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カテゴリー「508 報酬」の26件の記事

2015年8月26日 (水)

1:3:5

おかしなタイトルだがご辛抱いただく。

1873年だからドイツ帝国成立の2年後、通貨としてのマルクが導入された。ブラームス作品はこれ以降、事実上の独占出版権を持ったジムロック社からマルク建てで支払いを受けることになった。ブラームスから作品の原稿を買い上げる際に、ジムロックが支払った代金には、以下の通り取り決めがあった。

  1. 室内楽  3000マルク(およそ150万円)/曲
  2. 協奏曲  9000マルク(およそ450万円)/曲
  3. 交響曲 15000マルク(およそ750万円)/曲

交響曲は室内楽の5倍で、協奏曲は3倍だ。1891年に改訂されたピアノ三重奏には、ちょうど半額の1500マルクが支払われている。妙に整然とした体系で感心するばかりである。

ジムロックから支払われる原稿料は、楽譜に記される音符の数で決まっていたと思われる。編成が大きいほど、そして小節数が多いほど、高い金額が設定されていたとわかる。愛好家の間に巻き起こる感動の大きさとは必ずしもリンクしない。作り手のブラームスからしたら、脳内に出来た音楽を総譜に写す手間だけの差に違いないから、こうしたクールな設定で折り合っていたものと思われる。

その証拠に室内楽の買い取り価格3000マルクは、弦楽四重奏曲第3番op67から、最後の室内楽、クラリネットソナタ第2番まで、揺らぐことなく維持された。

問題は協奏曲だ。特にピアノ協奏曲第2番は、交響曲と同じ4楽章構成だったから小節数も多い上に、独奏楽器がピアノだから、音符の数が交響曲よりも膨らむ。少なくとも規模が小さいことで有名な第3交響曲よりは、手間がかかったのは確実だ。

おそらく、価格の見直しがあったのだろう。マッコークルの作品目録では、最後の交響曲と最後の協奏曲となった第4交響曲と、二重協奏曲において、原稿料不明としている。第四交響曲を20000マルクとし、二重協奏曲は15000マルクになったとにらんでいる。

2012年6月16日 (土)

下賜金

1866年普墺戦争に勝利した後、プロイセン衆議院は国王に対し、功労者への下賜金を勧告する。最大の功労者はもちろんビスマルクだ。金額は40万ターラー。1ターラーは3マルクだから、120万マルク。1マルクはおよそ500円とすると6億円だ。庶民の感覚からすれば目もくらむ大金だが、超一流のアスリートの年俸や、移籍金の報道に慣れきった感覚から申せば意外に安い印象。

ところが、これが当時のプロイセンの国家予算の0.25%に相当するとなると一大事だ。現代ドイツの国家予算がおよそ60兆円だから、0,25%は1500億円に相当する。何にしろ国家予算の0.25%を国が個人に下賜するというのは凄いことだ。国会がこれを是とするあたり、やはりビスマルクの功績はかなりなインパクトだったということだ。モルトケ参謀総長はビスマルク半分だったという。

ビスマルクはそれでも「私が分捕った国益に比べれば小さいものだ」と思っていたらしい。

2011年7月28日 (木)

手間賃仕事

正確な定義は私の手に余る。

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第3巻99ページに現われる。どのようなドイツ語がこのように訳されたかは不明だ。

シューマンに認められて世に出る前、ハンブルクでの下積み時代を回想する中に現われる。食って行くためにダンスやマーチを編曲したり、オーケストラ作品をピアノに編曲したりという仕事を「手間賃仕事」とブラームス自身が表現していると読める。

作曲家として名を成した今、自らの芸術を世に問う創作以外の仕事を「手間賃仕事」と言っていると解したい。

昔の仕事の成果が、作者不明という形でブラームス本人の耳に入ってくることもあったのだろう。そうした経験が無駄だったと思ったことなど無いと結ばれる。嫌味のないしみじみとしたニュアンスだ。

ン十年前の手間賃仕事でも、自分の作品だと判るのだと、別の意味で感心した。

2011年6月18日 (土)

日当比較

ハンブルクで過ごした少年時代。10歳そこそこのブラームスが夜の街でピアノ演奏のアルバイトをしていた話はよく知られている。そこでの日当が2マルクだった。時給ではなくて一晩2マルクでおよそ1000円だ。

ビートルズブレーク前のハンブルク遠征での日当がわかった。1960年8月の第一回ハンブルク遠征のとき、彼等の日当は1日30マルクだった。およそ15000円だ。当時メンバーは5人だったから一人当たり3000円だ。夕方から深夜にかけて1時間のステージを5~7回こなすことに対する報酬である。

