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カテゴリー「110 演奏」の36件の記事

2019年2月14日 (木)

Generalbassaussetzung

ドイツ語特有の長い名詞。前段「Generalbass」と後段「Aussetzung」に分けて考えるといい。通奏低音のパートを、実際の楽譜に落とすことだ。作曲者ここでいうパッヘルベルは、バスのパートには単音しか記していない。それはチェンバロの左手に該当する。当時はそこからアドリブで右手のパートを補うのが普通だったが、今時代は変わった。バスのパートを単音のみにして「オリジナルに忠実です」と大見得を切ったところで、楽譜は売れない。

市販される楽譜には校訂者によって右手のパートが書き込まれているのが普通で、このアクションを「Generalbassaussetzung」と言う。およそ全うな楽譜なら、校訂者の名前が表紙など目立つところに明記される。

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我が家はヘンレ版だ。校訂者はウォルフガング・コスチャクさんだとわかる。購入にあたっては、ペータース、ショットから出されている楽譜と見比べてピッタリくるヘンレを買い求めたということだ。当然チェンバロの右手が所有しているCDとは、違うのは覚悟の上だ。

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上記の赤枠の部分をコスチャクさんが補ったということだ。

現代風にさまざまにアレンジされている人気作なのだが、原典版参照しながらオリジナル編成版を聴くと、ほんとに美しい。

2017年9月10日 (日)

説得力と演奏能力

学生時代オーケストラに所属していた経験から見て、楽器の演奏が上手い奴の意見には説得力があったと思う。同じ内容でも楽器の上手い奴が口にすると浸透度が違ったと感じていた。

コミック「のだめカンタービレ」でもR☆Sオケの練習中に、千秋真一が自らヴァイオリンを手にとってニュアンスを伝える場面があった。スコアから読み取った解釈をただ言葉で説明するだけよりも数段説得力があるのだと思う。

私としては、ブラームスに対する思いや、作品解釈の深さは演奏の能力との間にはあまり強烈な相関関係はないと思っているのだが、現実は厳しい。私がブログや本でどんだけのことを語っても極上の演奏の前には寝言でしかないのだ。その手の名人は深く考えずに本能の赴くままに弾いただけで聴衆を虜に出来るようにも見える。少なくとも屁理屈が勝っては邪魔なだけだと思わせるものがある。

そんなことは重々承知で屁理屈をコネている。音楽の中の演奏という側面に十分な敬意を払いつつ、演奏とは別の手順で楽譜から何かを読み取りたいのだ。残念なことに読み取った結果を音に変換するテクに傷を負っているが、読み取ることをやめることは出来ない。

2017年8月 8日 (火)

多変数関数

中学の時代だったか、初めて確率を習った。「確からしさ」という言い回しだった。コインを投げて表が出るか裏が出るかの確率は共に50%ずつである云々だ。「コインを同じように投げた場合、表裏の出る確率は同じ」というロジックだ。天の邪鬼だった私は「同じように」という言葉が引っかかった。

「表が出るのは表が出るような投げ方をしているのではないか?」という消しがたい疑問があった。次に裏が出てしまうのは「表が出るような投げ方をしていないからだ」と思った。つまり「次に何が出るか判らないのは本当に同じように投げていないからだ」という訳だ。

表が出るか裏が出るかは、膨大な数の変数を抱えた多変数関数をその都度神様が演算した結果なのだ。全ての変数をコントロール出来れば、表か裏かは完全に予測できる。投げる手は右か左か、コインを持つ指はどれか、手の表面の脂は同じか、投げる高さは、方向はと考えればそれがいかに膨大かわかるというものだ。床に落ちるたびにコインは微量ながら摩耗し変形するから、前回と同じ条件にはけしてならないことも容易に想定できる。

数学は、コントロール不能な入力値の設定を諦めたのだ。結果どうなるか。膨大な変数が表側の値になるか裏側の値になるかは、まさに五分五分となる。表を出すようなパラメータ値と裏を出すような値とが偶然均衡するのだ。「アット・ランダム」とはこういうことだ。最近はこれが確率50%の意味だと思うようになった。数学の怠慢といってはいけない。抽象化とはこういうことだろう。

