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2023年2月 2日 (木)

楽しみの二本柱

一昨日と昨日の続き。

クラシック音楽というジャンルにおいて、「同曲異演」の比較は盛り上がる。学問にまで高めることを諦めれば、格好の酒の肴である。「演奏家論」「指揮者論」などというのもはばかられるような「演奏家ネタ」は大変盛り上がる。「作曲家ネタ」と合わせて楽しみの二本柱だと断言したところで、炎上には至るまい。ボヤで収まるはずだ。

ブログ「ブラームスの辞書」はこのうちの作曲家ネタに重心を置いていた。せっかく二本柱があるのに片方を留守にしてきたという自覚だけはもっている。理由は明快。目隠しして聴いてもわかる作曲家側だけを取り上げておきたいといういじけた心理のせいだ。自分が聞き分けられもせぬのに演奏家の好みをあれこれ取り沙汰するのもいかがかと。

ところが、一連のシューベルトネタをこね回すうちに、歌手だけは比較的聴き分けられそうだとわかってきた。あるいはピアノの場合グールドだけが鼻歌は別としても少しは区別できる。要は好きな演奏家はだんだんわかるようになるということだ。中学高校とお金がなくて1つの作品に複数のレコードをなかなか買えずにきたことも一因かもしれない。要は聴き込みが足らんということだろう。

好きな作曲の作品について大好きな演奏家であれば、そのうち聴き分けることができるかもしれない。

ブラームスに加え、ベートーヴェンの力も借りながら、演奏家ネタの比重を少しずつ増やして行くことにする。

2023年2月 1日 (水)

盲目同然

昨日の記事「二重盲検法」の続きだ。私自身の耳のことである。同曲異演のCDをジャケットの記載を見ずに再生した場合、演奏家を聞き分けられない。これが作曲家ならかなりわかる。とりわけブラームスの作品かどうかはほとんど聞き分けられる。これに比べると演奏家を的中させるのは至難の業だ。中学時代に始まった悩みは、今もって保存されていると申していい。

きゅうりかトマトかは目隠しして食べてもわかるが、それらの産地は当てられないのと似ている。

訓練や経験を積むことでカバー出来るのかとも思うけれどあきらめてもいる。もとよりブログ「ブラームスの辞書」は学問的厳密さを放棄しているから何ら支障はないが、そうした諦めが前提になっている。聞き分けられもしないのだから「同曲異演ネタ」をてんこ盛りするわけにも行かないという論法だ。盛り上がるかどうかとはまた別の話だ。

中学時代には、いつかはきっと聞き分けられると思い込んでいた。

2021年4月30日 (金)

ハウプト不在

「ドリアントッカータ」の異名をとるBWV538のお話だ。ドーヴァー版の楽譜には奇妙な表示群が存在する。たとえば以下の通り。

20190310_201832
「Oberwerk」「Positiv」と読める。3段楽譜の上段と中段に頻発する感じだ。つまりこれはオルガンの鍵盤指定である。「Oberwerk」と記されていたら、そこからオーバーヴェルクの鍵盤で弾きなさいという意味だ。本作は冒頭からずっとこの調子で「Oberwerk」「Positiv」の表示が交代で出現する。文字通りなら主鍵盤であるハウプトヴェルクを使う暇はない。

念のためブライトコップフの新版を確認したが初回以降は「O」「P」と略記されているものの同様の状態だ。

こんなことになっているのはBWV538だけである。これがバッハ本人の意思なのか、バッハの演奏を聴いていた人の書き込みが記譜されるに至ったのか、気になる。

2021年4月18日 (日)

ピカルディという習慣

ピカルディ終止の採用不採用がランダムで、その基準がさっぱり推測できないのをいいことに毎度毎度の妄想がある。

ピカルディ終止は短調作品のエンディングにおける常識だったのではあるまいか。「短調=ピカルディ終止」ではなかったか。作曲家と演奏家の分離が進む前、作品の出版が前提となる以前、短調作品は終止和音の第3音を半音上げるという記譜がなくても、習慣として同主長調への読み替えが行われていたのではないか。

作曲と演奏の分業が進み、作品を紙へダウンロードする習慣が広く普及するのと並行して、「楽譜通り」が何かと珍重されるようになった結果、習慣であったピカルディを記譜するようになったなどどということはあるまいか。

通奏低音が単音と数字だけを見て、他の音を即興で補うことが当たり前だったのを、19世紀以降、あらかじめ校訂者が楽譜に落としておくようになったリアライゼーションと同根とは考えられまいか。

記譜上明記されたピカルディ終止を無視して短調のまま終えることは、慎まねばならぬ一方で、記譜上ピカルディになっていない短調作品を演奏家独断でピカルディ終止に導くことには酌量の余地を認めたい。

