10月27日の記事「秋のソナタ」を書いてしまったならば、どうしても触れざる得ないネタがある。「ブラームスは春夏秋冬のどれが好きなのだろうか?」という話である。
標題音楽に背を向けたブラームスであるから、作品のタイトルに四季の痕跡を見ることは難しい。弦楽六重奏曲第1番が「春の六重奏曲」とあだ名されているが、ブラームス本人の関知するところではない。器楽作品の中には四季のいずれかを暗示する部分は無いと考えていい。
やはり四季に対する感性は欧米人と日本人では差があるのかもしれない。ビートルズは膨大な作品を残しながら「四季」を何らかの形で盛り込んでいるのは「Here comes the sun」の「winter」ただ一箇所だったと思う。
ブラームスとて例外ではない。しかし歌曲の作曲のためにブラームスが選んだ詩には、わずかながら四季を描写したものがある。タイトルそのものに四季のいずれかが盛り込まれているケースや、タイトルには無いものの歌詞の中に四季を盛り込んでいるケースである。総数としてあまり多くないので以下に列挙する。対象は四季(春夏秋冬)の言葉が直接出現するものに限った。日本人の感覚であれば四季を連想する単語であっても、カウントには入れていない。たとえば「雪」「夕立」「月」などはそれぞれ「冬」「夏」「秋」とも受け取れるが、ブラームスもそうだったとは断言できないのでカウントしていないということだ。また「五月」も「春」か「夏」か怪しいのでノーカウントとした。
<春>
- 愛と春Ⅰ op3-2
- 愛と春Ⅱ op3-3
- 春 op6-2
- 誓い op7-2
- 春の慰め op63-1
- 春は優しい恋の季節だ op71-1
- 秘め事 op71-3
- 恋歌 op71-5
- 昔の恋 op72-1
- 春の歌 op85-5
- 調べのように op105-1
- ねこやなぎ op107-4
<夏>
- おお来たれ、心地よい夏の午後よop58-4
- 夏の宵 op84-1
- 夏の宵 op85-1
<秋>
- 秋思 op48-7
- 野を渡って op86-4
<冬>
- 霜が置いて op106-3
ご覧の通りこの勝負は「春」の圧勝である。
ブラームスの故郷ハンブルグは北国である。ウイーンはハンブルグよりは相当南だけれども、緯度で言うなら日本の北海道に相当する。当然冬は厳しく、夏は短い。長い冬から開放される春を待つ気持ちは、日本人の想像を超えていると思われる。そして春は5月からなのだ。「五月の夜」や歌詞に「五月」が出てくる「口づけ」op19-1は、「春」に加えてもいいくらいなのだ。
逆に秋は短い。日本のように秋を初秋、仲秋、晩秋と3分割出来るほど長くないのだ。その長くない秋は、冬に備える準備で忙しいのだ。そうした感覚が上記の統計に反映していると思われる。
春12曲のうち短調は4番と8番の2曲だけだ。夏は2番が短調だ。春夏15曲のうち短調は3曲だけである。一方秋冬は3曲全て短調になっている。
秋にブラームスが聴きたくなったり、秋というとブラームスを連想するのは日本人の特徴のようだが、こと歌曲の題材で見る限り「春」優勢は動かし難い。ドイツに当時流布していたテキストが数の上で元々「春優勢」で、ブラームスは満遍なく曲を付けただけという可能性もあるが、留意だけはしておきたい。
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