ブラームスの伝記には食事のシーンが数多く現れる。音楽界の大御所の割には慎ましやかな生活をしていたとされるブラームスだが、おいしいものは好きだった。独身だったこともあって食事は外食中心である。昨年7月以来取り組んだ地名探検の副産物として派生したのが本日のネタだ。
ブラームスの伝記に現れるカフェやレストランの一覧表を作成した。これのどこが正月にふさわしいのかわからぬが、地名に明け暮れたここ半年の総括として公開する。ネタの出所は音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」全3巻である。
ミシュランはタイヤメーカーとして名高いが、むしろレストランガイドの発行元としての知名度もこれに劣っていない。本日の記事はレストランを序列化こそしていないが、これにあやかってブラームスミシュランと位置づける。ブラミシュランはその省略形である。
- 赤いハリネズミ ウィーン・ヴィルトプレートマルクトにあるブラームスのお気に入り。どんな伝記にも必ず現れるポイント。シューベルトの伝記にも現れるが住所が違っている。
- ヴァルターカフェ イシュルのカフェ。1894年か95年の夏にフローレンスメイと立ち寄っている。
- ヴィザヴィ ウィーン国立歌劇場のカフェ。ゴルトマルク等と夜中まで歓談。
- ヴィルツハウス 1896年秋体調を崩して訪れたカールスバートのレストランと思われる。
- 美しいランプ亭 ウィーン市内。1860年代の行きつけだった。
- エールバーの小さなピアノサロン 正式名称不明。ピアノメーカー「エールバー」のサロンだ。第3交響曲の2台のピアノ版の演奏のあとそのまま食事になだれこんだと、ホイベルガーが証言する。
- ガウゼ ウィーン・ヨハネスガッセのレストラン。
- 楽友協会レストラン 正式名称不明。1894年4月23日ヘンシェルを交えた会食があった。
- 金の鐘亭 ウィーン7区ノイバウガッセ。金の球亭との混同があるかもしれぬ。
- 金の球亭 金の鐘亭との混同があるかも。
- 熊亭 正式には「ベーレン」という。リヒテンタールの宿屋兼レストラン。ここの女将に色紙を贈った。
- クレムザー 1892年11月28日にホイベルガーと立ち寄ったウィーンのカフェ。
- ホテル・ザッハー 1886年11月24日 チェロソナタ第2番初演の打ち上げ。
- ジェニオ ローマはトレビの泉に程近いカフェ。1888年のイタリア旅行で訪れた。
- 鹿亭 1896年5月6日、63歳を祝うパーティがあった。
- シュテーク亭 イシュル近郊のシュテーク、トラウン川沿いのレストラン。
- シュテルツァー ウィーン郊外ロダウンにある。ホイベルガーとのピクニックでしばしば立ち寄った。
- チェコ グラーベン通りのカフェ。ゴルトマルクがブラームスと初めて会った。
- 地下ビアホール 正式名称不明。1868年4月10日ドイツレクイエム初演の打ち上げだからブレーメンのどこかだろう。
- チボリ ウィーン・シューンブルン宮殿のそば。
- チャールダ プラーター公園の中にあるハンガリー風居酒屋。女性楽団「リヒター」の演奏がお気に入りだった。
- 鉄道亭 ミュルツシュラークのレストラン。駅の構内だと思われる。
- カフェ・パウアー ウィーンオペラ座の向いにある。
- ハッケル ゴルトマルクと1882年8月21日に昼食をとった。
- ハンブルクの酒場 名称不明。10代のころアルバイトでピアノを弾いた。一軒ではないことも考えられる。
- ファーンベルクのホテル 名称不明。リューゲン島滞在中のヘンシェルの宿。ブラームスがやってきて昼食をとった。
- ポスト イシュルのホテル。1895年6月11日ホイベルガーに食事をおごった。
- 緑の樹亭 ミュルツシュラークだ。ブラームスの隣家が火災になった時、危なく救い出した第4交響曲の楽譜を一時保管したところ。
- ミュルツターラーホーフ ミュルツシュラークのホテル。
あけましておめでとうございます。
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