大観覧車
ウィーン進出後のブラームスはしばしばプラーター公園を訪れた。だからあの名高い大観覧車を知っていたのかを調べていたら、面白い話にたどり着いた。
観覧車の設計者はガボール・シュタイナーという技術者だった。腕の立つ技術者だったから設計には自信があったらしいが、お役所の許可が下りずに苦労したと伝えられている。苦労話はさておき、彼の兄フランツ・シュタイナーはアン・デア・ウィーン劇場の支配人なのだが、どうもヨハン・シュラウス2世の2番目の妻リリーの駆け落ちのお相手だったらしいのだ。
さらに彼の息子は1888年生まれでマックス・シュタイナーという。名付け親はリヒャルト・シュトラウスで、ブラームスからピアノの手ほどきを受けたとされている。15歳でウイーン音楽院に進んでグスタフ・マーラーの薫陶を受けた。4年の課程を1年で終えたという天才振りだった。いやはや後期ロマン派総出という感じがまぶしい。
第一次大戦を期にアメリカに渡り映画音楽の分野でブレークする。「風と共に去りぬ」の音楽を担当したほか、アカデミー賞にも名を連ねている。
肝心の観覧車の完成は1897年6月21日だった。つまりブラームスは間に合っていない。高さおよそ65mの観覧車一周の料金は6グルデンという結構なお値段だったが、庶民が殺到したという。ブラームスが元気だったら絶対に乗っていたハズだ。現代で申せばスカイツリーみたいなモンだろう。
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