卓上でインクを入れておく容器のことだ。万年筆の発明は19世紀初頭に遡るものの、普及し始めるのは19世紀後半から20世紀にかけてだ。時間関係で申せばベートーヴェンは持っていなかったのは確実だが、ブラームスは持っていたかもしれないという感じである。
万年筆の普及以前にも作曲家は楽譜への記入にインクを使っていた。いちいちペン先をインクに浸しながら、せっせと書いていたのだ。だからときどき楽譜にはインクのシミがある。誤りを修正するときは、紙を薄く削った。バッハ研究において、筆跡の他これらの痕跡は、様式判定の重要なファクターになっていることは、良く知られている。
おそらくブラームスも作曲にはインクを用いていた。万年筆も出始めたとはいえ、ペンが作曲家にとっては必需品だったことも想像がつく。
1862年ウィーンに定住を決めたブラームスは、ハンブルク女声合唱団の定期的な指導が出来なくなった。このときハンブルク女声合唱団のメンバーは、ブラームスを気持ちよく送り出す。喧嘩別れではないし、むしろ団員からの信頼厚いブラームスだから、後ろ髪を引かれる思いもあったはずだ。彼女たちはブラームスに心をこめた餞別を贈る。銀製のインクスタンドだ。とても高価な品物だが、むしろ大切なのはそこにこめられた意味。それはその後のブラームスの仕事にとっての必需品だという認識だ。これには「ウィーンへ行って作曲でがんばってね」というメッセージに違いない。クララやヨアヒム、あるいはビューローなど、演奏家への餞別なら別の品物になっていたはずだ。紛れもなく「作曲家ブラームス」への餞別だ。
このときまだ、第一交響曲はおろか、ドイツレクイエムも世に出ていない。けれども彼女たちは、ブラームスの指導振りにもまして、団のための次々と書き下ろす作品の出来映えを見て作曲家ブラームスの可能性を肌で感じていたということだ。その証拠に団員の何人かは自分が受け持ったパートを写譜して持ち帰っていた。それらはブラームスから返却要請されることもなく現在に伝えられた。
ハンブルクを旅立つブラームスへの餞別ネタを以って5月20日から始まったハンブルク特集を収めることとする。
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