ヴィオラの胴長には規格が存在しない。ヴァイオリンは胴長35.5cmに決められていることとの大きな違いである。物理の法則に従えば、ヴァイオリンより5度低い音を出すヴィオラはヴァイオリンの1.5倍のサイズが必要になるという。35.5cmの1.5倍で、実に53.25cmということになる。これでは首に挟んで演奏することが出来ない。全くもって現実離れしたサイズである。人が首に挟んで演奏する方法にこだわるならば、サイズを妥協する他はない。現行の標準的なヴィオラは、大体ヴァイオリンの15%増のサイズを採用している。これで首に挟んで演奏する方法は維持できたが、サイズを妥協しながら5度低い音を出すために弦の太さを増すことで埋め合わせた。その結果ヴァイオリンのような華麗な響きが犠牲になったという図式らしい。
つまりヴィオラのサイズは、ヴァイオリンと同等の響きと楽器の取り回しの綱引きの上で決定されると言ってよい。このバランスはなかなか決定打がなく、ヴァイオリンにおいては究極の回答を導き出したイタリアの天才製作者たちも結論に至ることが出来なかったのかもしれない。
このことは、現在も頻繁に行われている論争の出発点になっている。
「ヴィオラは大きいほうがいいのか」である。
大きい小さいという議論は客観性を欠くので、ヴィオラについてのさまざまな書物やインターネット上の記述を総合して仮決めしてみた。
- 小さいヴィオラ 39.5cm未満
- 普通のヴィオラ 39.5cm~41.5cm未満
- 大きなヴィオラ 41.5cm以上
ヴィオラに限らず楽器の良し悪しはサイズで決まるものではない。音色が第一で、それに取り回しや見た目、さらにはコストパフォーマンスが複雑に絡む上に、主観にも左右されるという代物だ。だから大きさだけを取り立てて論じるのは片手落ちなのだが、ヴィオラに関しては主たる論点になりがちである。
その証拠にショップでのヴィオラの値札には必ず胴長が記入されている。ネット上のカタログでも記載がある。つまりヴィオラ購入者にとって胴長は必須の情報なのだ。ヴィオラ弾きどうしの会話では胴長の話にしばし花が咲くことが多い。ヴィオラの音色を左右する重要なファクターのひとつなのだ。
でありながらヴィオラの大きさに関する優劣の議論はしばしば不毛に陥りがちである。「ヴィオラという楽器は、大きいほうがらしい音がする」という論旨と「そうは言っても取り回しが出来ねば身も蓋もない」「バシュメットのヴィオラはけして大きくない」という論旨が堂々巡りを繰り返すのが主要なパターンだ。「取り回しの悪さ」を理由に必要以上に小さなサイズのヴィオラに走る弾き手がいやしないか心配である。
たとえばヴィオラに進出を決めたヴァイオリン弾きが、店で楽器を選ぶ場面を想像願いたい。ご予算に合わせて選ばれた楽器を順に試奏するだろう。このとき必ずある種の違和感を感じるはずだ。大抵は楽器の大きさから来る違和感と、音のレスポンスから来る違和感の組み合わせだ。特に前者大きさから来る違和感は、実際には慣れによって減ずるハズのものであるし、ヴィオラ進出を決めた以上当然降りかかる違和感であるにもかかわらず、それを「取り回しの悪さ」と認識してしまう。かくしていくつかの候補楽器の中から、違和感の最も少ない小さな楽器が選ばれてしまうというパターンは想像に難くない。
私のように先にヴィオラに親しんで、娘に教える都合上後からヴァイオリンに手を出した場合は、ヴァイオリンのレスポンスの良さこそ感じるもののさしたる違和感はない。ヴィオラで弾くと音程の怪しく鳴り始めるH音が第一ポジションで弾けるのが嬉しかったりするくらいだ。しかしこのパターンは少数派だろう。
話がそれた。本来「本質論」と「運用論」として別々に議論されるべきだと思われるがいつも混ぜこぜで議論されるために水掛け論の域を抜けられないでいる。「ヴィオラらしい」の定義が曖昧なことも混迷に拍車をかける。最後には大抵穏やかな性格の仲裁者が「身体に合ったサイズが一番」という論旨で割って入ってお開きになる。もちろん「身体に合ったサイズ」の定義は曖昧なことのほうが多い。
私のヴィオラは胴長約45.5cmだ。メジャーをあてると45.5cmと46cmの間くらいだ。先の定義に従えばおつりの来るくらいの大型だ。私自身が体格に恵まれたお陰と、大きなヴィオラが好きなせいで何とか使っているが、取り回しはお世辞にも良くない。でもC線の鳴りが気に入っていることで帳消しだ。それに良く考えると指が回せないことや音程が悪いのは、「取り回し」つまり楽器のサイズのせいではない。空振りが多いのをバットのせいにしてはいけないのだ。それならばせめて音だけでもそれっぽくというのが購入の動機である。取り回しの悪いヴィオラに四苦八苦しながらというのも楽しみのうちだったりする屈折した心情もある。何よりも46cmというサイズはヴィオラ愛好家同士の会話では話のタネになるのだ。
サイズに関してさまざまな議論があることは今述べた通りだが、大きな声では言いにくい傾向をウスウス感じている。それは「大きなヴィオラの持ち主は大抵大きなヴィオラが好きだ」ということだ。つまり、本当は小さなヴィオラの方がいいと思っているのに、仕方なく大きなヴィオラを使っている人はいないような気がしている。とても嬉しい傾向である。
ヴィオラ愛好家のブラームスに尋ねてみたいことの一つである。ブラームスはヴィオラに一家言もっているに決まっている。
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