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    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

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    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

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カテゴリー「578 デュッセルドルフ」の10件の記事

2014年5月17日 (土)

路面電車

ドイツ語では「Strassenbahn」か「Stadtbahn」と綴る。スペリングから判断する限り電化されていることが条件ではないようだ。ブラームスの故郷ハンブルクには市電は無いが、ドイツはあちこちの街に市電が発達している。ブラームスが乗ったことありそうな市電ベスト10を選定する。

  1. ウィーン 1865年開業の馬車鉄道が起原。電化は1897年だからおそらくブラームスは間に合っていない。馬車鉄道になら乗っていた。
  2. フランクフルト 1872年開業。晩年のクララを訪ねて盛んに訪問しているから乗っていたかもしれない。
  3. ライプチヒ 1872年開業。ピアノ協奏曲第1番で煮え湯を飲んだが、ヴァイオリン協奏曲初演のころから雪解け。しばしば立ち寄ったからきっと乗っている。
  4. ベルリン 1865年開業。ブラームスのベルリン嫌いは知られているが、ジムロックやヨアヒムが住んでいたからやはり何かのついでに乗っていたかもしれない。
  5. デュッセルドルフ 1876年開業。シューマン家に住んでいたころにはまだ未開通だったことがネック。演奏会でしばしば訪れていたからそのついでに乗ったかも。
  6. プラハ 1875年開業。ドヴォルザークに会いに出かけたついでに乗っていたような気がする。
  7. ドレスデン 1872年開業。ザクセンの首都だからしばしば演奏会で立ち寄った。ふとしたはずみで乗っていたかもしれない。
  8. ケルン 1877年開業。二重協奏曲初演の頃には開通していた。
  9. ボン 1892年開業。開業が遅いのがネックだが、いきなり電車だった可能性もある。
  10. ミラノ 1881年開業。イタリア旅行の際乗っていたかも。

1894年開業のグムンデンは軌道幅1000mmの珍しさが売りだが、少々遅い。上記3と7は愛好家にはお宝。ライプチヒの軌道幅1458mmとドレスデンの1450mmは、世界中でここだけの超レア軌道幅だ。その他はみな標準軌なのでつまらない。

2013年12月16日 (月)

アルトビア

ビール王国の座を英国から奪取したバイエルンの原動力が下面発酵ビール「ラガー」だった。その後チェコ・ピルゼンの台頭を許したとはいえ、いまでもバイエルンビールの牙城は揺るがない。ところが、ドイツ中のビールが下面発酵ビール一辺倒にもならないという多様さこそがビール王国ドイツの由縁だ。

英国でいう上面発酵ビール「エール」もしっかりと各地で生産されている。これらが総称されて「アルトビア」となる。「Altbier」と綴る。下面発酵ビールよりも起源が古いことから「古いビール」という意味だ。単に「アルト」で「アルトビア」を指す場合もある。

もっとも代表的なのがデュッセルドルフの「アルトビア」だ。1853年10月ブラームスはここデュッセルドルフにあったシューマン邸を訪れ、歓待される。その後1ヶ月滞在した。そして1854年2月のシューマン投身の後およそ2年間当地で過ごしている。その間アルトビアを賞味しなかったはずは無い。

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写真はデュッセルドルフの代表的アルトビア。

2013年3月 1日 (金)

船舶ギルド

記事「船橋考」で、デュッセルドルフのシフスブリュッケについて疑問を提起した。ライン川の船舶航行を妨げるような橋があり得るのかというのがその主旨だった。調べを進めていて面白い話にたどり着いた。

ライン川の船運が上流から下流まで一気通貫だという私の思い込みがどうやら間違いだった。現在でも国際河川であるライン川だが、当時はさらに多くの小国を貫流していた。川が国境を越えるたびに積荷に課税された。徴税のほかにもさまざまな既得権にさらされていた。そうした既得権のひとつが「船舶ギルド」だ。ケルンやマインツなどライン沿岸の有力都市には船舶ギルドがあり、荷役の独占が認められていた。航行する船の荷物は、船舶ギルド所属の船に積み替えねば、通行を許されなかったのだ。いわば「積み替え特権」である。つまり船舶ギルドが支配する都市付近では強制的に積み替えが発生するということに他ならない。先般話題にしたデュッセルドルフに船舶ギルドがあったかどうか未確認だが、運搬船がライン川を積み替え無しで行き来するという前提はそもそも疑ってかかるべきだとわかる。むしろシフスブリュッケの存在が、デュッセルドルフでの積み替えの有力な物証に見えてきた。