ブラームスの時代から100年以上隔てているから単純比較は無謀なのだが、妙に説得力がある。当時ビートルズはまだ貧乏で、リバプールからハンブルクへの移動はワゴン車だったという。

今日6月18日はポールマッカートニーの誕生日だ。

2011年5月 4日 (水)

ハンブルク市立歌劇場

グスタフ・マーラーがウィーン宮廷歌劇場指揮者に就任するまでハンブルク市立歌劇場に勤務していた。1891年から1897年のことだ。「ハンブルク市立」というと「横浜市立」や「大阪市立」と同じノリを想像してしまうが、少し違う。ハンブルクは州と同格の独立市だから、ザクセン州立、バイエルン州立に近い。周知の通りドイツは連邦制だから、州立は日本人の想像よりは、国立に近いイメージとなる。

さて、ライプチヒ勤務中の1886年、ハンブルク市立歌劇場からマーラーに主席楽長就任のオファーがあった。条件面で折り合いがつかず見送られている。

このときにマーラー側が主張した年俸が6000マルクだった。3ヶ月の休暇と2年目以降の解約権、さらにワーグナーやモーツアルトのいくつかのオペラの独占上演権を主張したようだ。このときマーラーは26歳だったが指揮者としての実力が徐々に知られ始めていた。ハンブルク側との交渉がまとまらなかったのは、これらの諸条件のうちの全部または一部が食い違ったために違いない。

新進気鋭のオペラ指揮者が要求する年俸が6000マルクだったということだ。

ブラームスの交響曲1曲の相場は15000マルク。マーラーが要求して合意できなかった年俸の2.5倍にあたる。1875年以降に発表されたブラームスの室内楽は1曲3000マルクが支払われているから、その2倍だ。

当時の楽壇におけるブラームスの位置付けには嘆息せざるを得ない。

2010年12月15日 (水)

代振りの報酬

ブラームスとの行き違いが元で、マイニンゲン宮廷楽団の指揮者を辞したビューローの新天地はベルリンフィルだった。今日まで続く隆盛の基盤を築いた功績はビューローのものである。

1894年2月にエジプトのカイロで没した後、ビューローの後釜選びは難航したと伝えられている。

常任指揮者が最終的に、ニキッシュに決まるまでの間、マイニンゲン時代ビューローの弟子だったRシュトラウスに、何度か代振りが依頼されたらしい。このときベルリンフィル側がRシュトラウスに提示した条件が残っていた。

1回500マルクだ。公演で1回指揮をすると25万円という条件だ。ゲネプロやステリハは、どうしていたのか気になるところであるが、詳細は不明である。

微妙だ。高いのか安いのか判断に苦しむ。

2010年3月30日 (火)

別荘を持つ

1884年夏、プラハの南西約60kmにあるヴィソカーの地に別荘を購入した。ドヴォルザークの伝記では、大抵言及される出来事だ。「念願が叶って」と言い回されていることが多い。

妻の姉ヨゼファが嫁いだ貴族から領地の一部を購入したのだ。第8交響曲を初めとする名作群を生み出した。傑作を生み出したという意味では米国アイオワ州のスピルヴィルと双璧をなす。

ピアノ連弾曲「シュマヴァの森」と劇的序曲「フス教徒」の原稿料3500マルクが購入費用の一部に当てられたとされている。音楽之友社刊行の「作曲家◎人と作品シリーズ」のドヴォルジャークの100ページに詳しい経緯が載っている。その3500マルクに初めての訪英の収益をつぎ込んで、ヴィソカーの別荘を購入したという。土地を購入し、羊飼いの小屋を改装して簡単な別荘を建てたとある。庭を造成したとも書かれている。

このうちの訪英の収益がいくらだかわからないのが残念だ。「3500マルクに訪英で得た収入を合算して」という言い回しから、3500マルクと同等な額、少なくとも4桁のマルクだと仮定すると、平屋の庭付き別荘が5000マルクから10000マルクの間と推定できる。250万円から500万円の間だ。下級労働者の年収の5倍~10倍ということになる。

このときドヴォルザーク43歳。貧乏から立ち上がったドヴォルザークにとって、生涯最大の買い物だった可能性が高い。

その一方で、ジムロックがブラームスの交響曲1曲に支払った15000マルクの重さを味わいたい。

2010年1月28日 (木)

