけるという決意を述べた言葉だ。だからしばしば「一大事」が「いざ鎌倉」と表現される。

ブラームスにとっての「いざ鎌倉」はクララの死だ。1896年5月22日にイシュルで訃報を受けその夕刻には出発したが、列車の乗り違いなどの不手際の結果、24日の早朝にボンに着いたことは昨年11月18日の記事「乗り過ごし」で述べた。イシュル-ボン間750kmを36時間かけていることになる。

さてクララの夫、ロベルトがライン川に投身した時も「いざ鎌倉」だった。1854年2月27日だ。ロベルトは相当な有名人だったから、おそらく新聞にも載っただろう。ハノーファーに居たブラームスは翌28日にはこのことを知ったと思われる。クララの日記には急を聞いて次々と知人が訪れたことが記録されている。ブラームスのデュッセルドルフ到着はおそらく3月4日だ。3日という説と5日という説もあるらしいが、一応中を取って4日と考えておく。この年はうるう年ではないから知らせを聞いてから遅くも5日後の到着だ。

一命をとりとめたシューマンの入院先が決まり、何かとあわただしい中、ブラームスはシューマン邸から至近のポストシュトラーセに部屋を借りた。この年の年末までシューマン家に献身することになる。

そういえば最近、誰かのために走っていない。

2008年12月30日 (火)

家計簿

家庭でのお金の出入りを記録する帳簿。昨今はもちろん紙ばかりではない。パソコンに入力というケースもある。家庭という切り口でお金の流れを把握することがねらいである。これが火の車に載せられているケースも少なくないと聞く。国庫から資本の注入を受けたいくらいである。

毎年正月には、今年こそはとばかりに手をつけて年末を待たずに挫折する人もいる。

1854年2月ロベルト・シューマンはライン川に身を投げる。一命を取り留めるがエンデニヒの病院に入院することとなった。急を聞いて駆けつけたブラームスは、シューマン一家のために家事全般を引き受けたという。二十歳そこそこの青年らしからぬ献身ぶりを見せるのだ。

ブラームスはその年の12月30日まで、シューマン一家の家計簿をつけていたらしい。現代日本で一般的に用いられる意味の家計簿と同じ形式なのかはわからないし、収入支出があるたびに毎日つけていたのか、月末にまとめてつけていたのかも不明だ。ブラームスが相当信用されていたことだけは確かなところだ。

ここで話を終えてしまうと、「ブラームスってマメなのね」で終わってしまう。例によってしょうもない疑問がある。当時のドイツの家庭では家計簿は一家のメンバーのうちの誰が書き記すものだったのだろうか。1854年1月以前は誰がつけていたのだろう。シューマン夫妻の子供たちではないと思う。長女のマリエでさえまだ10代半ばだからだ。クララかロベルトか、はたまた使用人か。一家のお金の出入りを使用人にさせるとは考えにくい。全くの推測だが精神病の兆候が既に現れ始めていたロベルトではないような気がする。

クララが家計簿をつけていたが、ロベルトの入院によって、一家を支えなければならなくなった。つまり演奏家として働きに出るのだ。月末に家を空けることもあるから、そこをブラームスが代行したと考える。

今日は11ヶ月に及んだブラームスの家計簿担当が終わった日だ。

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ブラームスの辞書写真集

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