陸上輸送における関税は、ブラームス生誕の翌年に成立した関税同盟によって撤廃されたのに対して、内陸水上交通には長く積み替え特権が残ったとされている。この慣行が完全に撤廃されるのは、19世紀末だった。例のシフスブリュッケの撤去が1897年だったことと不気味に符合する。

それでもなお、この橋が、撤去と架設を頻繁に繰り返していた可能性は否定できないものの、疑問は感じてみるものだ。調べてみるとなるほどなことが多い。

2012年9月30日 (日)

クリミア戦争

オスマン帝国の弱化につけこんで南下政策を推進するロシアと、これを阻止せんとする英仏連合の戦い。黒海のクリミア半島が主戦場になったことに由来するネーミングだ。日本ではナイチンゲールの話とともに言及されることが多い。

結果は英仏連合の勝利。戦いの趨勢が決まった頃に連合国側として参戦したオーストリアに、ロシアが嫌悪感を示したことは当たり前だが、あまりの節操の無さに英仏両国での評判もガタ落ちした。これに対してプロイセンは断固中立を守った。フランスはロシア本土に派兵するために、フランス軍のプロイセン通過を要求したが、当然のごとくこれをはねつけて、ロシアに恩を売った。

開戦は1854年3月27日で、収束が1856年3月30日。よく見て欲しい。シューマン入院のおよそ3週間後に始まって、同地で没する3ヶ月前に終結したということだ。シューマン最後の闘病生活はクリミア戦争とほぼ重なっている。プロイセンは中立を守ったとはいえ、英仏露墺にトルコがしのぎを削った戦争だったのだが、シューマン夫妻やブラームスの伝記だけをいくら熱心に読んでも、クリミア戦争の実感は伴いにくい。

2012年4月11日 (水)

デュッセルドルフ

1853年10月1日シューマン邸をブラームスが訪ねたことで音楽史が変わった。そのシューマン邸があったのがここデュッセルドルフ。2日目3月29日午後に訪問した。昼食の後市庁舎前のライン川に行く。ちょうど1854年2月27日にロベルトが投身したといわれている場所に近い。とうとう来てしまったかという感じ。ケーニヒスアレーに戻って解散し自由行動。ビルカーシュトラーセ15番地にあるシューマンハウスに一目散だった。もちろん練りに練った予定の行動。

夫妻の部屋は2階だそうだが1階にシューマン協会の事務所がある。ドアは施錠されている。思い切って呼び鈴を押すと中に人の気配。協会のお兄さんが出迎えて、中に招き入れてくれた。日本から来たブラームス好きですとつたえ、レクイエムの3楽章の独唱を口ずさんで見せると「レクイエム」という嬉しい反応があって意気投合。訪問者名簿にサインした。感動して声が上ずってしまう。

ここで大失態が発覚。献呈するつもりだった「ブラームスの辞書」をバスにおいてきた。あちゃーという顔をした私を、長男が慰める。日本に帰ってから私の著書を送るから受け取ってくれと伝えると、名刺を取り出して住所欄にマーカーを引き私に差し出す。お礼に日本から持参した北斎の絵葉書を渡すとえらく喜んでくれた。

シューマン協会オリジナルの絵葉書32種類壁に飾ってある。1枚40円程度なので全部くれと申し出ると驚いた表情。一度に全部買う客は初めてだそうだ。長男が彼と私のツーショットで写真を撮ってくれたが、個人情報なので非公開。

門を出るとき、長男にドアをたたく仕草をさせて一枚撮った。シューマン邸を訪ねたブラームスは二十歳だった。3月15日に二十歳になったばかりの長男の出番というわけでこれを公開する。

