東庄いちごロード
「東庄」は「とうのしょう」と読む。千葉県の北東部・銚子に隣接する東庄町には、いちご農園が密集する。佐原から銚子に向かう街道が同町に差し掛かるとあたりが「東庄いちごロード」となる。先日旬のいちごを買い求めてきた。
特産の「やよいひめ」が「甘い」「大きい」などとはしゃいでいる場合ではなかった。
この地は鎌倉時代、東氏の所領だった。同氏は桓武平氏の流れをくむ千葉市の庶流で、開祖頼胤は、源頼朝側近・千葉常胤の6男で、この地・東庄を治めることとなり、東氏を名乗った。その頼胤の嫡男が重胤という人物。源実朝の側近である上に、和歌の素養がある。いやいや逆だ。和歌の素養があるから、実朝に重用されたのだ。この東氏からは室町時代に常縁(つねより)を輩出することになる。和歌の古今伝授の創始者だ。
実朝は重胤が所領「東庄」にこもってしまい、鎌倉に出てこないことを嘆き歌で参上を催促をしても応じなかったため立腹すると、今度は重胤が歌を献上して許しを請うたという話も伝わっている。つまり仲良しということだ。実朝暗殺直後に出家したと考えられているほどだ。
利根川の流路が現在と違っていた当時、ここいらは広大な香取湾に面する交通の要衝だった。そこを収める東氏の位置づけが相当のものだったとわかる。重胤が引きこもったと思しき屋敷もきっとこのあたりだったはずだ。
明日は聖金曜日だというのに、なんと言う話の振幅。けれど実朝の弟子としてはスルーもできぬ話。カンタータネタに余裕で割ってはいるべき話題だ。
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