7月1日の記事「思い当たる節」でこのところ嬉しいニュースが続くと書いた。実は実はその後も止まっていない。7月2日に思いがけずMDが私の手許に届いた。差出人を見て驚いた。昨年10月12日の記事「卒業試験」の主人公からだった。
「ブラームスの辞書」op23の持ち主、ピアノを志す学生さんが卒業演奏でブラームスのバラードop10を全曲演奏することになった事に対する応援の記事だった。
卒業演奏は無事成功したと聞いたが、彼女が自分の演奏をMDに録音して贈ってくれたという訳だ。
- バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻よりプレリュード第9番ホ長調
- バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻よりプレリュード第8番変ホ短調
- バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻よりフーガ第8番変ホ短調
- ブラームス:インテルメッツォイ長調op118-2
- ブラームス:バラードニ短調op10-1
私に贈るためにわざわざ録音してくれたものだという。この選曲、配列だけで既に鼻の下が伸びてしまう。「卒業演奏で弾いたバラード全4曲はまたそのうち」という泣かせるメッセージもついていた。記事が今日になったのはブログ記事にする了解をいただくという点もさることながら、しっかり演奏を聴いてからじゃないと書けないからだ。
演奏の前にピアノのイスを動かすような音がする。「さあ弾くぞ」という緊張感が伝わってくる。程なくあっけないほど澄み切ったホ長調のプレリュードが始まる。空が高い感じがする。続く8番のプレリュードとフーガは平均律クラヴィーア曲集の中では長い方。漫然と弾いていは収拾が付かなくなる曲だ。ストーリー設定が出来ている感じがした。一番の感動はこれら全部がさりげなさと同居していることだ。
そして何たる曲。世界遺産インテルメッツォイ長調op118-2だ。私ごときがあまり語っては台無しになるが語らねば伝わらないのはジレンマだ。私に聴かせるために根を詰めて演奏したことは明白だ。場面の転換点ごとにキチンと論点が設定されている感じだ。「ブラームスの辞書」読んでくれてるのねってなモンである。来て欲しいところでちゃんと来てくれる安心感が心地よい。それでいてちっとも押しつけがましくないのが、演奏のせいなのか曲のせいなのか区別出来ていない。
ラストは卒業演奏で弾いたバラードからニ短調op10-1だ。「気迫が表に出ている」という観点から申すなら今回の5曲の中では随一だ。これに続くバラード3曲まで彷彿とさせる演奏だ。
様々なたたずまいを見せる5曲がキチンと消化されていて気持ちがいい。「こういう音楽をお持ちなんですね」という気になる。なんだかちょっとしたリサイタルを聴かせてもらった気分である。
実は家庭でのライブならではの出来事も起きている。バラードの途中に何回か「ミャーオ」というネコの鳴き声が聞こえるのだ。
- 4小節目の3拍目
- 5小節目の1拍目と4拍目
- 8小節目の3拍目(Poco piu motoの直前の絶妙なタイミング)
- 12小節目の3拍目(これもキッチリとフレーズの切れ目だ)
- 68小節目の4拍目
邪魔にならぬから不思議である。邪魔どころか上記の3~5は絶妙のタイミングだ。アレグロの中間部に入った後、音響的なヤマ場では声を潜めていて、もうこれで鳴かないのかなと思っていると、5番目で「ミャーオ」とやって締めくくっている。ペダルのひとつも踏んでいやしないか心配になるネコちゃんである。これでもしネコの名前が「エドワード」だったら完璧だ。
お礼代わりの記事がつい長くなった。
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