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カテゴリー「554 論争」の14件の記事

2017年12月21日 (木)

Die absoluten Musik

「絶対音楽」と訳されている。19世紀欧州楽壇を二分した論争の片方の旗印。ブラームスはその首領と目されている。本人の認識はともかくそう位置付けられてきた。

この言葉の初出は意外なことにワーグナーだと言われている。1846年ドレスデンでベートーヴェンの第九交響曲を指揮したワーグナーが、聴衆向けに執筆したプログラムノートの中、第4楽章に登場する。低弦によるレチタティーヴォを、「絶対音楽の枠を全て打ち破るかのように」と形容している。どうやらこれが用語としての「絶対音楽」の初出だという。

ベートーヴェンが絶対音楽を究極まで推し進めた結果、とうとうそれ以上どうしようもない瞬間だと位置付けている。ワーグナーはだからそこから「声楽が始まる」というのだ。

ワーグナーの考えや、論争の争点を語るのはいささか荷が重い。

大事なことは、バッハやベートーヴェンは、自分の音楽を「絶対音楽」などという言葉で規定していなかったということだ。

2017年9月18日 (月)

解釈への不介入

19世紀後半のドイツ音楽界を2分した論争の、片方の陣営の首領がブラームスだったことになっている。本人が進んで旗を振っていたとも思えないが、伝記その他の書物を読む限り、ブラームスが体制側の古ダヌキであったと感じる瞬間も多い。

その論争における両陣営の旗印が「標題音楽」と「絶対音楽」だった。もちろんブラームスは「絶対音楽」の側。19世紀後半に台頭した「標題音楽」の反対概念だ。「標題音楽」が台頭して来ることによって、初めて成立したのが「絶対音楽」だったように思える。バッハやベートーヴェンが自らの音楽を「絶対音楽」だと考えていたとは思えない。

ブラームスは当時、論争の存在自体は認識していたが、自らの使命を「アンチ標題音楽」と考えていたかどうかは不明だ。単に自らの脳裏に去来する音楽が「標題不要」の音楽だっただけかもしれない。音楽は言葉の助けがあってこそ成り立つと考えなかっただけのことだ。

ブラームスの姿勢は自信と放任に満ちている。自らが是とする音楽を、楽譜に盛り込みきることに徹し、自らの考えをジャーナリスティックな手段で表明することは無かった。この姿勢は、自らの作品にけして「標題」を奉らなかったことと同根だと感じる。

私はこれを「解釈への不介入」だと受け止めている。楽譜以外の発言をしないことで、作品の演奏者や聴き手の解釈に介入しない姿勢の表れだ。ブラームスが保証するのは作品の完成度だけで、演奏や解釈にはノータッチということだ。作曲家が没した後は、いずれそうなると悟っていたに違いない。

「標題」はかなり有力な解釈への介入だ。クラシック音楽に興味を持ち始めた頃、なんとなく標題のある作品に親しみを感じたことは既に遠い記憶になっている。標題の由来を知ることは音楽への興味を増す一助にはなったが、そのように感じない自分に失望するという副作用も味わった。

作品ジャンル名、通し番号、調性、作品番号で語られるブラームスの作品では、それらが鑑賞の先入観にならない。そういうブラームスを愛する自分がいる。そのことを「絶対音楽」と呼ぶかどうかは、あまり気にしていない。

2012年8月10日 (金)

中央党

ドイツ帝国成立後、ビスマルクがカトリック教会と対立した話題は既に出た。ローマ教皇ピウス9世率いるカトリックを、帝国の敵と位置づけて激しく弾圧した。「教皇は絶対に過ちを犯さない」など極端な考えのピウス9世は自由主義や民主主義、科学など一切を否定した。

この争いのこと文化闘争と呼んでいる。ビスマルクの弾圧も苛烈で、プロイセン国内の修道院が解散させられたために、いくつかのワイン醸造所が人手にわたった。聖職者は「哲学」「歴史」「ドイツ文学」について文化試験をパスするように義務付けた。

極端な政策を実行すれば敵も現れる。ドイツ帝国憲法に少数派となるカトリックの権利を保障することを求める中央党が発足した。1870年のことだ。普墺戦争でお取りつぶしにあったハノーファー王国出身のウインドホルストが党首を務める。「反帝国」「反プロイセン」「反統一」を掲げ、ビスマルクと真っ向から対立する。

中央党の議席数を目安にする限り、文化闘争におけるビスマルクの旗色は悪い。ピウス9世の崩御によって幕引きされる文化闘争だが、中央党はいつもビスマルクの野党であり続けた。

