ビスマルクの家
ビスマルクはドイツ帝国創設の功臣として、ドイツ国民から崇拝されたこともあって、その住居は名所化しているケースが多い。大抵は広大な敷地を持つ屋敷なのだが、中には小さな住まいもあった。
1832年から1年間ゲッティンゲン大学に在籍していた頃の下宿がある。これが現地ゲッティンゲンではビスマルクの家として名所化している。市街をグルリと取り囲む城壁跡の内側、南西の端にある。ゲッティンゲン中央駅からはほぼ南に800mほどの位置。
ドイツ語では「Bismarck Hauschen」(aはウムラウト)と綴られる。Hausの縮小形なので、小さな家の意味。出世前の学生にふさわしい。
1862年に宰相に就任してにわかにビスマルク熱が高まったために名所化したが、滞在当時は無名の存在だった。ブラームスがヨアヒムとともにゲッティンゲン大学に通った頃はもちろんアガーテと知り合ったころでさえ、まだ名所扱いはされていなかった。アガーテの自宅は、ヨアヒムから「城壁のそばの家」と証言されている。アガーテの自宅とビスマルクの下宿がご近所だった可能性が無いとは言えない。
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