音楽作品の演奏に2つと同じものがない理由はこれで説明出来ると考えている。演奏とは膨大な多変数関数の処理だ。同じ楽譜を見ながら弾き手によって、会場によって、楽器によって演奏が変わる。膨大な変数のうちのごく一部が楽譜によって定められているに過ぎない。4分音符一個にしても、ニュアンスの付け方には膨大なバリエーションがある。人が聴いて心地よいと感じる弾き方は、このうちのほんの一部だ。高い確率で心地よいと感じる弾き方の出来る人が、名人なのだと思う。独自の変数管理によって多変数関数を制御していると解されよう。

一方、演奏の前段階としての作曲は、「こうしたら感動しますよ」という変数の候補を設定することかもしれない。古来静けさは最良の環境の一つだ。何も音を出さないのは誰にでも出来る。そうした最良の環境を打ち破ってでも聴きたい音の羅列の提案が、作曲だ。ブラームスは「こんな音楽なら、静けさの方がマシ」という音楽を作ってしまった場合、迷わず廃棄していたと思われる。

私に限っていうと、こんな演奏なら「静けさの方がマシ」という演奏をしてしまうことが少なくない。多変数関数の入力値がちっとも一定しないのだ。単なるへたくそだ。

2016年5月23日 (月)

エピソードの効能

クラシック音楽のとりわけ名曲と位置づけられる作品には、様々なエピソードがセットになっているケースが少なくない。ブラームスにだってヤマほどある。

たとえばヴァイオリンソナタ第1番を「雨の歌」たらしめている事情は、シューマン夫妻の末っ子フェリクス抜きには説明出来ない。ブログ「ブラームスの辞書」でもしばしば言及してきた通りだ。

そこで疑問。ヴァイオリニストがそうしたエピソードを知っているのといないのとでは演奏に差が出るものなのだろうか?エピソードを知っていてもただちに素晴らしい演奏が出来る訳ではないことは私を見れば明らかだ。たとえばテクニック面で差の無いヴァイオリニストが2人いたとする。一人は音楽の本質とは関係ない伝記的事項に精通しているが、もう一人はさっぱりだった。はたして2人が演奏する「雨の歌」には差が出るのだろうか?

私の考えは既に固まっている。「差が出ない」と思う。「知っていた方が良い」とさえ言えないと思う。2種類のCDを用意されて「さてこれらの演奏のうち、フェリクスのエピソードを知らずに弾いているのはどちらでしょう」と問われたらお手上げだ。暗譜もこれに似ている。「さてこれらの演奏のうち暗譜で弾いているのはどちらでしょう」は、究極の難問だ。つまり区別出来はしないのだ。

弾き手側の知識の有無は演奏の出来に影響しないとは思うが、聴き手になると無視出来ないと思う。そうしたエピソードは、聴き手側の脳裏に深く進入して、鑑賞の味わいに影響する。エピソードを知る前と後では、同じCDを聴かされても感じ方が変わることは多いにあり得る。少なくとも私の聴き方はそうだ。

2015年8月27日 (木)

弱音器

一部の楽器に装着されるツール。装着を始める場所に「con sord.」と記され、使用解除の場所に「senza sord.」が置かれる。字義通り「音を弱める」という機能もあるにはあるのだが、音色の変更の側面の方がより強いとも感じている。

弦楽器の場合には駒に装着される。弦の振動をボディーに伝える通路に当たる駒に取り付けることによって、結果としてボディーへ伝達される振動を抑制することで音が弱くなる。しかしながら、音を弱くするだけならダイナミクス記号を調節すれば事足りると思われる。むしろ装着することによる音質の変化が狙いである場合がほとんどだと言えよう。あるいは、特定のパートを際立たせるためにその他の楽器に装着させるというような用法が一般的だ。

