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カテゴリー「077 ドイツ史」の455件の記事

2022年1月23日 (日)

ウィーンの異邦人

北ドイツに生まれて、ドイツ語の話者であったブラームスは1862年に単身で帝都ウィーンに進出する。異国にポッツリやってきた異邦人だったのだろうかと調べてみた。どうも違いそうだ。ハプスブルク帝国は、もともと主要民族だけで10民族を超える多民族国家だったから、その首都にはたくさんの民族が入り乱れていた。

「ウィーン多民族文化のフーガ」という書物に興味深い数値が載っていた。1880年時点におけるハプスブルク帝国内の民族構成比だ。

  1. ドイツ人 26.4%
  2. マジャール人 17.1%
  3. チェコ人 13.7%
  4. ポーランド人 8.6%
  5. ウクライナ人 8.3%
  6. セルビア&クロアチア人 7.7%
  7. ルーマニア人 6.0%
  8. スロヴァキア人 5.0%
  9. スロヴェニア人 3.0%
  10. イタリア人 1.6%

このときの帝国の総人口は3779万人。支配層のドイツ人でもやっと4分の1だ。この26.4%の中にブラームスがカウントされているものと思われる。さらに同じ本の同じページに興味深い資料が掲載されていた。1890年現在のウィーンの出生地別構成比だ。

  1. ウィーン生まれ 44.7%
  2. ボヘミア・モラヴィア(=チェコ)生まれ 26.0%
  3. ウィーン以外のオーストリア生まれ 15.1%
  4. ハンガリー生まれ 7.4%
  5. ドイツ生まれ 1.9%
  6. その他 4.1%

ブラームスはドイツ生まれの1.9%にカウントされていそうだ。ウィーン生まれのドイツ人が相当たくさんいるということもほぼ明らかになる。ウィーンにおいてドイツ語を話している限りブラームスはちっとも異邦人なんかではないと言えそうだ。

 

 

2022年1月16日 (日)

帝国議会

1867年の和協によりオーストリアハンガリー二重帝国が成立したことは昨日話題にした。オーストリア側にもハンガリー側にも議会が発足した。このときをもってオーストリアは立憲君主制に移行したと解されている。

議員を皇帝が任命する貴族院と、領邦議会代表によって構成される衆議院の二院制で、両院は対等の権能を持った。1873年には領邦議会代表による互選制から直接選挙制に移行した。このときは制限選挙だったが1896年には普通選挙による72議席が追加された。この制度のもとでの最初の選挙が1897年3月だった。ブラームスの没する1ヶ月前である。ブラームスの伝記にはこの最後の3月についての記事が比較的厚く書かれるのだが、この選挙に言及されていることはない。この選挙では青年チェコ党が第一党に躍進して、ちょっとした衝撃だったというのだが、伝記は沈黙している。ブラームスの病状を考えると選挙どころではなかったことは確実なのだが、疑問もわき上がる。

そもそも友人たちの証言によればブラームスは政治の話にも積極的だったらしいのだが、選挙に行ったというエピソードは残されていない。ブラームスは投票に行ったことはあるのだろうか。もしあるとすればドイツとオーストリアどちらの議会だったのだろう。

2022年1月15日 (土)

アウスグライヒ

「Ausgleich」と綴るドイツ語。辞書を引くと「調整」「妥協」「調停」「和議」という訳語並んでいるが、歴史用語として使われる場合がある。ハプスブルク帝国の転換点のことを指す場合「和協」という言葉か特別にあてられる。

ブラームスの生きた時代、とりわけ1848年のメッテルニッヒ失脚以降、どうもハプスブルク家は旗色が悪い。プロイセンの台頭、とりわけビスマルクの登場により拍車がかかった感じがする。

イタリアに独立され、デンマークから手を引かされ、普墺戦争に負けて、多民族国家の弱点が次々と表面化する。領内でドイツ人の次の勢力だったマジャール人が分離独立を志向することで、帝国の維持がどうにも怪しくなる。その場面で採用された政治的妥協のことを後世の歴史家は「アウスグライヒ」(和協)と呼んだ。マジャール人との妥協だ。

帝国はオーストリアとハンガリーに二分し「オーストリアハンガリー二重帝国」となる。オーストリア帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世を王に戴きながらハンガリーは独立の政府と議会を持つことになる。軍事・財政・外交だけが共通事項とされたほかは、独自に大臣を持った。蔵相や外相がハンガリー人だったこともある。帝国内においてハンガリー人はドイツ人とならぶ特権階級になった。1867年の出来事だ。后妃エリザベートのハンガリーへの肩入れもあって、ハンガリーの地位が大きく向上した。

