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カテゴリー「512 友情」の13件の記事

2016年10月 1日 (土)

旅は道連れ

唐突な話題。ブラームスの生涯8度のイタリア旅行は、ただの一度も一人旅をしていない。必ず同行者がいた。

  1. 1878年 テオドール・ビルロート、カール・ゴルトマルク
  2. 1881年 テオドール・ビルロート
  3. 1882年 テオドール・ビルロート
  4. 1884年 ルドルフ・フォン・デア・ライエン
  5. 1887年 フリッツ・ジムロック、テオドール・キルヒナー
  6. 1888年 ヨーゼフ・ヴィトマン
  7. 1890年 ヨーゼフ・ヴィトマン
  8. 1893年 ヨーゼフ・ヴィトマン

ビルロートとヴィトマンがそれぞれ3回帯同している。大抵の伝記には載っているのだが、漫然と読んでいると記憶には残らないので一覧にしておく。

2012年1月 4日 (水)

ベルンハルト・ショルツ

1879年3月ブレスラウ大学はブラームスに学位授与を打診する。1876年にケンブリッジ大学が試みたものの、まんまと辞退されているから周到な準備が重ねられた。何よりもまずドーヴァー海峡が横たわっていないことが、決定的な追い風となる。数本の大河を越えるだけで事足りる。さらに学位の授与式への参列を求めないという切り札でブラームスの心を動かす。ブレスラウの条件は唯一つ。この機会に祝典的な作品を作曲することだった。

この周辺の段取りに尽力したのが、本日の主役ベルンハルト・ショルツ(1835-1916)だ。当時ブレスラウ音楽協会の指揮者の地位にあった。

この時からかれこれ20年遡る1860年、新ドイツ楽派に対する有名な宣言文がブラームスを含む4名の署名とともに発表された。準備の手違いもあって、予定していた署名人が集まらなかったため、さして効果的とは言えない檄文で、反対陣営に付け入る隙を与えた代物だった。このときの署名した4名の中に、ベルンハルト・ショルツがいた。いわば「戦友」だ。

ブラームスが作品のタイトルをどうするか思案していたときに「ヴィアドリーナ」を提案したのは、実はこの人だった。

大学祝典序曲は1880年9月13日にはクララとピアノ連弾版、同年12月6日には、ベルリン高等音楽院のオケで管弦楽版という具合に試演を重ね、1881年1月4日にはブレスラウで初演にこぎつけた。演奏はショルツの手兵ともいうべきブレスラウ管弦楽協会だ。ショルツは自らの率いるオケを作曲者ブラームスに委ねて敬意を表した。

2010年8月22日 (日)

友情

ブラームスが世に出るにあたりシューマンの功績が大であったことは良く知られている。23歳年下のブラームスにとってシューマンは恩師という表現がふさわしい存在だったと思う。

ドヴォルザークの立身出世においてブラームスが果たした役割もこれに勝るとも劣らない。けれども恩師と生徒という感じよりは友人に近いものを感じる。ブラームスはシューマンの助力もあって、順調に音楽界での地位を上げていった。1862年29歳で決意したウィーン進出もうまくいった。オーストリア帝国の首都での音楽的な地位の向上により、国家奨学金の審査員となった。ブラームス41歳だ。このときドヴォルザークはプラハで雌伏の時を過ごしていた。ブラームスとドヴォルザークの違いは、決定的な出会いが何歳の時に訪れたかだけであるような気がする。

早くに出世したブラームスが運良く審査する側に回り、後を追ったドヴォルザークが審査に応募したに過ぎない。2人は師弟ではない。ドヴォルザークの側はブラームスに恩義を感じていたとは思うが、ブラームスはドヴォルザークを助言が必要な後輩とは思っていなかったと感じる。

才能に相応しい光をあてただけだ。

2010年2月10日 (水)

ハンスリックの懸念

米国から帰国後、1895年に発表された2曲の弦楽四重奏曲を最後に、ドヴォルザークが絶対音楽から遠ざかったことは昨日書いた。

オペラや交響詩に関心が移ったのだ。1896年に発表されたのが3曲の交響詩だ。「水の精」「真昼の魔女」「金の紡ぎ車」だ。このうち前2曲がハンス・リヒターの指揮で、ウィーンでも演奏された。

これを聴いたハンスリックは、ドヴォルザークの作風の変化を敏感に感じ取り、リヒャルト・シュトラウスのようになりはせぬかと心配した。「絶対音楽」の旗手一人が、陣営から出て行くという危機感を持ったと解されている。

思い詰めたハンスリックは、もう一人の旗手ブラームスに相談を持ちかけた。「友人として警告をすべきかどうか」である。その警告が実際に発せられたのかどうかホノルカ博士の伝記では曖昧に書かれているが、結果としてドヴォルザークは「英雄の歌」を書く。交響詩の路線をひた走るのだ。

このときのブラームスの反応は伝えられていないが、残された作品群を見ればハンスリックの懸念は、あながち的はずれとは言えない。

2010年1月29日 (金)

