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カテゴリー「720 日本史」の119件の記事

2022年10月26日 (水)

参照歌人ランキング

実朝自身の作品の他に、参考歌もエクセルに取り込んだ。データベースにも使えて便利だという話をする。

参考歌1694首の作者340名について引用回数順にランキング化してみた。

  1. 紀貫之 69
  2. 九条良経  60
  3. 式子内親王  42
  4. 藤原家隆  38 
  5. 後鳥羽院  37
  6. 藤原俊成  33
  7. 藤原定家  30
  8. 柿本人麻呂  29
  9. 慈円  29
  10. 大伴家持  28
  11. 凡河内躬恒  26
  12. 西行  24
  13. 紀友則  20
  14. 寂蓮  19
  15. 山部赤人  17
  16. 藤原俊成女  16
  17. 飛鳥井雅経  15
  18. 素性  14
  19. 在原業平  13
  20. 大江匡房  11
  21. 能因  11
  22. 源経信  11

芳しいメンバーにため息が出る。気づいたことをいくつか。

  • 新古今世代を赤文字にしておいた。20人中11人という高密度。実朝自身より少し上の世代。
  • 小倉百人一首に歌が載っていないのは俊成女だけだ。実朝は百人一首なんぞ知らないのにこのありさま。
  • ランクインしなくても340人いれば百人一首歌人は網羅だ。
  • 人麻呂、家持、赤人がしれっとランクイン。万葉集の勘所もおさえていた証拠だ。
  • 首位の貫之に加え、躬恒、友則、素性、業平など古今和歌集にも相応の興味があった。
  • 数の上では男性が多いけれど、もともとそんなもん。百人一首と同程度だ。
  • 私の大好きな九条良経が60首で2位とは嬉しい限り。
  • 後鳥羽院が5位なのも納得。
  • 師匠の割に定家が低いか。

2022年10月25日 (火)

承久の変考

日本史選択の受験生には必須。結果として明治維新まで約650年続く武家支配が確定した事件。朝廷と幕府のこの決定的な衝突は後鳥羽院が北条義時追討の院宣を出したことに始まる。準備万端やる気満々の幕府に無謀にも喧嘩を売ったとも評する向きもある。思えば普仏戦争だ。準備万端のビスマルク・プロイセンの挑発に乗ってまんまと宣戦布告をしたフランスに似ている。ビスマルクならぬ尼将軍の演説一発で、御家人が反幕府で結束してとも伝わるが、御家人たちからしたら単に勝ち馬に乗るための計算ずくかもしれぬ。院宣一本で誰も幕府に味方はするまいという後鳥羽院の目論見がはずれたと強調される。

歴史にたらればはないと承知で妄想する。実朝の暗殺がなかったら朝廷と幕府が果たしてここまでこじれたかどうか。金槐和歌集を見る限り、実朝は後鳥羽院への忠誠心を隠していない。実朝が定家から授与された新古今和歌集は事実上後鳥羽院の親撰だ。その出来栄え体裁、あるいは後鳥羽院御製を見て実朝は後鳥羽院のキャラを正確に読みとったに違いない。その上でなお後鳥羽院への忠誠心特盛の歌を数多く詠んだとなると、これを本心と解さざるを得まい。

金槐和歌集を定家経由で奏覧していに違いない後鳥羽院の心証はどんなものだったのだろう。心からの忠誠を隠そうとしない武家の棟梁の心証が悪いはずはなかろう。

もし暗殺がなければ、承久の変は起こり得ず、やがて実朝は京に上り、後鳥羽院に謁見。しばし京に滞在し和歌談義をしたに違いない。後鳥羽院のアンチ北条特盛な不意のご下問に、「御意」とばかりの気の利いた即詠で意気投合などということはあるまいか。やがては幕府を京都に遷すなどという密約まではいくまいか。

 

 

2022年10月23日 (日)

右大臣在位55日

慶安5年だから江戸時代のことだ。今出川経季という人物が右大臣に任じられた。西暦に直すなら1652年3月18日のことだ。この人はなんと右大臣に任じられたその日に亡くなっている。右大臣在位1日でこれは史上最短だ。

1218年12月21日に右大臣に任じられて、翌年1月27日に暗殺された源実朝の在位は55日。在位1日の今出川経季ほど極端ではないにしても55日より在任期間が短い人は数人いる。がしかし大抵は左大臣に昇進するためだ。死没か昇進でしか空きが出ないのが右大臣だ。実朝の昇進は左大臣死去に伴い、右大臣が昇進して空位となったためである。そのわずか55日後に落命するとは思ってもいなかっただろう。