ブラームスの出世作ハンガリー舞曲第一集第二集の出版が1869年なのはけして偶然ではない。そしてその楽譜がベストセラーになったのは帝国内におけるハンガリー熱の高まりを考えるともはや必然という気もしてくる。

 

 

2022年1月12日 (水)

ワルツの夜明け

1766年だからベートーヴェンが生まれる4年前の話だ。皇帝ヨーゼフ1世は、宮廷ダンス教師たちに芸種としての独立を認める決定をくだした。そのときまで舞踏は宮廷作法の一つで、作法としての舞踏を王室や貴族相手に教授するためのお抱え教師を雇っていた。このときの決定は、平たく言うと「庶民相手に舞踏を教えてもよろしい」という意味合いを持っていた。これがワルツ大ブレークのキッカケとなった。

ワルツはカップルが数回ダンス教室に通えば、とりあえず踊れるようになる。習得に長い時間がかかるメヌエットは、あっという間に落ち目になる。さらに習得の手軽さに加え、踊る男女の密着度が大ブレークの原因とささやかれている。眉をひそめる向きももちろんあって、しばしば禁止令が出されたが効果は全くなかった。

メヌエットの代替品がただちにワルツになったわけではないこと周知の事実だがソナタの中間楽章からメヌエットが消えて行くタイミングと不気味なくらい一致している。ソナタに挿入されたスケルツォが「踊らぬ舞曲」の代名詞なら、ワルツは踊る舞曲の帝王である。まさに時代の最先端を行く踊りだ。

だからワルツop39を献呈されたハンスリックは驚いたのだ。「あの堅物のブラームスが」という台詞は、当時のワルツの大ブレークを下敷きに考えねば実感できない。

2021年8月 6日 (金)

Pfizer

アメリカはニューヨークに本社を置く世界最大の製薬会社。「ファイザー」と発音されてはいるのだが、スペリングは標題の通りだ。

怪しい。ドイツっぽい。

案の定創業者チャールズ・ファイザーはドイツからの移民だった。本名は Karl Christian Friedrich Pfizerという。チャールズはKarlの英語表記かと納得。彼はシュトゥットガルト近郊のルートヴィヒスブルクに生まれた。1824年3月22日のことだ。薬剤師として修業していたのだが、25歳1848年に米国に移住した。タイミング的に三月革命挫折に失望しての移住かと。

翌年父から借金してチャールズファイザー社を設立。これが現在まで続くファイザー社の起こりである、

本日は歌曲ともシューベルトとも関係がない。

そうそう私自身が二度目の新型コロナワクチン接種を終えて副作用もなく3日経過した。ファイザー社製造のワクチンであった。

 

2021年7月 4日 (日)

ニコラウス・ドゥンバ

ウィーンの実業家。他にもさまざまな肩書き。国会議員、市会議員、貯蓄銀行総裁でもある。何よりも芸術家の支援者だ。さらには自身が有能なテノール歌手である。ウィーン男声合唱団の団長も務めた。パルクシュトラーセ4番地の屋敷は4階建てで、ほぼ宮殿と申してよい規模。ここの音楽サロンの装飾はグスタフ・クリムトによるものだ。

現在ウィーン観光の目玉になっているような有名な建物の多くが彼の寄付によって建てられたという。楽友協会、コンツェルトハウス、クンストラーハウス、市庁舎、国会議事堂、フォーティフ教会、ウィーン大学など枚挙に暇が無い。

屋敷の音楽サロンにはブラームスの出入りも確認されているし、資料室にはブラームスの手紙も保管されている他、何と言ってもシューベルトの自筆譜のコレクションが超目玉だ。ブラームスはこれが目的で出入りした可能性もある。ウィーン郊外への散歩にブラームスと同行したことがホイベルガーによって証言されている。

さらにもっと凄い話を小耳に挟んだ。ウィーン中央墓地にあるドゥンバのお墓は、ブラームスの墓の隣にある。ブラームスは26番で27番がシュトラウスなのだが、25番がドゥンバだった。ウィーン中央墓地32区Aは「楽聖特別区」だ。音楽家ばかりの一角に埋葬されているところを見ると現地では相当な位置付けだと思われる。

2021年1月14日 (木)

さざれ石

「君が代」の歌詞の中に出てくる。「小石」だ。これがやがて「大岩」になると歌われる。石が時と共に成長するという考えが下敷きになっていると教わった記憶がある。さらに付け加えるとするなら、そこには「石は大きいほうが有り難味も大きい」という思考の方向性をも感じさせてくれる。「巨石信仰」の痕跡をかすかに感じる。

