ヨーゼフ・ヨアヒムは1831年に生まれ1907年に没した19世紀を代表するヴァイオリニストの一人である。ヴァイオリン教師、指揮者、作曲家としても才能を発揮した。
さすがに名人なので同世代の作曲家たちの創作意欲を刺激してきた。ブラームスも唯一のヴァイオリン協奏曲をヨアヒムに献呈している。実際にヨアヒムはこれを初演した。初演後もしばらくほぼ独奏者の栄誉を独占し続けた。自らの弟子たちにブラームスのヴァイオリン協奏曲を広めたのも彼である。ブラームスのヴァイオリン協奏曲が現在の位置づけにあることについてヨアヒムの功績は大きい。
またヨアヒム四重奏団のリーダーとしてブラームスの室内楽作品の演奏にも積極的だったし、指揮者としていくつかの管弦楽曲を初演するなど、ブラームス作品全般への傾倒が顕著である。ハンガリア舞曲のヴァイオリン版への編曲も彼の功績の一つである。
さらに当時あまり演奏されることがなくなっていたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の再評価にも功績があった。現在ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲がスタンダードな位置にあるのはヨアヒムのお陰である。
一方ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲もヨアヒムに献呈されたかの様相だ。ヨアヒムは作曲の過程でドヴォルザークからあれこれと相談を持ちかけられてもいる。シューマンもヴァイオリン協奏曲の初演をヨアヒムに依頼している。なのにヨアヒムはこの2曲の協奏曲を生涯一度も演奏しなかった。また、シューマン、ディートリヒ、ブラームスの3人がヨアヒム歓迎のために共作した「FAEソナタ」も、ブラームス作の第3楽章以外は公に演奏していないらしい。これらはブラームスやベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲に対する態度と対照的である。何より彼は演奏家であるから、中途半端にコメントが残っているよりも、演奏していないという事実は雄弁だと思う。
その一方で、ドヴォルザークの弦楽四重奏の10番と11番をヨアヒム四重奏団が初演しているから、ドヴォルザークを嫌っていた訳では無さそうだ。
晩年、若い頃の様な友情が保てなくなった後も、ブラームスの作品に対するヨアヒムの高評価は一貫している。ベートーヴェンよりもブラームスを高く評価していた形跡さえあるという。
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