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カテゴリー「512 友情」の17件の記事

2022年3月11日 (金)

もう一人の財産管理人

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻179ページにある話題。ホイベルガーの証言だ。ウィーンのフェリンガー博士がブラームスの財産を管理していると書かれている。ブラームスの財産の管理といえば、友人のフリッツ・ジムロックが有名なのだが、フェリンガー博士も管理を分担していたと受け取れる。

フェリンガー博士は、大企業ジーメンス&ハルスケ社のハプスブルク帝国支社支配人という地位にあるセレブでありながら、家族ぐるみでブラームスと付き合っていた。

ジムロックの本拠はベルリンだったから、同じウィーンにも財産管理人がいたほうが便利だったのかもしれないが、ホイベルガーの勘違いという可能性も心に留めておきたい。

2022年3月 8日 (火)

四国八十八か所一番札所

四国に点在する空海のゆかりの寺院が88か所あって、それらを参詣することを「四国遍路」と呼んでいる。全行程およそ1500kmだ。なんでも一番は気になるもので、一番札所はとしらべてみると、徳島県鳴門市の竺和山霊山寺だとわかる。西暦815年行基の開山だなどという基礎情報にはすぐにたどりつく。

ブログ「ブラームスの辞書」的に大切なことがある。同寺は、坂東ドイツ人捕虜収容所から1km少々の位置にある。1918年3月8日、同収容所の捕虜たちによる「芸術と技術の展示会」が本堂をメイン会場に開催された。ドイツの高い技術を示す目的で捕虜たちがさまざまな品物を出店した。12日間の会期におよそ5万人がおとずれた。日本人の入場も認められたばかりか東久邇宮殿下の来臨があるなど、日独の交流に一役買ったという。

2019年12月16日 (月)

賛辞

シューマンがブラームスを発見した喜びが、名高い論文「新しい道」に反映していることは有名だ。あるいは出会いの日以降のシューマン夫妻の日記はブラームスの記事で埋まっているし、シューマンの遺児もその様子を証言している。

さらに別な系統の証拠もある。それはシューマンからヨアヒムに送った手紙だ。周知の通り、ブラームスはデュッセルドルフのシューマン邸を訪れるにあたってヨアヒムからの紹介状を持参した。形の上ではヨアヒムの紹介により訪問したのだ。だからシューマンはその礼をヨアヒムに書き送る。「よくぞこいつを紹介してくれた」ということだ。「もしもう少し若ければ多韻律の詩を書いただろう」とブラームスと出会えた喜びを表現している。文学を志しただけのことはある。

さらに印象的なフレーズがある。「彼は40時間で地球の周りに輪を描ける男だ」というものだ。オリジナルのドイツ語がどういうものかわからないが、読めば読むほど魅力的な表現だ。

現在聴くことのできるブラームス作品のホンの数分の一の作品を聴いただけでこの熱狂ぶりだ。

2019年11月13日 (水)

墓碑の絵

1880年5月に完成したロベルト・シューマンの墓碑は、その前に存在した旧墓碑を撤去して設置された。その旧墓碑がブラームスの手によって建立されたことはすでに何度も述べた。その現物が今どこにあるのかという情報がなかなか得られなかったが、このほど驚くべき発見をした。

 

シューマン系のホームページの中に、旧墓碑の絵が掲載されていた。そこにはブラームスの建立云々という説明はなかった。

2016年10月 1日 (土)

旅は道連れ

唐突な話題。ブラームスの生涯8度のイタリア旅行は、ただの一度も一人旅をしていない。必ず同行者がいた。

  1. 1878年 テオドール・ビルロート、カール・ゴルトマルク
  2. 1881年 テオドール・ビルロート
  3. 1882年 テオドール・ビルロート
  4. 1884年 ルドルフ・フォン・デア・ライエン
  5. 1887年 フリッツ・ジムロック、テオドール・キルヒナー
  6. 1888年 ヨーゼフ・ヴィトマン
  7. 1890年 ヨーゼフ・ヴィトマン
  8. 1893年 ヨーゼフ・ヴィトマン

ビルロートとヴィトマンがそれぞれ3回帯同している。大抵の伝記には載っているのだが、漫然と読んでいると記憶には残らないので一覧にしておく。

2012年1月 4日 (水)

ベルンハルト・ショルツ

1879年3月ブレスラウ大学はブラームスに学位授与を打診する。1876年にケンブリッジ大学が試みたものの、まんまと辞退されているから周到な準備が重ねられた。何よりもまずドーヴァー海峡が横たわっていないことが、決定的な追い風となる。数本の大河を越えるだけで事足りる。さらに学位の授与式への参列を求めないという切り札でブラームスの心を動かす。ブレスラウの条件は唯一つ。この機会に祝典的な作品を作曲することだった。

この周辺の段取りに尽力したのが、本日の主役ベルンハルト・ショルツ(1835-1916)だ。当時ブレスラウ音楽協会の指揮者の地位にあった。

この時からかれこれ20年遡る1860年、新ドイツ楽派に対する有名な宣言文がブラームスを含む4名の署名とともに発表された。準備の手違いもあって、予定していた署名人が集まらなかったため、さして効果的とは言えない檄文で、反対陣営に付け入る隙を与えた代物だった。このときの署名した4名の中に、ベルンハルト・ショルツがいた。いわば「戦友」だ。