ウィーン高等音楽院

ウィーンでもっとも名高い音楽教育機関。発足は19世紀初頭1812年。現在は国立だが当時は楽友協会の所轄だったという。楽友協会の元芸術監督のブラームスが、ホールの校長席にしばしば姿を現したのはそのせいだろう。

1875年を最後にブラームスは楽友協会芸術監督の座を退く。その後も楽壇における存在感と比例して、楽友協会内部での発言力は増大していったと思われるが、ブラームス自身が教鞭を取ることはなかった。

1896年に至っても尚、ウィーン高等音楽院の教授人事に影響力があったのではと思われるエピソードがあった。3月ブラームスはドヴォルザークにウィーン高等音楽院で作曲を教えるよう説得を試みた。既に前年に楽友協会の名誉会員に推挙されていたドヴォルザークではあったが、結果としてこの招聘人事は実現していない。ドヴォルザークはプラハを離れる決意がついに出来なかったということだ。断りを入れたドヴォルザークに対するブラームスの対応は暖かな思いやりに溢れたものだった。辞退したドヴォルザークが逆に恐縮したほどだ。

クララの没する2ヶ月前、ブラームス自らの旅立ちの1年1ヶ月前だ。ブラームスの信任がどこまでも厚いドヴォルザークだった。

2010年1月23日 (土)

財産の分与

ブラームスの遺書が法律的には無効な形で遺されたために、後で訴訟沙汰になった話は割と知られている。詳しい経緯を知りたくて調べているがなかなかたどり着けない。

実子が無く、姉も弟もブラームスより先に亡くなっているから、遺書の役割は重大だ。

  1. トゥルクサ夫人 ウィーンの生活を切り盛りして最期看取ってくれた。
  2. カロリーネ・シュナック 父の後妻だからブラームスの継母。
  3. イシュルの大家 毎年夏にお世話になるイシュルの家主。

この3人の他に楽友協会で決まりと思っていたら、思わぬお宝に巡り会った。

音楽之友社刊行の「大作曲家ブラームス」という本だ。ハンス・A・ノインツィヒなる人物の著述が和訳された代物だ。この中に驚くべき記述があった。

ブラームスは、自らの財産をドヴォルザークが望むだけ提供すると申し出たらしい。これが遺産分与の話なのか生前贈与の話なのか定かではないのが残念だ。さすがにドヴォルザークは辞退したとされている。話の出所は娘婿でもあったスークであるから、信憑性は高いと思われる。

この本、他の部分の記述を読む限り、出任せやはったりがあるとも思えない。ブラームスのドヴォルザークに対する惚れ込み振りを見ると、つい信じたくなるエピソードだ。もっと調べたい。

2009年11月 4日 (水)

大損

昨日の記事「財産管理人」でジムロックとブラームスの関係を推測した。その中でジムロックがブラームスの資産を運用に回していたのではないかと述べた。

実はそれにはちゃんとした証拠がある。

1895年ジムロックはブラームスに詫びる。ブラームスの資金を投じて購入した株が、企業の破綻で紙クズにでもなったのだろう。ジムロックの判断で投じた20000マルクが損失となった。ジムロックはブラームスに損失の返済を申し出たのだ。

ブラームスは、これを「走れメロス」的言い回しで毅然として拒絶する。もちろんこの投資話自体は、事前にブラームスに伝えられてたらしいが、そんなことは話していた間だけ念頭にあったと回りくどい慰め方をするブラームスだ。

ジムロックの過失による20000マルク約1000万円の損失について、少なくとも書簡上では全く非難していない。交響曲1曲の原稿に対しての支払いが15000マルク(750万円)だったこと思い出さねばならない。あるいはジムロックの競合相手が第3交響曲に20000マルクを提示した際、ジムロックはブラームスに15000マルク以上の支払いは経営に影響する旨言明していることから、20000マルクの重みが類推出来よう。

このエピソードで浮かび上がるのは2人の揺ぎ無い信頼関係だ。どうも商売上の旨味ばかりではない絆を感じてしまう。

ジムロックという人物を、ドヴォルザークの伝記で読むか、ブラームスの伝記で読むかによって印象が180度違って来ることが身に沁みる。

2009年11月 3日 (火)

財産管理人

ブラームス作品を原稿の買い取り価格という切り口から深く見つめる記事を連ねてきた。さらにドヴォルザーク作品の買い取り価格を対比することで、出版人ジムロックの姿勢を浮かび上がらせようと試みた。

一言で言えば「ブラームス高のドヴォルザーク安」と称することが可能だ。

ブラームスとドヴォルザークにおける対応の差に深くため息をつかざるを得ない。こうしたジムロックの姿勢の違いが何に起因するのか私なりに考えを深めるというのが本日の話題だ。

キーワードは「財産管理人」だ。

ブラームスは、友人で出版人のジムロックに自らの財産管理を任せていた。借家住まいのブラームスだから土地建物等の固定資産は無い。おそらく古楽譜を含む膨大な量の蔵書を別とすれば、財産の最たる物は現金だ。おそらくほとんどが預金だろう。だからここでいう財産管理とは預金管理と見て間違いなかろう。

