吸い付くような
いろいろな分野で用いられる言葉だが、大抵は良い意味だ。「吸い付くような肌触り」と言えば不快な意味を指すことは希だろう。
もはや昔話となるが、1986年メキシコで開催されたサッカーのワールドカップ。アルゼンチン対イングランド戦でディエゴ・マラドーナが見せたドリブル5人抜きのゴールがつとに名高い。サッカーという競技においてドリブルで、相手ディフェンダーを抜くと言うことは決定的な数的優位を作り出す。敵陣内において敵ゴールに向かって10mもドリブル出来れば、それ相応のチャンスになる。ましてやマラドーナはハーフライン付近からほとんど相手ゴールエリアまでのドリブルだった。
ため息の出るようなドリブルを称して「足に吸い付くような」と形容されることがある。先のマラドーナ、あるいはジダン、最近ではロナウジーニョ、メッシなど彼等のドリブルはしばしば「足に吸い付くような」と表現された。ドリブルをする場合実際には足にボールがくっつきどおしということは無い。現実にはボールが足から離れている時間はあるのだが、扱いが巧みであるために、相手ディフェンダーがボールを取る隙がないということの形容だ。「一人壁パス」さえ織り込みながら彼等はしばしは相手ゴールキーパーまでも抜こうと試みる。
音楽でも使用例がある。弦楽器特にヴァイオリン奏者の巧みなボウイングを「吸い付くようなボウイング」と形容することがある。サッカーのドリブルよりは実際の密着度が数段高いので、この表現は一段とイメージしやすい。現実の初心者が一番苦労するのが弓の運びだ。特に早くあるいは大きく弓を動かすことときれいなボウイングは両立しないことが多い。ヴァイオリンの名人たちの演奏で弓が吸い付いている様子を見ることは楽しみの一つだ。「吸い付くようなボウイング」が出来れば音は後から自然と付いてくるのだと思う。








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