やっぱりたられば
歴史の「たられば」を語りだしたらキリがない。何冊も本が書けるはずだ。私ごときが思い付く「たられば」なんぞ、すでに語り尽くされてもいよう。それでもと思い詰めて今日記事にする。「もしルターがいなかったら」と。
もしルターがいなかったら誰か代わりの者が宗教改革を成し遂げたのだろうか。
何故ドイツに宗教改革が起きたのだろう。キリスト教を後ろ盾に西欧を統一したカール大帝に最後まで抵抗した異教徒ザクセンの地が、宗教改革の中心なのは、はたして偶然なのか。
音楽を信仰の後ろ盾にと欲したしたルターは、その後の欧州音楽史に決定的な影響を与えたという自覚があるのか?いったい何人がルターに賛同し、賛美歌にテキストや旋律を供給したことだろう。あらゆることを先進地イタリアから吸収しながら、なおドイツが独自性を保ち続けた原因を、プロテスタント信仰に立脚するコラール群の存在としたらそれは言い過ぎか。プロテスタントコラールをイタリア人にとっての「オペラ」になぞらえることはできまいか。
そしてバッハ。ルターがかくあれと欲した「信仰と音楽の融合」の頂点にして到達点。
ドイツ史上では、30年戦争をはじめとするいくつかの戦争が、キリスト教新旧の対立に由来すること周知の通りで、そこでは庶民のおびただしい犠牲があった。その代わりに残された愛すべき音楽という図式を飲み込み切れずにいる。
入院の間ずっと考えていた。
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