まとまった金額の出費、たとえば寄付などの送金はブラームス自ら手配するのではなく、ジムロックに手紙で指示していた。匿名の寄付のはずがジムロックの不手際のせいで名前が出てしまったことにブラームスが立腹するなど小さなトラブルはあったが、ブラームスの信頼は揺るがない。

こうした角度から「ブラームス高のドヴォルザーク安」という現象を再点検する。

ブラームス作品の原稿料がどれほど高くても、ジムロックから見れば自分が管理する口座に振り込むだけなのだ。あるいはブラームスの口座に振り込むことさえなかったかもしれない。定期的に入出金の状況や預金残高の報告はしたに決まっているが、ごまかそうと思えば出来た。一方ドヴォルザークへの支払いは、正真正銘自分の管理外への支出となる。この差は大きいと思う。ブラームスの口座にある限り、当座の運転資金の足しにはなったと思う。下手をすれば運用益さえ見込めることもあろう。財産管理人であれば資金運用までも任されていても不思議ではない。あるいは万一ジムロック社の資金繰りが悪化した場合、ブラームスが当座の運転資金を用立てることがあったかもしれない。さらにブラームスへの原稿料の支払い猶予ということもあったと愚考する。

こうしたブラームスとの蜜月関係をバックに、作品の買い取り相場を高く設定し、他社の参入を困難にすることで、事実上ブラームス作品の独占出版権を確保していたとまで想像したい。

よほどの信頼関係だ。小さな手違いは別として、お金でジムロックと揉めた形跡が無さそうというのが凄い。この手の有能なビジネスマンに金銭の管理を任せているのを見ると、現代のトップアスリートたちと交渉代理人の関係を思い浮かべてしまう。

そしてジムロックはブラームスよりも長命だったからなお盤石である。

2009年4月 9日 (木)

シュピッタへの引導

シュピッタは19世紀最大のバッハ研究家だ。同時にブラームスの友人でもある。2人の出会いはゲッティンゲンだ。ブラームスやヨアヒムと友好を深め、ともに当地の大学の講義を聴講した。

若い頃作曲を志したシュピッタだが、ゲッティンゲンで同席したブラームスの才能に接して方向転換したとされている。あるいはヨアヒムともこのとき知り合ったに違いない。音楽を志す者としてこの2人から得た衝撃は大変なものだっただろう。ヨアヒムを見て演奏面の限界を悟らされた上、ブラームスに至っては作曲と演奏の両方が既に彼岸の領域にある。シュピッタに対するブラームスの言葉が記録されている。

「いいですか作曲なんぞ私でも出来る」

この言い回しを皮肉と取るか、最高級の励ましと取るか難しいところだ。会話がかわされた2人の信頼関係に左右されよう。シュピッタの作曲の腕前と、音楽知識全般を知り尽くした言葉なのだろう。シュピッタは皮肉と取らなかった。作曲でも演奏でもない新たな境地を切り開いて行くこととなった。

その後シュピッタは現在に至るまで色あせることのない大著「バッハ伝」を著すことで面目を保ち、ブラームスから絶賛されるに至る。

もし私が続くとしたらシュピッタの後だ。

2008年5月14日 (水)

バッハ伝

1873年5月、19世紀最高のバッハ研究家フィリップ・シュピッタのライフワーク「バッハ伝」の第1巻が刊行された。

それまでの研究の成果を一瞬で霞ませてしまうその時点でのバッハ研究の金字塔であった。バッハのみならず、その後に続く作曲家研究の方法論的規範ともなっていった。現代の最先端の研究成果に照らせば、修正が必要になった部分も少なくないが、一個人の著述としてシュピッタの「バッハ伝」を凌ぐ研究は現代に至るまで出現していないという。

シュピッタは135年前の今日1873年5月14日、刊行されたばかりの「バッハ伝」第1巻を、意見を求める手紙を添えてブラームスに献じた。ブラームスの反応は感動的だ。8つ年下の気鋭の研究家に対し、暖かなまなざしと敬意に溢れた手紙を送って労をねぎらった。「独りよがり」を懸念するシュピッタに対して「出版は万人にとっての収穫となるでしょう」と激賞した。

ブラームスはこのときまでに、バッハ研究や演奏の分野で、第一級の研究者が一目置く存在になっていたのだ。そして年下の研究者の成果に対しても素直に敬意を表するという度量をも持ち合わせていたことになる。シュピッタとブラームスの交流は生涯続く。

1880年に刊行されることになる「バッハ伝」第2巻執筆の大きな励みになったことは申すまでも無かろう。

シュピッタの喜びが目に浮かぶ。何しろブラームスのお墨付きである。

シュピッタは幸せだ。私だって「ブラームスの辞書」をブラームスに見てもらいたかった。たとえ、コテンパンに酷評されても本望である。

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