しかもそれは実の甥による暗殺だから京都ではそれなりの騒ぎになる。後鳥羽院や定家の受けた衝撃は小さいはずはない。貴族たちの日記にもそれが見て取れるというのに、吾妻鏡は淡々としている。

2022年10月22日 (土)

吾妻鏡

鎌倉時代の歴史書。北条氏の手による正史の様相を呈する。頼朝から6代将軍までを編年体で追いかける。北条氏視点に立った記述のため、同時代の別書物を参照しながらの確認も要るとされる。しかし鎌倉時代を知りたいと思ったら避けてばかりもいられない。

実朝の実情を知ろうとする場合、「金槐和歌集」と並ぶ2本柱とならざるを得ない。頼朝、頼家、実朝の死により一番得をしたのは誰かという視点からは、生煮えの記述もある。都合の悪い場合は沈黙しているようにも見える。少なくとも実朝補正のかかった私にはそう見える。

実朝の将軍在位は1203年から1219年まで16年にも及ぶ。江戸時代大御所と呼ばれた家斉の在位50年には及ばないし、吉宗や綱吉などの有名所よりも短い。室町幕府なら義満や義政には及ばないが、徳川秀忠と同じくらいでけして短くはない。北条氏の操り人形だったとか、官位に固執し、和歌や蹴鞠に没頭する公家かぶれだとか武士らしからぬ軟弱さだとか、こうした一般のイメージには吾妻鏡の印象操作もありはしないかと危惧する。

日本書紀を紐解けば「悪逆非道の前帝に代わって即位」という場合、前帝が本当に悪逆非道だったかどうかは一応怪しむべきだ。前帝からの皇位継承が不正だったことを隠す印象操作の可能性がある。歴史書を書いているのは前帝ではなくその後継天皇だ。前帝が悪い奴だったほうが何かと好都合だということだ。おごる平家はそれほど悪くなかったかもしれない。源氏にとっては「平家がわがままで、民心が離れていた」方が都合がよかっただけではないか。私には実朝が暗愚で、軟弱だった方が好都合な人が書いたのが吾妻鏡だと思えている。

過剰な実朝補正というお叱りは元より覚悟の上である。

2022年10月13日 (木)

実朝の名付け

建仁3年9月15日、朝廷から鎌倉に千幡を従五位に叙すという位記と、征夷大将軍の宣旨が届いた。どちらも9月7日付けだが、東海道を8日かけて下ってきたということだ。同時に「実朝」の名を後鳥羽院から授かった。後鳥羽院が実朝の名付け親ということになる。

このあたり8月27日頼家重病、9月2日比企の乱、9月6日頼家出家と吾妻鏡の記述はとにかくあわただしい。

その後も9月21日に頼家の鎌倉退去が決定。9月29日修善寺に下向。10月8日実朝元服だ。

そうそう、征夷大将軍の宣旨の日付建仁3年9月7日を今の暦に直すと1203年10月13日となる。今から819年前の今日だ。

 

2022年9月30日 (金)

師匠定家

実朝が自ら詠歌30作を定家に送って添削を乞うのが承元3年7月5日のことだ。定家はこれにこたえ合点を付して送り返す。定家の歌論書「詠歌口伝」とともに鎌倉に届くのが8月13日である。その間40日だ。鎌倉京都間片道8日間とするなら、定家は24日で実朝の作品25首に合点を付したことになる。さらに「詠歌口伝」がこのときの書下ろしだとするなら相当な早業だ。

定家からすれば、自らが参画して出来立てほやほやの「新古今和歌集」にも採用した、あの源頼朝の息子がという興味もあったに違いない。おまけに現職の征夷大将軍でもある。「お手並み拝見モード」に違いはあるまいが、素質を感じ取っていたとしても不思議ではない。

だから歌論書をわざわざ送ったということだ。

これにて実朝は定家の弟子と相成った次第。私はその実朝の弟子。

2022年9月26日 (月)

実朝の初学

お歌の世界で「初学」といえば、初めて詠んだ歌ということになる。有名歌人の場合、そうした歌が「初学百首」という具合にまとめられて今に伝えられていることもある。

源実朝の初学については「吾妻鏡」に記載がある。元久2年4月12日の条「12首の和歌を詠じさせたまふ」とある。これは1205年なので実朝13歳だ。また1209年実朝18歳には、20首の和歌を住吉社に奉ったとある。このついでに1206年の作品30首を京都の藤原定家に合点のために送ったとある。合点とは平たく言うと添削してもらうことだ。この30首は「御初学後の歌」と明記されている。だから1205年の12首が初学扱いされている。少なくとも吾妻鏡はそう認識していたということだ。