中央党は現在ドイツの与党CDUキリスト教民主同盟の前身らしい。

2011年8月22日 (月)

エルクとブラームス

ルートヴィッヒ・エルクは19世紀後半に活躍した近代ドイツ民謡学の巨星だ。つまりブラームスと同時代ということになる。ブラームスは自他共に認める民謡愛好家だから、当然ながらエルクを知っていた。知ってはいたが、ブラームスはエルクを評価していない。

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻ホイベルガーの項105ページ以降しばしば、エルクが話題に上る。エルクの高弟ベーメが、エルク亡き後その遺志をを次いで1893年に刊行した「ドイツのうたの宝」についてホイベルガーと交わした会話が記録されている。

元々ブラームスは書物や楽譜が新しく刊行されるとすかさず入手して、論評を書き込む癖があった。エルク&ベーメの「ドイツうたの宝」も例外ではなかった。ところがブラームスの評価は芳しくない。芳しくないどころか「怒り心頭」というニュアンスで語られている。

  1. 歌の善し悪しではなく骨董的価値が収集の基準になっている。
  2. モチーフからメロディを立ち上げる手順がワンパターン。
  3. 収集の地域がブランデンブルクに偏っている。

あまりの怒りに本来人には見せないはずの論評を発表しかねない勢いだったという。誰かが止めたのか自重したのかは明かではないが、結果としてブラームスは論評を避けた。その代わりに発表したのが「49のドイツ民謡集」WoO33だった。ホイベルガーが刊行後に「エルク&ベーメの歌集に対する反論ですね」と冗談交じりに突っ込むとブラームスは「論評はいつまでたったも完成しないが、これなら未来に残るからな」と真顔で答えたという。

ブラームスの剣幕だけは伝わって来るばかりでエルク&ベーメの歌集のどこがブラームスの逆鱗に触れたのか情報が不十分だが、手がかりはある。8月20日の記事「民謡のタネ本」をご覧頂く。ブラームスにテキストを供給した民謡集を一覧表にしたものだ。この中にエルクの息のかかった歌集が無いことは象徴的だ。

エルクの歌集は19世紀中頃から次々と刊行され、各方面から称賛されてきたからブラームスが知らなかったといことはあり得まい。知っていながらテキストとしての採用を見送ったのだ。

2009年2月19日 (木)

論争の原点

19世紀欧州の楽壇で論争があったことはよく知られている。ブラームス、ワーグナーの両陣営に分かれて活発な論争があったのだ。もちろん両者のうちのどちらが優れているかという議論は不毛だ。夕食のメニューにハンバーグとカレーライスのどちらが優れているかの議論のようなものだろうが、当時は真剣だったのだ。

奇妙なことにこの両者はベートーヴェンを信奉するという点においては共通している。「ベートーヴェン大好き」から湧き出た両者なのに、結果としては論争対立という図式を描き続けたのだ。

ベートーヴェンの最後の交響曲がある。「第九」と通称される交響曲ニ短調のことだ。ワーグナーはこの終楽章に合唱が導入されたことを指して、「ほら、器楽はやっぱし言葉の助けがないと主張出来ないのだ。ベートーヴェンも認めているではないか」という具合である。

一方のブラームスは、「でも、ほらやっぱり合唱なんか入れなくてもちゃんと交響曲が書けますよ」とばかりに第一交響曲を書く。だから終楽章の主題を第九交響曲のフィナーレを飾る「歓喜の歌」と似せているのだ。聴き手にベートーヴェンの第九交響曲を想起させながら、頑として声楽を排除したことに意味があるのだ。もちろんブラームスは管弦楽と合唱の融合した曲が書けない訳ではない。それどころかブラームスはまさにその「管弦楽付き合唱曲」である「ドイツレクイエム」で世に出たのだ。

あのドイツレクイエムのブラームスが、意図的に第九に似せた交響曲にさえ声楽を用いていないことがポイントなのだ。

2009年2月 7日 (土)

言行不一致

言ってることとやってることが合わないこと。

大なり小なり誰にでもある。本音と建前の上手な使い分けは世の中遊泳には必要とも思われる。

かつてドイツの音楽界でワーグナー派とブラームス派に分かれて論争が起きていたことがある。相手の派閥の作品の初演を妨害したり、手厳しく論評したり、選挙戦さながらの様相を呈していたらしい。フーゴー・ヴォルフは、「アンチブラームス派」の急先鋒で、ブラームスの諸作品に対して激しい論調で攻撃したとされている。「ブラームスの交響曲全部と管弦楽曲全てを合わせても、リストの交響詩の中のシンバルの一撃の方が音楽性に満ちている」等々である。

