影のMVP
記事「MOW」で話題にしたウィーン楽友協会のブラームスコレクションの中に、いぶし銀の光を放つ遺品群がある。
ブラームスが作曲の際に使用したスケッチだ。楽想を練り上げて行く際に書き留めたメモという位置づけ。
ブラームスは他の作曲家について、作品の成立過程をうかがい知るためにスケッチを収集してたのは周知の通りだ。出版された楽譜や自筆スコアからでは判らない作曲の過程いわば作曲工房を覗き見ることができるからだ。
ところが、ブラームス自身は自作についての作曲工房を見られることを極端に嫌った。水準に達しない作品は容赦なく破棄したし、スケッチの扱いも一貫していた。現代ならシュレッダーを愛用していたに違いない。ブラームスコレクションに残されたスケッチは、ブラームスがウィーンの自室でゴミ箱に廃棄したものだ。これをゴミとして処理せずに拾い上げ素知らぬ顔で保管した人物がいたのだ。
セレスティーネ・トゥルクサ
ブラームス最後の10年を家政婦として支えた人物だ。ブラームスの信頼は絶大だ。ブラームスの死後長く生きていたのに、ブラームスについては沈黙を貫いた。手記の1つも書けば、まとまったお金になったに違いないのだが、ブラームスの信頼にこたえる方を選んだ。
自分が世話をする人物がただならぬ大物という自覚はあった。音楽に精通していなくても、身近に暮らす中から嗅ぎ取った直感だろう。でなければ彼女がブラームス自室のゴミ箱に打ち捨てられたスケッチを拾い上げるはずがない。おそらく厳密にはブラームスの信頼を裏切る行為だろうが、後世の愛好家研究者にとっては創造主、女神にも見える。シュレッダーがなかったことを心から喜びたい。
きっとブラームスも今頃笑っているだろう。
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