会社という組織に属していると大小を問わずプロジェクトに参画することも多い。社内外の複数の組織から何人かずつ集まって一つの目標を達成しようという趣旨であることがほとんどだ。
何故かそのプロジェクトの会合の初回は「キックオフ」と呼ばれることが多い。議事は大抵お決まりである。プロジェクトの趣旨、目標達成の時期が決められる。作業に当っての役割分担とともに計画達成に向けたスケジュールも必須事項だ。
きれい事ばかりでもない。集まったメンバーのほとんどは「総論賛成」なのだが、「変に仕事を持ち帰りたくはない」「座長は引き受けたくない」みたいな思惑もある。時間ばかりが過ぎて行き最後は、次回までに事務局が「叩き台」を作るという落としどころが待っている。「半先送り」状態だ。
その「叩き台」をいくつか作ったことがある。次回会合に間に合うよう根を詰めるのだが、当日は大抵集中砲火を浴びる。断言してもいいが、「叩き台」を作る方が数段大変である。出来上がった叩き台を見てあれこれコメントするほうが数段簡単である。知識はなくても通り一遍のコメントは出来るが、叩き台を作るほうは、手間も知識もいるのだ。
ブラームスの第一交響曲が出現する前夜、ドイツ・オーストリアの交響曲業界の状況に似ている。ベートーヴェンの9曲が不可侵の規範となり、それと比較するという手法で次々と新作交響曲が叩かれていった。規範を神格化するあまり作品批評の舌鋒は過激さを増す一方だった。批判に代えて自作を提案する批評家は皆無であった。自らはけして交響曲を作らない者たちが批判を繰り返していたことになる。
ブラームスの第一交響曲はそうした業界の実情の中で世に出たのだ。「また新たな叩き台が出てきたぞ」とばかりに無数の批評が浴びせられたことは想像に難くない。
ブラームスの第一交響曲がそれらの批判に耐えたということ、周知の通りである。
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