ブラームスの伝記には多かれ少なかれこうした論争のことが書かれている。

ところがところがである。CDショップを徘徊していて掘り出し物をゲットした。ブラームスの合唱作品のホルン四重奏編曲のCDである。収録されているのは作品41の4つの男声合唱から1番2番3番と、作品44の12の女声合唱から2番と6番である。帰宅してさっそく聴いた。

クラリネット五重奏曲の例もあるので念のため申し添えるとホルン四重奏は、ホルン4本のアンサンブルだ。なかなか癖になる響きである。何かとホルン大好きなブラームスだから、ブラームスの音楽的志向に逆らっていない。合唱の各パートが忠実にホルンに差し替えられている。編曲の腕の見せ所というよりも、何もしないことに徹した辺りを評価せねばいけないのだろう。「感心感心」というノリで何気なく編曲者を見たら「ヴォルフ」とある。目を疑うとはこのことだ。

ブラームスの作品をコキおろしてきたヴォルフその人の編曲だったのか。よっぽどのブラームス好きでもあまり聴くことがない地味な合唱曲を、これまたホルン4本のアンサンブルに編曲するとは、玄人好みも甚だしい。自らの音楽性を世に問う野心作ではなかろうが、それにしてもである。はっきりって嫌いじゃ出来ないと思う。音楽史に残るべき言行不一致だ。

という具合に色めき立った。念のため英語の解説を必死に読んだ。何のことは無い。それは「Howard Wolf」という別人だった。ご丁寧にイニシャルまで一致している。ちゃんとジャケットにもフルネームで記載して欲しいものだ。一時はどうなることかと思った。

2008年12月26日 (金)

ブラームス派

19世紀後半のドイツ・オーストリア圏において、音楽界を2分する論争があったことは広く知られている。

2つの相反する考え方が自説を主張しつつ、相手を攻撃したのだ。マーラーあるいはシェーンベルグなどの世代まで下ってしまうと、ほとんど意味のない論争になったとの指摘もあるが、当時は真剣だったらしい。

これらの陣営それぞれに名前がつけられている。この名前の内の片方が「ブラームス派」だという訳た。ブラームスが「ボクに味方する人よっといで」とやった訳ではないのだが、なんとなくワーグナー派と拮抗する勢力に名付けられてしまったということだ。

後世の研究家愛好家を含めてこの論争を傍観する人々にとっては、両陣営に名前が付いていた方が何かと盛り上がるのだ。ウイーンに限定するならワーグナー派をブルックナー派と言い換える向きもある。つまり便宜上の言い回しである。

ブラームスは機関誌を作って意見を述べたりなんかしていないし、パーティー券を売りさばいたりもしていない。論争の存在自体を認識はしていたと思うが、自分が片方の陣営の首領であるという自覚があったかどうか疑わしい。

2008年6月26日 (木)

ネガティブキャンペーン

事実上の選挙用語かもしれない。2人の候補者の一騎打ちの選挙戦で、しばしばネガティブキャンペーンの応酬が見られる。

選挙運動の主流は公約の宣伝を通じて、自らの優位性のアピールをするというのが自然だ。しかし世の中そうも行かないことが多い。相手の欠点の指摘がこれに取って代わることも少なくない。これが「ネガティブキャンペーン」だ。相手のイメージを下げることを通じて、結果として自分を持ち上げることが狙いである。行き過ぎると見苦しいことは周知の通りである。

6月21日の記事で紹介した「悪口の辞典」はこの手の攻撃に満ちている。とりわけブラームスの時代には音楽史上でも有名な論争が行われていたから、攻撃の手数も増えていったと思われる。しかしである。エピソードとしてこの論争の激しさがどれほど印象的であろうとも、ラジオもテレビも無い時代だ。論争は主に新聞や雑誌の誌上で行われたのだ。そこで繰り広げられた論争の激しさは先の「悪口の辞典」でうかがい知ることが出来るが、ブラームスの言われ方はぬるい方だと感じた。

時は流れ現代はネット社会だ。その手の論争はしばしばネット上の掲示板で発生する。

もちろんブラームス派とワーグナー派の論争がある訳ではないが、サッカーのサポーター間のやりとりなどは相当過激である。私はサッカーが好きだから贔屓チームを取り扱うサイトをいつも閲覧するが、直視に耐えない論争も起きている。シーズン中ともなれば週に1回か2回行われる試合が、絶え間なく論争のタネを供給する。

