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カテゴリー「728 写譜」の3件の記事

2008年6月15日 (日)

夫婦の絆

筆跡鑑定がバッハ研究においての重要なツールであることは6月9日の記事で述べた。

ここでいう筆跡鑑定は大きく2つに分けられる。残された手紙や日記などの文字の鑑定が一つだ。残る一つは手書楽譜の鑑定だ。文字もあるにはあるがこちらの対象は音符だ。あるいはスラーやアクセントなどの記号も含まれる。

バッハ作品の様式研究の立場からはこの楽譜の筆跡鑑定が重要だ。この領域だけで膨大な量の研究がある。バッハ本人の筆跡は全て突き止められているばかりか、時代による筆跡の変遷までも判っている。また同じ時期に書かれた楽譜でも、丁寧に書いたものと焦って書いたものの区別までされている。バッハの晩年を襲った視力の衰えまでも反映されているという。

このような現在の最先端の研究者を悩ませている人がいる。アンナ・マグダレーナ・バッハだ。バッハの二人目の妻である。彼女は音楽的素養もあったので多忙なバッハを助けて写譜を手伝った。バッハが最も信頼したコピイストといった趣がある。せっせと写譜を手伝っているうちに、その筆跡がバッハ本人に似てきた。楽譜に関する限りバッハは時間に追われさえしなければ音楽史上屈指の達筆を誇る。そのバッハに似ているのは大したものなのだ。最先端の筆跡鑑定のプロでもしばしばバッハ本人の筆跡と見誤るほどだという。

大したものだ。バッハにあってブラームスに無い物は、アンナ・マグダレーナのような生涯の伴侶だ。

筆跡が似て来るほどの絆かな

お粗末。

2005年9月12日 (月)

よい子のための楽しいヴィオラ曲集

大学3年の春のことだ。毎年の事ながらヴィオラのパートに後輩を迎えた。2年の春に後輩を迎えたときは、自分自身まだ楽器歴1年の初心者だったせいで、後輩の初心者指導どころではなかった。が、3年の春は、少し様子が違った。待望のブラームス第一交響曲が夏の演奏会のメインプログラムだったり、ブラームス贔屓がいやがうえにも高まった時期だ。

かわいい後輩たちがヴィオラに少しでも親しめるように、ブラームスの作品の中から名所(かならずしも名旋律ではない)をノートに写し始めた。名づけて「よい子のための楽しいヴィオラ曲集」だ。結論から言うならこの曲集が後輩たちの練習の題材に使われることはなかったが、それは今でも手元に残っている。「ブラームス名所91選」とでも呼ぶべき曲集である。もちろん私自身は何度も弾いている。

鉛筆で丁寧に写譜されている。こすられて汚くならないように画材屋さんで売っている、「泣き止めスプレー」をかけたので今でも鮮やかだ。やがて後輩たちの練習材料を作るという主旨から大きく外れ、単にブラームスの気に入った場所を書きとめておく備忘録代わりになっていった。思えば「ブラームスの辞書」執筆の最終段階で経験した173箇所の譜例作成が、全く苦にならなかったのは、このあたりの経験が物をいっているのだろう。まさに写譜そのものだ。聴くたびに感動する旋律を丹念に書き写してゆく作業は心が洗われる。きっと「写経」もこういう心境なのだろう。感動が頂点を迎えるその瞬間に付された一個の臨時記号を書きながら恍惚としたものだ。ブラームスの用語遣いの微妙さに徐々に魅せられていったのもこのころを起源と考えてよい。

もう25年以上前のものだが、その91箇所はいまだに色褪せていない。

2005年7月 9日 (土)

写譜の楽しみ

本文で譜例をどう扱うかは、執筆の過程における大きな課題の一つだったことは、以前にも書いた。予算とのかねあいもさることながら、私の直感で入れるべき譜例を全て採用していたら、本のページ数が今の倍以上にはなっていたはずだ。音楽書の読みやすさという観点に立てば、適切な切り口の譜例は必須である。どちらかといえば豊富な譜例というのはセールストークになりうる。しかしながら今回の私の本では173箇所にとどまっている。見出し数は約1170なので15%くらいだ。予算のためとはいえ少ない。つくづく貧乏は嫌だ。

実は、私、写譜が大好きなのだ。中学校の音楽の時間、何か忘れ物をすると罰で教科書を写譜する宿題が出た。あのころは嫌でたまらなかったが、今は大好きだ。大学2年になったころ、大好きなブラームスの旋律をいくつも写譜した。大好きなあの曲で、いつも背筋に冷たいものが走ることになるあの場所の楽譜はどうなっているのだろう?という疑問の答えにたどり着きたい一心からである。微妙な位置にある臨時記号一個、絶妙なシンコペーション、魔術のような重音奏法、スラーのかかり方等々が寒気の原因であることを写譜から学んだことも多い。

譜例173箇所、パソコンソフトの助けを借りたとはいえ、それはそれは楽しい作業だった。「自分で譜例を作って切り貼りしたら安くなりますよ」という石川書房さんの言葉に飛びついたのは当然の成り行きだった。好きなことをしようとするとお金がかかるというのが、趣味というものであり、資本主義というものなのに、大好きな写譜をすることでコストを下げられるなんて夢のようだ。打ち合わせの席上石川書房さんは、全ては著者の作業になりますがと気の毒そうに説明してくれたが、こちとら全然苦にならないのである。むしろ大好きなブラームスの作品を173個の譜例に絞るのが苦痛だった。切られた箇所の泣き声が聴こえた。

私の著作を読む人は、そんな譜例の無念を思いやって欲しい。是非とも楽譜を傍らにおいて読んで欲しい。私の主張の指し示すところを楽譜の上で確かめて欲しい。たとえそれが、本書の間違いを暴く結果につながるとしても本望である。

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