ブラームスが作品のタイトルをどうするか思案していたときに「ヴィアドリーナ」を提案したのは、実はこの人だった。

大学祝典序曲は1880年9月13日にはクララとピアノ連弾版、同年12月6日には、ベルリン高等音楽院のオケで管弦楽版という具合に試演を重ね、1881年1月4日にはブレスラウで初演にこぎつけた。演奏はショルツの手兵ともいうべきブレスラウ管弦楽協会だ。ショルツは自らの率いるオケを作曲者ブラームスに委ねて敬意を表した。

2010年8月22日 (日)

友情

ブラームスが世に出るにあたりシューマンの功績が大であったことは良く知られている。23歳年下のブラームスにとってシューマンは恩師という表現がふさわしい存在だったと思う。

ドヴォルザークの立身出世においてブラームスが果たした役割もこれに勝るとも劣らない。けれども恩師と生徒という感じよりは友人に近いものを感じる。ブラームスはシューマンの助力もあって、順調に音楽界での地位を上げていった。1862年29歳で決意したウィーン進出もうまくいった。オーストリア帝国の首都での音楽的な地位の向上により、国家奨学金の審査員となった。ブラームス41歳だ。このときドヴォルザークはプラハで雌伏の時を過ごしていた。ブラームスとドヴォルザークの違いは、決定的な出会いが何歳の時に訪れたかだけであるような気がする。

早くに出世したブラームスが運良く審査する側に回り、後を追ったドヴォルザークが審査に応募したに過ぎない。2人は師弟ではない。ドヴォルザークの側はブラームスに恩義を感じていたとは思うが、ブラームスはドヴォルザークを助言が必要な後輩とは思っていなかったと感じる。

才能に相応しい光をあてただけだ。

2010年2月10日 (水)

ハンスリックの懸念

米国から帰国後、1895年に発表された2曲の弦楽四重奏曲を最後に、ドヴォルザークが絶対音楽から遠ざかったことは昨日書いた。

オペラや交響詩に関心が移ったのだ。1896年に発表されたのが3曲の交響詩だ。「水の精」「真昼の魔女」「金の紡ぎ車」だ。このうち前2曲がハンス・リヒターの指揮で、ウィーンでも演奏された。

これを聴いたハンスリックは、ドヴォルザークの作風の変化を敏感に感じ取り、リヒャルト・シュトラウスのようになりはせぬかと心配した。「絶対音楽」の旗手一人が、陣営から出て行くという危機感を持ったと解されている。

思い詰めたハンスリックは、もう一人の旗手ブラームスに相談を持ちかけた。「友人として警告をすべきかどうか」である。その警告が実際に発せられたのかどうかホノルカ博士の伝記では曖昧に書かれているが、結果としてドヴォルザークは「英雄の歌」を書く。交響詩の路線をひた走るのだ。

このときのブラームスの反応は伝えられていないが、残された作品群を見ればハンスリックの懸念は、あながち的はずれとは言えない。

2010年1月29日 (金)

ウィーン高等音楽院

ウィーンでもっとも名高い音楽教育機関。発足は19世紀初頭1812年。現在は国立だが当時は楽友協会の所轄だったという。楽友協会の元芸術監督のブラームスが、ホールの校長席にしばしば姿を現したのはそのせいだろう。

1875年を最後にブラームスは楽友協会芸術監督の座を退く。その後も楽壇における存在感と比例して、楽友協会内部での発言力は増大していったと思われるが、ブラームス自身が教鞭を取ることはなかった。

1896年に至っても尚、ウィーン高等音楽院の教授人事に影響力があったのではと思われるエピソードがあった。3月ブラームスはドヴォルザークにウィーン高等音楽院で作曲を教えるよう説得を試みた。既に前年に楽友協会の名誉会員に推挙されていたドヴォルザークではあったが、結果としてこの招聘人事は実現していない。ドヴォルザークはプラハを離れる決意がついに出来なかったということだ。断りを入れたドヴォルザークに対するブラームスの対応は暖かな思いやりに溢れたものだった。辞退したドヴォルザークが逆に恐縮したほどだ。

クララの没する2ヶ月前、ブラームス自らの旅立ちの1年1ヶ月前だ。ブラームスの信任がどこまでも厚いドヴォルザークだった。

2010年1月23日 (土)

財産の分与

ブラームスの遺書が法律的には無効な形で遺されたために、後で訴訟沙汰になった話は割と知られている。詳しい経緯を知りたくて調べているがなかなかたどり着けない。

実子が無く、姉も弟もブラームスより先に亡くなっているから、遺書の役割は重大だ。

  1. トゥルクサ夫人 ウィーンの生活を切り盛りして最期看取ってくれた。
  2. カロリーネ・シュナック 父の後妻だからブラームスの継母。
  3. イシュルの大家 毎年夏にお世話になるイシュルの家主。

この3人の他に楽友協会で決まりと思っていたら、思わぬお宝に巡り会った。

音楽之友社刊行の「大作曲家ブラームス」という本だ。ハンス・A・ノインツィヒなる人物の著述が和訳された代物だ。この中に驚くべき記述があった。

ブラームスは、自らの財産をドヴォルザークが望むだけ提供すると申し出たらしい。これが遺産分与の話なのか生前贈与の話なのか定かではないのが残念だ。さすがにドヴォルザークは辞退したとされている。話の出所は娘婿でもあったスークであるから、信憑性は高いと思われる。

この本、他の部分の記述を読む限り、出任せやはったりがあるとも思えない。ブラームスのドヴォルザークに対する惚れ込み振りを見ると、つい信じたくなるエピソードだ。もっと調べたい。

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