理不尽で一方的な書き込みにさらされることも多い。管理人の苦労ばかりが透けて見える。それに比べればブログ「ブラームスの辞書」は無風である。

ブラームスを贔屓するあまり、他の作曲家にネガティブキャンペーンを仕掛けてはなるまい。そんなことをしなくてもブラームスは十分に偉大である。

2007年12月14日 (金)

C.P.E.バッハ

バッハの次男。カール・フィリップ・エマニュエル・バッハ。人呼んで「ハンブルグのバッハ」。ハンブルグ音楽界の重鎮だった彼は1788年12月14日にハンブルグで亡くなった。ブラームスはおろか、彼の父や恩師のマルクセンでさえ生まれる前の話である。

クラヴィーアの演奏や作曲では名声が高く、生前は父バッハよりも高名だったというが、彼の作品のいくつかが父の作品として伝えられていることもある。

「フルートとチェンバロのためのソナタト短調BWV1020」もそうした作品の一つである。ブラームス存命中に刊行が準備された「旧バッハ全集」は、ブラームスの生前には間に合わず1900年になって全巻完結にこぎつけた。その中でこのソナタはバッハの作品として扱われている。ウイーン楽友協会に保存されているこの作品の筆写譜には、はっきり「C.P.E.バッハ」と書かれているにも関わらずだ。しかも今でこそ楽友協会資料室に収蔵されているが、元の持ち主は、何とブラームスだったのだ。ブラームスの膨大な古楽譜コレクションは、死後楽友協会に寄贈されて今日に至っているが、この楽譜もその一部だろう。

「旧バッハ全集」の編集に尽力した当時屈指のバッハ研究家フィリップ・シュピッタは、ブラームスの友人でもあったというが、ブラームスのコレクションを見せてもらってはいないのだろうか。

偽作問題研究者の間では常識とも言える法則があるという。「同一作品の作曲者が無名作曲家と有名作曲家であることを示す資料が並存する場合、大抵は無名作曲家の作品である」というものだ。C.P.E.バッハは父に比べれば相対的に無名であるから、その時点でこのソナタはバッハの手によるものではないと推定出来そうなものだ。あるいは、当時はその有名度が現在と逆だった証拠と解するべきかもしれない。

ブラームスは、この次男だけでなく長男の作品の出版に際して、校訂を手がけていたから、バッハの息子たちの書法にも精通していたと思う。このフルートソナタがバッハ作と扱われているのを見て、きっと皮肉の一つもぶっていたに違いない。

2007年8月17日 (金)

ルカ受難曲

バッハの受難曲は現在2曲が伝えられている。「マタイ受難曲」と「ヨハネ受難曲」だ。ところが19世紀にはこれに加えて「ルカ受難曲」がバッハ作とされていた。メンデルスゾーンによる「マタイ受難曲」の蘇演を初めとするバッハ再評価の流れに乗って「ルカ受難曲」がバッハによる真作と位置付けられたのだ。BWV246という番号を背負っていることからも、一時真作という扱いを受けていたことがわかる。

何しろ当時最高のバッハ研究家であるフィリップ・シュピッタがバッハ本人の若かりし頃の作品という見解を示したことで「ルカ受難曲」の位置付けは磐石に見えた。

ところが、フィリップ・シュピッタの友人で作曲家のご存知ブラームスは、その見解に異議を唱えた。「もしそれがバッハ作というなら、多分バッハが赤ん坊の頃の作品だろう」と述べて事実上偽作と決め付けた。

作品の真贋は多くの場合様々な分野の知識を結集して判定される。楽譜に用いられた紙の質、五線の形状、インクの品質・色、筆跡等はそれぞれに専門家が存在するくらいの研究分野である。古い楽譜のコレクターでもあったブラームスは、それらの知識もそこそこ持っていただろうと推定できるが、何よりもバッハ作品を若い頃からミッチリと叩き込まれていたことから、偽作と断定した最大の根拠は「様式感の相違」それも相当決定的な相違だったと思われる。

結局2人の存命中には決定的な結論は出なかった。20世紀に入って間もなく、決定的な証拠が発見され論争に決着がついた。ブラームスの言った通り偽作であった。別の作曲家の受難曲をバッハが息子のエマニュエルと共同で書写したということが確実になったのだ。

ブラームスのバッハ好きは筋金入りである。

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