出版の意味
ブラームスの作品出版は、本人が関与していた。ブラームスが出版用の原稿を出版社に渡す順番に番号が付与され、それをブラームス本人が管理していたと目される。原稿を渡したのちに何らかの事情で、順序の逆転がおきることがまれに発生したが、網羅性という観点からは問題はない。作品番号順がほぼ出版順になっていると考えていい。
ところがバロック時代はとなると状況が一変する。
「出版」は作曲家が自作を世に問うための一手段に過ぎない。当時の作品演奏の場は、王侯貴族の館、オペラハウス、教会、コレギウムムジクムとに大別できる。演奏に際しては出版譜ではなく手書きの筆者譜で事足りる。ブラームスの時代は音楽の受け手が担い手が市民になったから出版こそがポイントになるのだが、バロック時代は違った。
ヴィヴァルディの作品は、未発見のものもあると見込んで800とも1000とも言われているが、作品番号を持っているのはそのうちの114作に過ぎないし、声楽作品は全滅だ。
ヴィヴァルディ作品の出版は下記の通りだ。
- op1 1705年
- op2 1709年
- op3 1712年
- op4 1712年
- op5 1716年
- op6 1716年
- op7 1716年
- op8 1725年
- op9 1727年
- op10 1729年
- op11 1729年
- op12 1729年
- op13 1737年
- op14 1740年
ヴィヴァルディの生年は1678年、没年は1741年ということを頭に入れて上記のリストを見る。op1は27歳、op14は62歳だ。35年にわたる出版生活だが、網羅性という意味でははなはだ心細い。そのうえop13とop14は本人が出版に関与していない疑いまであるらしい。
それなりに様式の変遷は見てとれるから、定点観測のツール程度には役立つが、作品番号付きの作品だけを分析したところで大した結論にはならない。
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