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長男の希望で市電に乗って駅に行く。夕食まで少し街を観察することにした。

夕食後デュッセルドルフの中心街ケーニヒスアレーの東すぐに位置する聖ヨハネ教会で次女たちのオケが最初の演奏会を開いた。3月29日19時の開演。

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プログラムは以下の通り。

  • 和太鼓演奏 菅谷大樹:「ひかり」 「日本から来ました」という名刺代わり。打楽器担当の生徒8人が大小さまざまな打楽器9種類を演奏する。「気をつけ。礼」という挨拶に始まって同様の挨拶で終わる。本当にユニークで和の魂にあふれたオープニングでアウェイ聴衆の心をいきなり鷲づかみ。弦楽器の席を全部取り払った場所での演奏。次の作品の前に弦楽器奏者の椅子を並べねばならないのだが、その手際のよさは見事なものだ。整然としたその動きを見ているだけですがすがしい気持ちになる。

<セレモニー>

日本国デュッセルドルフ総領事の挨拶。日本青年館の挨拶。デュッセルドルフ市長からの挨拶。県知事からの親書と記念品の贈呈があった。

  • ワーグナー:マイスタージンガー前奏曲 
  • オルガン独奏 バッハ:「主イエスキリストよ我ら汝に感謝し奉る」BWV623
  • オルガン独奏 バッハ:「神よ我らを助けたまえ」BWV624 日本ではありえぬくらいの長い残響。教会独特の響きがもっともマッチする。客席からはオルガンの席は見えない。演奏のはじめと終わりにバルコニーみたいなところに出てきてお辞儀。本場の教会で聞くオルガン。
  • 高野辰之作曲、岡野貞一作詞「朧月夜」 
  • 山田耕作作曲、三木露風作詞「赤とんぼ」  
  • シャルパンティエ:テデウム ここから現地のユースオケとの合同演奏。
  • ビゼー:カルメン組曲より「前奏曲」 
  • ビゼー:カルメン組曲より「ジプシーの歌」 
  • 川手誠:「OKINAWA」 世界初演。再び次女たちのオケだけの演奏。
  • マスカーニ:「カバレリアルスティカーナ」より間奏曲 

200人の聴衆にはお年寄りも多い。杖をつきながら倒れこむように着席してじっと聞き入ってくれた人もいる。およそ15万円の寄付が集まり、全額を小児ホスピスに寄付となった。

さて、昨日シューマン協会へ「ブラームスの辞書」を贈る手配をした。SchwarzKatzeで名高い会社の海外便を使って3100円だ。およそ1週間で届くはずだ。

2011年7月18日 (月)

ブラームスゆかりの街

ブラームスの伝記に深く親しんでいると、ブラームスと特に関係の深い街があるとわかる。ブログ「ブラームスの辞書」ではこのほど以下の通り「ブラームスゆかりの街30選」を選定した。