1203年といえばその前年に京都から嫁をもらった直後であったし、何よりも4月12日のわずか数日前の3月26日には後鳥羽院の肝いりの新古今和歌集が完成したばかりだ。京から迎えたばかりの新婦がそのあたりを話題にせぬはずはあるまい。

その12首が「金槐和歌集」に収載されているかどうかは詳らかではない。

2022年9月23日 (金)

鎌倉在住の右大臣

「かまくらのうだいじん」と読む。右大臣は古来朝廷の太政官の役職だ。左大臣に次ぐ地位。奈良時代に始まり明治維新まで存続したから、経験者は膨大な数に上る。数ある右大臣を区別するための工夫が古来試みられてきた。代表的なのは居住地を添えて「どこそこの右大臣」という方法だ。「鎌倉の右大臣」は「鎌倉にいる右大臣」の意味で過不足ないのだが、ポイントはこれで個体識別ができるということだ。鎌倉に居住した右大臣は源実朝しかいないということだ。

しかも彼は一度も京都を訪れたことはない。それでいて実朝は官位の上昇に固執した。今はやりのリモートなのだ。彼を右大臣にしたが最後、しょっちゅう朝議に欠席することは確実だ。あるいは栄華を誇った平家はその頂点で平清盛が太政大臣になっていたことを意識していたかもしれない。平家と同格に上り詰めたいと願った可能性は高かろう。

彼の前任は九条道家。太政大臣九条良経の次男。良経などというより後京極摂政太政大臣として小倉百人一首に採られている「きりぎりす」のおじさんなどと気安く呼んではいけない。私の歌人大好きランキングでは源実朝、後鳥羽院に次ぐ第3位に君臨する。九条道家が左大臣に昇進したために右大臣の席がぽっかりと空いた。左大臣九条良輔が死没したことによる昇格人事だ。

昇格か死没しか席が空かないという中、完璧なタイミングだったということだ。

2022年9月21日 (水)

寿福寺

鎌倉五山の一つ。

1971年8月5日、今は亡き父に連れられて小学校6年の私は、鎌倉を訪問した。夏休みの自由研究の取材旅行でもあった日帰りハイキングの主目的が鶴ケ丘八幡宮と寿福寺だった。そう父は私に歴史の名場面を語るのを楽しみにしていた。実朝暗殺の舞台とその墓所が、旅のメインになるのは必然でさえあった。

北条政子と実朝の母子が眠るという場所、あまりのオーラに暑さを忘れて立ち尽くした。昨日のことのようだ。

が、しかしそこに埋葬されているのは実朝の胴体だけだとあとで知った。

実朝を討った公暁は首をはねていた。暗殺に成功した証とするためである。それを「やりました」とばかり持ち込んだ先で。あるいは持ち込む途中で殺されたという。「やりました」は「言われた通りやりましたのでほめてください」の意味だろう。持ち込んだ先の人から唆されていた。確かにそれは北条氏ではないし、鎌倉幕府の正史たる吾妻鏡も沈黙している。そりゃ「北条氏が唆して」とは筆を滑らすはずもない。「甥が叔父を討った」つまり「源氏内部の内輪揉め」である方が好都合に決まっている。

人の口に戸は立てられないのは何もネット社会だからではないのだ。庶民は薄々というパターンだ。

 

2022年9月20日 (火)

甲斐善光寺

そりゃあ私のような善男善女にとって善光寺と言えば長野で決まりだ。本日のお題にある甲斐はお隣の山梨県だ。つまり山梨にも善光寺があるということだ。元はというとそりゃあもちろん信濃だそうだ。何しろ武田信玄公が川中島の合戦を前に、念のために仏像や宝物を疎開させたことが始まりという。疎開というと聞こえは確かにいい。山梨県内では信玄公を悪く言う人はいるまいが、長野の人はどう思っているのだろう。

ここに源実朝の座像がある。鎌倉末期の作で現存するものとしては最古の実朝像と言われている。由来の通り信濃から持ち込まれたとされている。つまり実朝没後かなり経過してから、しかしまだ鎌倉時代に作成され、戦国時代に武田信玄が疎開させるまでは信濃にあったということだ。

中学高校で習う歴史をいくら読み返しても実朝と信濃の国の関係なんぞ書かれていない。実朝本人の暗殺後、かなり経過してから実朝の座像を作ろうと欲する人物や団体が信濃の国にいたということだ。何せ鎌倉幕府の正史たる「吾妻鏡」は北条氏寄りの記述にとどまっており、それを鵜呑みの日本史に慣れてしまっている。目から鱗の裏話が1つや2つ、いや10や20隠されていると感じる。

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