トマスカントル辞退
私のカンタータライフの中央に君臨するカール・リヒター先生の経歴を調べていて興味深いことを発見した。
ザクセン州で生まれた彼はやがて、ライプチヒで学ぶ。カール・シュトラウベやギュンター・ラミンというトマスカントルたちが師匠である。1956年、ギュンター・ラミンの死去に伴い、トマスカントルにと白羽の矢が立った。すでにミュンヘンに本拠を移していたせいかリヒターは、この申し出を断る。
どこかにそういう人がいた。
そう、ブラームスだ。ブラームスもまた1879年46歳のときに、トマスカントルへの就任要請を固辞している。
両者どちらか、あるいは両方がこれを受諾していたら、音楽史が少しは変わっただろうか。少なくとも私の音楽ライフには大きな影響があったはずだ。
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