  1. ハンブルク ★★★★★ ブラームスの故郷。1862年29歳でウィーンに出るまでこの街で過ごした。名誉市民でもある。
  2. ウィーン ★★★★★ 1862年から1897年に没するまで35年過ごした。1年のうち4ヶ月は避暑のためにウィーンを離れるものの蜜月関係は疑えず、中央墓地に埋葬されている。
  3. デュッセルドルフ ★★★★☆ 1853年二十歳のブラームスがシューマン邸を訪問して音楽史が変わった。シューマン投身の報を聞いてブラームスが馳せ参じた街。
  4. イシュル ★★★★☆ 避暑地として最多の滞在。楽壇の重鎮はここでも人気者。
  5. フランクフルト ★★★★クララシューマン臨終の地。クララの家で最後の対面が実現した。
  6. バーデンバーデン ★★★★ クララの別荘があった。1862年から10年間ほぼ毎年訪れた。イシュルと双璧をなすお気に入り。
  7. ブレーメン ★★★★ ドイツレクイエム初演の地。
  8. ペルチャッハ ★★★★ 第2交響曲作曲など一連傑作群を生んだ。
  9. ゲッティンゲン ★★★☆ ヨアヒムと学びアガーテと出会う。
  10. デトモルト ★★★☆ クララの斡旋によるはじめて就職した宮廷。
  11. マイニンゲン ★★★ 第4交響曲初演。宮廷楽壇の機能を丸ごと貸与したビューローの功績とともに。
  12. ボン ★★★ シューマン夫妻埋葬の地。エンデニヒにも近い。
  13. カールスルーエ ★★★ 第一交響曲初演。「宮廷劇場」
  14. ライプチヒ ★★★ ピアノ協奏曲第1番不評。クララの父にも会っている。
  15. カルロヴィヴァリ ★★☆ 肝臓の治療に訪れた。
  16. ブレスラウ ★★☆ ブレスラウ大学より名誉博士号受諾。
  17. ミュルツツーシュラーク ★★☆ 第4交響曲作曲。火災の救援に参加。
  18. トゥーン ★☆3度の夏を過ごしたスイスの保養地。
  19. ヴィースバーデン ★☆第3交響曲作曲の地。
  20. ザスニッツ ★☆ 第1交響曲作曲の地。 
  21. プレスバウム ★ ピアノ協奏曲第2番作曲の地。
  22. トゥツィング ★弦楽四重奏曲第1番2番作曲の地。
  23. ブダペスト ★ マーラーのドンジョヴァンニを聴いた。
  24. ハノーファー ★ シューマン投身の報をココで受ける。
  25. リューデスハイム ★ベッケラートの家がある。
  26. ケルン ☆ ダブルコンチェルト初演。
  27. グムンデン ☆ 初のブラームス博物館。
  28. ベルヒテスガーデン ☆ 大学祝典序曲ピアノ版初演。相手はクララ。
  29. リシュリコン ☆ 第一交響曲を作曲。
  30. ワイマール ☆ リストの前で居眠りしたという。 

2009年10月30日 (金)

デュッセルドルフのオファー

デュッセルドルフの指揮者の地位は、ロベルト・シューマンが病気によって退いた後、ユリウス・タウシュが就任していた。どうもあまり有能とは言えなかったらしく、1876年頃には水面下を含めて後任人事が取り沙汰されていた。

まっ先に挙がったのがマックス・ブルッフだ。「作曲ばかりしそう」という理由で撤回された後、ブラームスの名前が挙がった。1875年4月にウィーン楽友協会の芸術監督の地位を退いたブラームスは、その時点で定職に就いていなかった。提示された年俸は6000マルクだったという。ウィーン楽友協会芸術監督の年俸が6000マルクだったから、それを意識した提示である。

1853年つまりロベルト・シューマンの在任最終年の年俸が2250マルクであった。25年の年月を超えてなお破格ぶりがうかがえる。

ブラームスがこのオファーを受けるかどうか、ドイツの音楽界の一大関心事になったという。なんだかサッカーの移籍市場みたいな感じである。周囲は気を揉んだ。友人知人たちの意見も賛否分かれた。ロベルト・シューマン退任の折に悔しい思いをしたクララは反対の側だった。

シューマンゆかりのポストだけに、感慨深いものがあったに決まっているが、結果は、拒否であった。クララの反対も大きかったし、何よりもウィーンが気に入っていた。年俸6000マルクのオファーを蹴ったということだ。作曲で食って行く自信とはこういうことかもしれない。

2009年10月28日 (水)

シューマンの収入

音楽之友社刊行の「作曲家◎人と作品」シリーズの「シューマン」の117ページから118ページにかけて、興味深い記述がある。ロベルト・シューマンの収入が細かく記載されている。惜しむらくは金額の単位が全てターラーになっている。マルクとの換算比率がわかりはせぬかと探していたら、マッコークルに載っていた。交響曲第1番に支払われた金額の15000マルクが5000ターラーに等しいとキッパリと書いてある。つまり「1ターラー=3マルク」である。

