2005年8月27日 (土)

のだめの中のブラームス①

「のだめカンタービレ」娘の愛読するコミックを読んだ。さらっと斜め読みのつもりが全12巻を熟読してしまった。聞けば、現在かなりのコアなファンが存在し、ネット上ではディープなやりとりが行われているという。新参者としては謙虚に、ブラームス好きの目から見た「のだめ」についていくつか申し述べたい。

「どんな作曲家のどれそれの曲が何巻のどこにある」というようなデータがネット上で公開されていて恐れ入る。凄い人がいるものだ。ブラームスの曲がどことどこにあってなどという論点は、マニアの間ではにとっくに議論が終わっていると思われる。

手元にブラームス第一交響曲のスコアがある人は開いて欲しい。まずはコミック第四巻39ページ目左上のコマ。主人公千秋真一の指揮の師匠・シュトレーゼマンが千秋に向かって「ここ勉強不足です」「ブラームスなめてんじゃないすよ」としかっている。対する千秋は次のコマで顔に縦じまの暗い表情だ。「たしかにここは昨日眠くて記憶が」とうめいてみせる。自信家で努力家で完全主義者の千秋が、自分の弱点を認めるシーンは全12巻見渡しても、何度もお目にかかれるわけではない。

幸い顔に縦じまのコマのバックに楽譜がある。第一交響曲第二楽章54小節目の弦楽器のパートだ。千秋の手の甲のとがったところあたりに来ているのがちょうどヴィオラのパートだ。下仮線二本目に串刺しにされた音にシャープが付いた音が出ている。これ「His」なのだ。実音Cである。つまりC線の開放弦なのだ。ブラ1の中でこの音HISはここだけです。Cはいっぱいありますがね。実はここから5小節間ヴィオラの難所です。プロのオケのヴィオラの入団オーディションでも出たりするくらいだそうです。シャープ系の臨時記号が溢れかえっている。ダイナミックス「f」でクレッシェンドのうねりが激しい。ほぼ1小節単位でスラーがかかっているのだが、この滔々たる流れを表現しようとするとアマチュアではほぼ間違いなく弓が足りない。つまりスラーの途中で弓を返したくなる場所なのだ。木管楽器、第一ヴァイオリンとのスラーのかかり方の微妙なズレなど考慮すべき事項も多い。木管楽器や第一ヴァイオリンのスラーの切れ目に合わせて弓を返すのか、合わせずに返すのか、そもそも弓を返すこと自体がご法度なのか、無数の解釈が可能だ。プルトの裏表で返す場所を変える手や、同じパターンを弾く第二ヴァイオリンとだけわずかに弓の返しを変える手もある。私は今まで3度ブラ1を経験したが三度ともここのボウイングは違っていた。

また60小節目で「dim」が始まった途端にスラーが切れ切れになるという現象も厄介である。ここの弦楽器の弾き方には無数の方法があるといっていい。指揮者の見解にオケの力量を加味して仕切ることが求められているところ、千秋の準備が甘かった点を、シュトレーゼマンが指摘していると捉えたい。このあたりの交通整理はブラームス第一交響曲に挑もうかという指揮者ならば、事前に考えておいて当然の場所なのだ。

それからシュトレーゼマンがドイツの大指揮者である点も説得力の増強に役立っている。フランス系やアメリカ系の指揮者に言われたかないフレーズだ。とにかく千秋が勉強不足を師匠に指摘される場所としては、第一交響曲の中でもっとも相応しい場所とおもわれる。ストーリー構成上千秋が弱点をさらす場面を設定したのだめの作者様が、その場所にここを選んだことは卓見である。「のだめ」おそるべし。

第二楽章のような微妙な味わいの曲こそがブラームスの醍醐味なのだ。昔は第四楽章にしびれたが、40を過ぎた頃から第二楽章が身に沁みる。無理も無い千秋君はまだ大学生なのだ。

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