ザクセンの語源を調べていて興味深い話に出会った。現代ドイツ語では「Sachsen」と綴るが、それは古高ドイツ語の「Sahs」(剣)に連なっている。使用する武器が「短剣」だったことからローマ人がつけたあだ名だが、妙に辻褄が合っている一方で、書物によっては「ザクセン」の語源は「石」だという記述もあって混乱していた。

さらに調べる。

古高ドイツ語「Sahs」(剣)は、ラテン語の「Saxum」(石)からの派生語だということがわかった。何故「石」から「剣」が派生するのか不思議だったが、ラテン語「Saxum」は、「大岩」ではなくて「手で持てる程度の石」「小石」の意味だ。実は古くは「剣」が石でできていたことの投影だという。つまり石器だ。当時は「剣」といえば「石」だったのだ。

ザクセンさざれ石。

2021年1月13日 (水)

ケンペル

ウエストファーレン・レムゴ生まれの医師。鎖国真っ只中の元禄時代に日本を訪れて、オランダ商館医師として2度に亘って江戸に赴き、将軍綱吉と謁見した。彼の死後出版された「日本誌」は英語版、フランス語版、ドイツ語版ともに広く人々に読まれた。

帰国後1698年にデトモルト侯の侍医として召されて1716年に没した。彼の遺品は英国の収集家の手に渡ったが、一部の日常品はそのままデトモルトの宮殿に残されて現在に至っている。

ブラームスは1857年から1859年までの3年間毎年9月から3ヶ月間デトモルトの宮廷に勤務した。合唱団の指導や貴婦人たちへのピアノ教授がその職務だったが、比較的時間に余裕があったとされている。

だから、ブラームスがデトモルト宮所蔵のケンペルの遺品、日本の調度品や食器を見た可能性は排除できない。

2020年10月27日 (火)

リーガとウニオン

1618年から1648年まで、主にドイツを舞台に繰り広げられたカトリックとプロテスタントの争いが三十年戦争だ。典型的な後世のネーミング。1618年にプラハで始まった時には、当事者たちも周囲も「三十年戦争が始まった」とは思っていない。1648年に終わってみて、思えば1618年に始まった戦争だと総括した結果「三十年戦争」と命名された。

東軍対西軍の図式ではない。プロテスタント側を「ウニオン」といいカトリック側を「リーガ」という。「リーガ」の正式名は「Katholische Liga」という。ドイツサッカー国内リーグは「Bundesliga」の「リーガ」だ。

さて、その三十年戦争が終結した時点で、ドイツ国内におけるカトリックとプロテスタントの勢力図がかたまった。日頃「ドイツの作曲家」とひとくくりにされている作曲家たちを、出生地をキーにカトリックとプロテスタントに分類してみた。

<ウニオン>プロテスタント同盟

  1. シャイデマン
  2. シュッツ
  3. ブクステフーデ
  4. エルレバッハ
  5. パッヘルベル
  6. テレマン
  7. バッハ
  8. ヘンデル
  9. シューマン
  10. メンデルスゾーン
  11. ブラームス

<リーガ>カトリック同盟

  1. シュメルツァー
  2. ビーバー
  3. ハイドン
  4. モーツアルト
  5. ベートーヴェン
  6. ウェーバー
  7. シューベルト
  8. ワーグナー
  9. ブルックナー
  10. リヒャルト・シュトラウス
  11. マーラー

出身地がカトリックの領域で、没地がプロテスタントの領域である場合、またはその逆のケースなど厳密さに欠けるがそこはお遊びだ。このメンバーでサッカーをしたらどちらが強そうかなど、話題には事欠かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年10月25日 (日)

働き口

バロック時代の音楽家の働き場所は、およそ2つに分類できる。毎度毎度のおおまかな話である。

  1. 王侯貴族に雇われる
  2. 教会で働く

このうち王侯貴族に雇われるについては、宮廷楽団の団員、宮廷付き作曲家、家庭教師などなど考えられる。どれほど小さくても宮廷は宮廷ということになるなら、中央集権で王様が1人よりも、各地に小国が分立している方が働き口は多くなるに決まっている。

ということはだ。

三十年戦争によって、神聖ローマ帝国を構成する小国に主権が認められたのは追い風だ。ドイツ中に小さいながらも宮廷があり、そこには音楽家にとっての就職口があったはずだ。楽団を抱えるほどの宮廷かどうかはともかく、作曲家や演奏家あるいは教師までも含む音楽家には、一定の需要が発生したはずである。

このことがドイツバロック音楽の発展にどう寄与したのか興味深い。

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