1850年デュッセルドルフ最初の年の収入が1584ターラーとある。4752マルクだ。1853年つまり最後の1年は1925ターラー=5775マルクに増えている。デュッセルドルフの音楽監督の年俸が750ターラーつまり2250マルクと記載があるが、これが内数か、別枠かはっきりしない。仮に別枠とすれば1853年の収入は8025マルクとなる。

ブラームスの第一交響曲と20年の隔たりがあることは常に念頭に置かねばならないが、目安には出来る。

2009年3月 4日 (水)

いざ鎌倉

鎌倉将軍の家来である御家人の心意気を表す。鎌倉に一大事があれば、何をおいても真っ先に駆けつけるという決意を述べた言葉だ。だからしばしば「一大事」が「いざ鎌倉」と表現される。

ブラームスにとっての「いざ鎌倉」はクララの死だ。1896年5月22日にイシュルで訃報を受けその夕刻には出発したが、列車の乗り違いなどの不手際の結果、24日の早朝にボンに着いたことは昨年11月18日の記事「乗り過ごし」で述べた。イシュル-ボン間750kmを36時間かけていることになる。

さてクララの夫、ロベルトがライン川に投身した時も「いざ鎌倉」だった。1854年2月27日だ。ロベルトは相当な有名人だったから、おそらく新聞にも載っただろう。ハノーファーに居たブラームスは翌28日にはこのことを知ったと思われる。クララの日記には急を聞いて次々と知人が訪れたことが記録されている。ブラームスのデュッセルドルフ到着はおそらく3月4日だ。3日という説と5日という説もあるらしいが、一応中を取って4日と考えておく。この年はうるう年ではないから知らせを聞いてから遅くも5日後の到着だ。

一命をとりとめたシューマンの入院先が決まり、何かとあわただしい中、ブラームスはシューマン邸から至近のポストシュトラーセに部屋を借りた。この年の年末までシューマン家に献身することになる。

そういえば最近、誰かのために走っていない。

2008年11月 9日 (日)

ポストシュトラーセ考

ドイツの地名を調べているとガッセ(Gasse)とシュトラーセ(Strasse)という言葉が頻繁に出てくる。一般に「Gasse」は「小路」、「Strasse」は「通り」と解されているが、日本人には実感を伴いにくい。

ちゃきちゃきのドイツ語ユーザーのブラームスさえこれを混同していた形跡を見つけた。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第1巻64ページに興味深い記述がある。親友アルバート・ディートリヒにウィーンの居所を伝える手紙の中に「ポストシュトラーセ6番地」とある。ところがここに注がふられ「ポストガッセ」の誤りだとの指摘が踊っている。引っ越したばかりで混乱していたと思われるが、次の手紙からは直っているとある。

ブラームスがガッセとシュトラーセを取り違えていた実例である。郵便局の近隣であることから派生する命名だから似たような地名はどんな街にでもあるのだろう。

さてここからが本題。ブログ「ブラームスの辞書」名物「お叱り覚悟の深読み」に入る。

このときのブラームスの勘違いには深い理由があると感じる。

1854年2月27日ロベルト・シューマンはライン川に投身した。シューマン一家を案じてブラームスがデュッセルドルフ駆けつけたのが3月4日か5日。その後の献身ぶりはつとに名高い。最初シューマン邸に起居したブラームスだが、献身が長期戦になることを見越して近所に部屋を借りた。シューマン邸のあったビルカー通りから1本西側の通りにある。その通りの名前が「ポストシュトラーセ」だったのだ。このときにシューマン一家への献身のために借りた部屋の住所がブラームスの先入観に深く刻み込まれたことは想像に難くない。あるいはウィーンでの住居決定の際にこの地名の類似が気に入った可能性さえ想像してしまう。アルバート・ディートリヒはデュッセルドルフのブラームス宅の住所を知っていたに違いないから、ウィーンでの新住所を読んでブラームスの洒落っ気を感じたかもしれない。

引っ越し間もないブラームスの勘違いというよりは、シューマン一家と苦楽をともにした記憶のためと解したい気分である。

単なるうっかりミスと考えるよりロマンティックである。

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ブラームスの辞書写真集

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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