ドイツ語。直訳すると「救援への感謝」となる。ハンブルク名誉市民の選定者リストを調べていて、1843年のメンバーで注目すべき発見をした。
- コンラート・ダニエル・フォン・ブリュッヒャー伯爵 デンマーク王国アルトナ市長官。
- エドワルド・ハインリッヒ・フォン・ブロットヴェル プロイセン王国マグデブルク市長官
- ヨハン・シュミット 自由ハンザ都市ブレーメン市長
上記3名の選定理由は「Anerkenung der Hilfe nach den grosser Brand」となっている。「ハンブルク大火に対する救援への感謝」と解される。前年1842年5月5日未明、ハンブルク市は未曾有の大火に見舞われた。この大災害にあたり3市から寄せられた救援活動への謝意表明に他なるまい。
巨大な災害からの復興には、周囲の援助は不可欠だ。アルトナは当時プロイセン王国の所属ではなく、デンマーク王国配下のホルステン公国の都市だった。現在ハンブルク市に編入されて行政区の一つになっていることからも判るように、被災地ハンブルクのすぐ西隣に位置する。避難民の受け入れや救援の先頭に立ったと思われる。
マグデブルクは、エルベ川を遡った位置にある。アルトナほど近いわけではないが、エルベ川の水運は救援物資の搬入に役立ったことだろう。
そしてブレーメン。ハンブルク同様北海に面した伝統あるハンザ都市だ。ハンブルクのライバルとして対抗意識を持っているが、非常時にあたり率先して駆けつけたと感じる。
もちろん首長たちが一人でどうなるものではない。首長の陣頭指揮のもと多くの人々が救援活動に従事したに違いない。具体的な救援活動の内容は明らかではないが、よその街の市長を名誉市民に選んでまで表明するような強い強い感謝は、その救援活動が本当に心のこもったものだったことの裏返しに決まっている。
1889年自らがハンブルク名誉市民に選ばれるにあたって、おそらくブラームスは過去12名の選定者を調べたハズだ。モルトケ将軍やビスマルクにもまして、この3名の名前と受賞理由を見て感動したと思われる。
ハンブルクの大火はブラームス9歳の時の出来事だ。ブラームスの思春期は市街の復興期と重なる。ハンブルクの復興はブラームスにとって他人事ではない。それを助けた3名の首長と同じ名簿に名前を連ねることを真の名誉としたに違いない。ブラームスはそういう男だ。
だからがんばれ日本。
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