プラハ音楽院

1891年1月1日、ドヴォルザークは前年の拒否から一転してプラハ音楽院の教授に就任した。作曲、管弦楽、形式の教授だ。この時点では満を持した就任だったが、1892年の9月には、ニューヨークに赴任する。ナシオナル音楽院の校長になるためだ。プラハ音楽院は休職扱いとしてドヴォルザークをアシストしたという。

チェコ大好きのドヴォルザークが渡米を決心した理由の一つが経済的なメリットだったという。

プラハ音楽院の教授職の年俸は1200グルデンだ。マルクに換算して2000マルク少々である。ニューヨークのジャネット・サーバー夫人が提示したのはこの25倍つまり約50000マルクだったらしい。ブラームスの交響曲1曲が15000マルクだということを考えると、心が動くのも無理は無い。

結局渡米を決意したのだがニューヨーク勤務は3年にとどまった。1895年秋にはプラハ音楽院に復帰した。これにはドヴォルザーク自身のホームシックに加えて微妙な伏線がある。1895年春にオーストリア教育省はプラハ音楽院への補助金の増額を決定していた。この決定にはドヴォルザークの年俸の増額が含まれていたという。帰国後のドヴォルザークはますますプラハに執着するようになった。その証拠に1896年にはブラームスがウィーン音楽院への招聘に動いているが、固辞している。

1901年7月、間もなく60歳のドヴォルザークはとうとうプラハ音楽院の院長に就任した。このとき既にオーストリア貴族院名誉議員であり、オーストリア国家奨学金の審査員にもなっていた。

2009年11月13日 (金)

出来高払い

実績確定を待って支払われる報酬の意味か。「出来が悪けりゃお支払いいたしません」というニュアンスを濃厚に含む。お手並み拝見モードだ。叱咤激励の意味もあろうが、買い手側の上から目線も感じる。

モラヴィア二重唱の国内版CDの解説にお宝情報があった。

ブラームスから薦められて「モラヴィア二重唱」の出版に踏み切ったジムロックから、作曲者ドヴォルザークに宛てた手紙の抜粋が載っていた。

「今はまだお支払い出来る段階ではありませんが、然るべきときがきたらお支払いします」という一文があった。これはつまり本日話題の「出来高払い」に違いない。ジムロック側の都合を申せば、いくらブラームスの推薦とはいえ、まだ無名の駆け出し作曲家の作品に対し天下のジムロックがホイホイと原稿料を払う訳にも行かないのだ。

手紙を受けたドヴォルザークはたいそう喜んだという。出来高払いに不満を述べることもない。チェコの無名作曲家としては、ドイツ帝国首都の大出版社から作品が刊行されるだけで、大満足だったのだ。

かくして出版にこぎつけた「モラヴィア二重唱」はドイツマスコミから好意的に評価され、楽譜も売れた。

ジムロック社は、ドヴォルザークを売れる商材と感じ始める。だから「スラブ舞曲」の出版を提案するのだ。モラヴィア二重唱、スラブ舞曲がドヴォルザークのドイツ音楽界での知名度を決定的に押し上げた。幸か不幸かこの成功体験で、ジムロックの側には、先入観も生まれた。つまり「ドヴォルザークは小品に限る」という認識だ。これがあとあと物議を醸す。ドヴォルザークの「書きたい」とジムロックの「買いたい」がすれ違うようになる。

2009年11月10日 (火)

称賛と値切りと

1889年ジムロックは、ドヴォルザークのピアノ四重奏曲変ホ長調の原稿を受け取った後、感激した筆致でブラームスに書き送る。

「ドヴォルザークの頭の中は楽想で満ちているようだ」

大出版社の経営者でありながら音楽への深い素養を持つジムロックのこの手紙は、称賛である。ソナタの枠組みにとどまりながら、みずみずしい旋律がてんこ盛りだ。ブラームスからの返信が確認出来ないのが残念でさえある。ドヴォルザークへの返信の中に、作品を称賛する文面が見られても、それは単なる儀礼という可能性もあるが、利害関係の無いブラームスへの手紙で称賛する文面が現れるのは、本心からの言葉だろう。

48歳、円熟の域にあるドヴォルザークは続いて第8交響曲に着手しまもなく完成にこぎつける。ピアノ四重奏を絶賛したばかりだというのにジムロックの仕打ちは残酷だ。第8交響曲の原稿料として「1000マルク」を提示して、押し問答が始まる。

「称賛は称賛、商売は商売」という切り替えの早さは、まさに経営者そのものだ。

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