シューマン全集
ロベルト・シューマンは生前1851年に、もし自分の身に何かが起きたらという用心のために、遺作として残された楽譜の出版を誰と相談するべきかをクララに書き残していた。従順な妻クララではあったが、結果としてこの件に関してはロベルトの遺志には従わなかった。シューマン全集の刊行にあたりクララが相談を持ちかけた相手は2人だ。ブラームスとヨアヒムである。シューマンの支持者は少なくなかったが、クララは「あなた方以外は信用できません」とばかりにブラームスとヨアヒムに全幅の信頼を置いた。
ブラームスが自作の草稿をことごとくクララに送って批判を仰いだように、クララは校訂譜の全てをブラームスに送って意見を求めた。刊行された楽譜は全責任をクララが負うという体裁になっていたが、合唱作品、室内楽及び管弦楽においてはほぼ全面的にブラームスの意見が採用されているという。
1881年あくまでクララの校訂とされた「ロベルト・シューマン全集」が、ブライトコップフ社から刊行された。ブラームスも深く作業に関わっていたために、クララはブライトコップフ社からの報酬の半額を受けとるよう説得したが、ブラームスはこれを固辞した。いやいや渋い。
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