1853年10月1日シューマン邸をブラームスが訪ねたことで音楽史が変わった。そのシューマン邸があったのがここデュッセルドルフ。2日目3月29日午後に訪問した。昼食の後市庁舎前のライン川に行く。ちょうど1854年2月27日にロベルトが投身したといわれている場所に近い。とうとう来てしまったかという感じ。ケーニヒスアレーに戻って解散し自由行動。ビルカーシュトラーセ15番地にあるシューマンハウスに一目散だった。もちろん練りに練った予定の行動。
夫妻の部屋は2階だそうだが1階にシューマン協会の事務所がある。ドアは施錠されている。思い切って呼び鈴を押すと中に人の気配。協会のお兄さんが出迎えて、中に招き入れてくれた。日本から来たブラームス好きですとつたえ、レクイエムの3楽章の独唱を口ずさんで見せると「レクイエム」という嬉しい反応があって意気投合。訪問者名簿にサインした。感動して声が上ずってしまう。
ここで大失態が発覚。献呈するつもりだった「ブラームスの辞書」をバスにおいてきた。あちゃーという顔をした私を、長男が慰める。日本に帰ってから私の著書を送るから受け取ってくれと伝えると、名刺を取り出して住所欄にマーカーを引き私に差し出す。お礼に日本から持参した北斎の絵葉書を渡すとえらく喜んでくれた。
シューマン協会オリジナルの絵葉書32種類壁に飾ってある。1枚40円程度なので全部くれと申し出ると驚いた表情。一度に全部買う客は初めてだそうだ。長男が彼と私のツーショットで写真を撮ってくれたが、個人情報なので非公開。
門を出るとき、長男にドアをたたく仕草をさせて一枚撮った。シューマン邸を訪ねたブラームスは二十歳だった。3月15日に二十歳になったばかりの長男の出番というわけでこれを公開する。
長男の希望で市電に乗って駅に行く。夕食まで少し街を観察することにした。
夕食後デュッセルドルフの中心街ケーニヒスアレーの東すぐに位置する聖ヨハネ教会で次女たちのオケが最初の演奏会を開いた。3月29日19時の開演。
プログラムは以下の通り。
- 和太鼓演奏 菅谷大樹:「ひかり」 「日本から来ました」という名刺代わり。打楽器担当の生徒8人が大小さまざまな打楽器9種類を演奏する。「気をつけ。礼」という挨拶に始まって同様の挨拶で終わる。本当にユニークで和の魂にあふれたオープニングでアウェイ聴衆の心をいきなり鷲づかみ。弦楽器の席を全部取り払った場所での演奏。次の作品の前に弦楽器奏者の椅子を並べねばならないのだが、その手際のよさは見事なものだ。整然としたその動きを見ているだけですがすがしい気持ちになる。
<セレモニー>
日本国デュッセルドルフ総領事の挨拶。日本青年館の挨拶。デュッセルドルフ市長からの挨拶。県知事からの親書と記念品の贈呈があった。
- ワーグナー:マイスタージンガー前奏曲
- オルガン独奏 バッハ:「主イエスキリストよ我ら汝に感謝し奉る」BWV623
- オルガン独奏 バッハ:「神よ我らを助けたまえ」BWV624 日本ではありえぬくらいの長い残響。教会独特の響きがもっともマッチする。客席からはオルガンの席は見えない。演奏のはじめと終わりにバルコニーみたいなところに出てきてお辞儀。本場の教会で聞くオルガン。
- 高野辰之作曲、岡野貞一作詞「朧月夜」
- 山田耕作作曲、三木露風作詞「赤とんぼ」
- シャルパンティエ:テデウム ここから現地のユースオケとの合同演奏。
- ビゼー:カルメン組曲より「前奏曲」
- ビゼー:カルメン組曲より「ジプシーの歌」
- 川手誠:「OKINAWA」 世界初演。再び次女たちのオケだけの演奏。
- マスカーニ:「カバレリアルスティカーナ」より間奏曲
200人の聴衆にはお年寄りも多い。杖をつきながら倒れこむように着席してじっと聞き入ってくれた人もいる。およそ15万円の寄付が集まり、全額を小児ホスピスに寄付となった。
さて、昨日シューマン協会へ「ブラームスの辞書」を贈る手配をした。SchwarzKatzeで名高い会社の海外便を使って3100円だ。およそ1週間で届くはずだ。
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