音楽之友社刊行「ブラームス回想録集」第3巻92ページだ。ブラームスの友人でスイスの詩人ヴィトマンの記述に感動的な話が載っている。
ブラームスとヴィトマンは愛犬アルゴスを連れてインターラーケンに程近いグリンデルヴァルトに出かけた。アイガーをバックに雄大な氷河を望むアルプス有数の名所だ。ハプニングはここで起きた。愛犬アルゴスとはぐれてしまうのだ。泣く泣く捜索を諦めてヴィトマンとブラームスはベルンのヴィトマン邸に帰った。金曜日のことだ。
週明けの月曜日の朝。ブラームスはクララのいるバーデンバーデンに向かうために身づくろいをしていると、ドアをひっかく音。何とアルゴスがベルンに帰還したのだ。一家総出の大騒ぎの中、ブラームスは自分の出発も忘れてアルゴスをくしゃくしゃにした。「そこいらの忠犬物語じゃないんだぞ」と叫んだという。
ヴィトマンは回想録の中で具体的な地名を挙げてアルゴスの苦難の道のりを思い遣る。
- アイガーの中腹にそって
- シャイデック Scheideggと
- ヴェンゲン Wengen を越え
- ラウターブルンネン Lauterbrunnen
- インターラーケン Interlaken
- そこからトゥーン湖畔
- 最後にベルンへ
という具合だ。これを先に買い求めた地図上でトレースした。これはイーターラーケンからの登山鉄道の西回りだと判る。ここに出た地名は現在の観光ガイドでは欠かされる事のない景勝地ばかりだ。4番ラウターブルンネンまでは上記のルート通りにアプト式鉄道が走っている。つまり下りとはいえ相当な勾配だということがわかる。ブラームスが訪ねた当時もこのアプト式鉄道があったが、飼い主とはぐれた犬が乗車出来たとは思えない。だからこのルートはヴィトマンの推定でしかないのだ。インターラーケンからトゥーンの間に横たわるトゥーン湖の北岸を進んだのか南岸をたどったのかさえわからない。
現代のスイスの観光ガイドを読む限り、犬が単独でインターラーケンに下山するならグリンデルワルトからツヴァイリュッチネンに直行する東回りの方が現実的と感じる。あるいはアルゴス号が主を乗せた列車が西回り線を走り去るところを見ていた可能性もある。だから線路をずっとたどったと考えると西回りという可能性も残る。
いずれにしろ総延長60kmは下るまい。金曜日にはぐれてから、3昼夜でベルンに帰還したのだ。さらにヴィトマンの記述にはアルゴスが子犬であったことが仄めかされている。これを犬の嗅覚は鋭いからとか、単なる帰巣本能でと論評するのは容易いが、地図上でトレースしてみてアルゴス号の凄さがわかった。もしかするとアルゴス号は主人ヴィトマンに連れられて何度かグリンデルワルトを訪れたことがあるのかもしれない。そう考えねばにわかには信じられない。東京から東海道線に乗れば平塚くらいで、大阪からなら明石の少し先までに相当するが、行程のアップダウンはそれらの比ではあるまい。
ブラームスはその後の手紙でアルゴス号に言及している。「パン切れなんかじゃなく、肉を与えてくれ」「きっとブラームスからの挨拶だと思ってくれるはずだ」とある。
地図は楽しい。
最近のコメント