 

 

 

 

2020年12月 1日 (火)

ユニゾンの力

カンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」の白眉は第4曲のコラールにある。編成は、独唱テノールに第一第二の両ヴァイオリンにヴィオラと通奏低音が付き従う形。弦楽三部と通奏低音を伴奏に従えてと申すよりもむしろトリオソナタだ。

第一第二のヴァイオリンとヴィオラは全74小節を貫いてユニゾンとされる。

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上記はベーレンライター社から刊行されている新バッハ全集だが、ハ音記号で記譜されたパートには、両ヴァイオリンまで併記されている。この状態が最初から最後まで一貫して維持される。だからご覧の通り、楽譜の見てくれはトリオとなる。事実上3パート合同の弦楽器パートは、ヴィオラ御用達のハ音記号なのだが、C線を必要とする音は巧妙に回避されている。

理屈は邪魔だ。B音のアウフタクトから深々とえぐって立ち上がる旋律の色艶は比類がない。主旋律として表舞台に出たかと思えば、テノール独唱の脇役に引きこもる。その間、力強いユニソンが一瞬たりとも崩れることはない。

 

 

2019年12月 7日 (土)

弾き分ける決意

ブラームスは、数少ないピアノの弟子に日頃「ピアニストは心で感じたことを音で表現出来なければならない」と教えていたという。クララ・シューマンとはこの点で一致していたらしい。そうは言ってもテクニックはあくまでも音楽に従属する位置づけを超えない。

つまり、ブラームスは心で感じたことをピアノで表現出来たということになる。同時にそれを実現出来ると信じていたことになる。ブラームスが楽譜上に記した夥しい数の音楽用語は、弾き分けられると考えていたと推定出来る。自分が弾き分ける自信があるからこそ、演奏者にもそれを要求していたに違いないのだ。少なくともピアノ演奏に関しては自分が出来もせんことを要求するほど、傲慢ではないと思う。

たとえば「sf」「rf」のように、一般の音楽辞典では同義と解されている用語でも、書き分けられている以上、実際には区別していたと解さねばならない。そう信じることが、実は「ブラームスの辞書」の前提になっている。

だからどこの馬の骨ともわからぬ校訂者が、勝手にアスタリスクも無く用語を追加してもらっては困るのだ。

2019年2月14日 (木)

Generalbassaussetzung

ドイツ語特有の長い名詞。前段「Generalbass」と後段「Aussetzung」に分けて考えるといい。通奏低音のパートを、実際の楽譜に落とすことだ。作曲者ここでいうパッヘルベルは、バスのパートには単音しか記していない。それはチェンバロの左手に該当する。当時はそこからアドリブで右手のパートを補うのが普通だったが、今時代は変わった。バスのパートを単音のみにして「オリジナルに忠実です」と大見得を切ったところで、楽譜は売れない。

市販される楽譜には校訂者によって右手のパートが書き込まれているのが普通で、このアクションを「Generalbassaussetzung」と言う。およそ全うな楽譜なら、校訂者の名前が表紙など目立つところに明記される。

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我が家はヘンレ版だ。校訂者はウォルフガング・コスチャクさんだとわかる。購入にあたっては、ペータース、ショットから出されている楽譜と見比べてピッタリくるヘンレを買い求めたということだ。当然チェンバロの右手が所有しているCDとは、違うのは覚悟の上だ。

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上記の赤枠の部分をコスチャクさんが補ったということだ。

現代風にさまざまにアレンジされている人気作なのだが、原典版参照しながらオリジナル編成版を聴くと、ほんとに美しい。

2017年9月10日 (日)

説得力と演奏能力

学生時代オーケストラに所属していた経験から見て、楽器の演奏が上手い奴の意見には説得力があったと思う。同じ内容でも楽器の上手い奴が口にすると浸透度が違ったと感じていた。

コミック「のだめカンタービレ」でもR☆Sオケの練習中に、千秋真一が自らヴァイオリンを手にとってニュアンスを伝える場面があった。スコアから読み取った解釈をただ言葉で説明するだけよりも数段説得力があるのだと思う。

私としては、ブラームスに対する思いや、作品解釈の深さは演奏の能力との間にはあまり強烈な相関関係はないと思っているのだが、現実は厳しい。私がブログや本でどんだけのことを語っても極上の演奏の前には寝言でしかないのだ。その手の名人は深く考えずに本能の赴くままに弾いただけで聴衆を虜に出来るようにも見える。少なくとも屁理屈が勝っては邪魔なだけだと思わせるものがある。

そんなことは重々承知で屁理屈をコネている。音楽の中の演奏という側面に十分な敬意を払いつつ、演奏とは別の手順で楽譜から何かを読み取りたいのだ。残念なことに読み取った結果を音に変換するテクに傷を負っているが、読み取ることをやめることは出来ない。

2017年8月 8日 (火)

多変数関数

中学の時代だったか、初めて確率を習った。「確からしさ」という言い回しだった。コインを投げて表が出るか裏が出るかの確率は共に50%ずつである云々だ。「コインを同じように投げた場合、表裏の出る確率は同じ」というロジックだ。天の邪鬼だった私は「同じように」という言葉が引っかかった。

「表が出るのは表が出るような投げ方をしているのではないか?」という消しがたい疑問があった。次に裏が出てしまうのは「表が出るような投げ方をしていないからだ」と思った。つまり「次に何が出るか判らないのは本当に同じように投げていないからだ」という訳だ。

表が出るか裏が出るかは、膨大な数の変数を抱えた多変数関数をその都度神様が演算した結果なのだ。全ての変数をコントロール出来れば、表か裏かは完全に予測できる。投げる手は右か左か、コインを持つ指はどれか、手の表面の脂は同じか、投げる高さは、方向はと考えればそれがいかに膨大かわかるというものだ。床に落ちるたびにコインは微量ながら摩耗し変形するから、前回と同じ条件にはけしてならないことも容易に想定できる。

数学は、コントロール不能な入力値の設定を諦めたのだ。結果どうなるか。膨大な変数が表側の値になるか裏側の値になるかは、まさに五分五分となる。表を出すようなパラメータ値と裏を出すような値とが偶然均衡するのだ。「アット・ランダム」とはこういうことだ。最近はこれが確率50%の意味だと思うようになった。数学の怠慢といってはいけない。抽象化とはこういうことだろう。

音楽作品の演奏に2つと同じものがない理由はこれで説明出来ると考えている。演奏とは膨大な多変数関数の処理だ。同じ楽譜を見ながら弾き手によって、会場によって、楽器によって演奏が変わる。膨大な変数のうちのごく一部が楽譜によって定められているに過ぎない。4分音符一個にしても、ニュアンスの付け方には膨大なバリエーションがある。人が聴いて心地よいと感じる弾き方は、このうちのほんの一部だ。高い確率で心地よいと感じる弾き方の出来る人が、名人なのだと思う。独自の変数管理によって多変数関数を制御していると解されよう。

一方、演奏の前段階としての作曲は、「こうしたら感動しますよ」という変数の候補を設定することかもしれない。古来静けさは最良の環境の一つだ。何も音を出さないのは誰にでも出来る。そうした最良の環境を打ち破ってでも聴きたい音の羅列の提案が、作曲だ。ブラームスは「こんな音楽なら、静けさの方がマシ」という音楽を作ってしまった場合、迷わず廃棄していたと思われる。

私に限っていうと、こんな演奏なら「静けさの方がマシ」という演奏をしてしまうことが少なくない。多変数関数の入力値がちっとも一定しないのだ。単なるへたくそだ。

2016年5月23日 (月)

エピソードの効能

クラシック音楽のとりわけ名曲と位置づけられる作品には、様々なエピソードがセットになっているケースが少なくない。ブラームスにだってヤマほどある。

たとえばヴァイオリンソナタ第1番を「雨の歌」たらしめている事情は、シューマン夫妻の末っ子フェリクス抜きには説明出来ない。ブログ「ブラームスの辞書」でもしばしば言及してきた通りだ。

そこで疑問。ヴァイオリニストがそうしたエピソードを知っているのといないのとでは演奏に差が出るものなのだろうか?エピソードを知っていてもただちに素晴らしい演奏が出来る訳ではないことは私を見れば明らかだ。たとえばテクニック面で差の無いヴァイオリニストが2人いたとする。一人は音楽の本質とは関係ない伝記的事項に精通しているが、もう一人はさっぱりだった。はたして2人が演奏する「雨の歌」には差が出るのだろうか?

私の考えは既に固まっている。「差が出ない」と思う。「知っていた方が良い」とさえ言えないと思う。2種類のCDを用意されて「さてこれらの演奏のうち、フェリクスのエピソードを知らずに弾いているのはどちらでしょう」と問われたらお手上げだ。暗譜もこれに似ている。「さてこれらの演奏のうち暗譜で弾いているのはどちらでしょう」は、究極の難問だ。つまり区別出来はしないのだ。

弾き手側の知識の有無は演奏の出来に影響しないとは思うが、聴き手になると無視出来ないと思う。そうしたエピソードは、聴き手側の脳裏に深く進入して、鑑賞の味わいに影響する。エピソードを知る前と後では、同じCDを聴かされても感じ方が変わることは多いにあり得る。少なくとも私の聴き方はそうだ。

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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