もちろんブラームスにもいくつかの実例がある。

  1. 交響曲第1番第4楽章31小節目のヴァイオリン。この一つ前の小節は「Piu andante」である。つまり第4楽章始まって以来の喧騒に終止符を打つべきホルンがアルプスの旋律をもって立ち上がったところである。「空気になれ」という意味の弱音器の装着である。ヴァイオリンとヴィオラに同様の役割を命じておきながら弱音器はヴァイオリンだけになっている。60小節目の3拍目まで、ずっと装着しているが、62小節目のアウフタクトからの名高い「歓喜の歌」の時には弱音器がはずされる。4拍の間に手際よくはずさねばならない。バタつかずにスマートにはずすのはなかなか難しい。ヴィオラの席から見ていると、ヴァイオリンの奏者たちが次々と手際よく弱音器をはずす光景は、なんだか春の訪れっぽい気がして美しい。
  2. ピアノ四重奏曲第1番第2楽章冒頭のヴァイオリン。チェロはもちろん6度下でパラレルに動くヴィオラにはお構いなしである。ヴァイオリンだけが弱音器装着の対象になっている。
  3. ハイドンの主題による変奏曲322小節目。第8変奏だ。コントラバスを除く全部の弦楽器に装着が求められている。フィナーレに突入する際に、取り外す必要がある。手際よくはずすのが難しい。バタバタとはずすのは興ざめである。
  4. ピアノ三重奏曲第3番第2楽章のヴァイオリンとチェロ。素朴な疑問がある。続く第3楽章にはヘンレのスコアにもマッコークルにも「senza sord.」と書かれていないが、みんなはずして演奏しているように思う。「con sord.」の効力は同一楽章内に限るということなのだろうか。
  5. 交響曲第3番第4楽章 再現部の入りが弱音器をあてがわれたヴィオラに振り分けられている。見せ場である。

最後にヴィオラ弾きとしては絶対に忘れられない箇所を一つ。弦楽四重奏曲第3番第3楽章だ。四重奏曲の4つの楽器のうちヴィオラを除く3つの楽器に弱音器装着が求められている。ヴィオラはお構いなしだ。協奏曲の独奏楽器クラスの持ち上げられ方である。ここでも続く第4楽章冒頭には「senza sord.」の書き込みが抜けている。

2010年9月24日 (金)

アタッカ

「attacca」と綴られる。一般に多楽章作品において、終楽章以外の楽章の末尾に置かれることによって、休み無く次の楽章へ入ることを指示する機能がある。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のように元々楽章間に切れ目を置いていないこととは区別される。明確な終止を伴う独立の楽章間相互の話だ。さらにこれは、作曲者の意図である場合と、演奏者の裁量で起きる場合とに分けられる。作曲者の意図である場合には、楽譜上に「attacca」と書かれる。

ブラームスの作品では、さっそくピアノソナタ第1番と第2番の第2楽章末尾に置かれて第3楽章への入りを規定している。

多楽章曲の楽章と楽章の間をどの程度とるかは、完全に演奏者の裁量だ。ベートーヴェン以降、この裁量権に介入する作曲家が増えてきたが、ブラームスはこうした介入を頑なに回避してきた。アタッカは、不完全ながらも演奏家の裁量への介入と解し得る。

どうしたことかブラームスは、最初の2つのピアノソナタ以降アタッカを用いなくなる。

2010年7月16日 (金)

リピート記号

楽曲の一部または全部を繰り返すための記号だ。むかしむかし、貴族の娯楽として音楽作品が量産されていた時代、出来るだけ長く演奏を持たせるためにリピート記号を挿入したらしい。ディヴェルティメントに見られるリピート記号がそれだ。雇い主様の求めに応じて演奏時間をいかようにも調整出来るようにという魂胆も見え隠れする。

ソナタ形式の楽曲の中にもしばしば出現する。その場合大抵は、いわゆる「提示部」という箇所を繰り返すような設定になっている。展開部に突入する前に念押しをするような格好だ。時間稼ぎの目的はブラームスの時代には薄れて来ようが、意識の片隅にはあったと思う。また舞曲楽章の中に現れるリピート記号は、トリオを経た後の再現では省略される。

話はソナタに戻る。ソナタ形式の楽曲全てに存在する訳でもないところが悩ましくもある。2006年1月4日の記事「提示部のリピート記号」でも言及した通りである。提示部の最後にリピート記号を置くかどうかの基準はさっぱり判らぬままである。

さらに厄介な問題もある。置く置かないの基準が曖昧なことは作曲家の判断に属する問題だから諦めるとして、れっきとして書かれているリピート記号を実際に演奏するしないの基準はどうなっているのだろう。

私がクラシック音楽に目覚めた頃、レコードに収録された演奏ではソナタ形式の提示部末尾のリピート記号は省略されるのが普通だった。リピートを省略しない演奏があると、解説文の中で特記されていた。それほど省略が当たり前だった。

作曲家は演奏されることが前提でリピート記号を書いていると思う。ブラームスもそうだろう。それどころか通常あるはずの位置にリピート記号を置かないで聴き手を欺くこともあった。第4交響曲やピアノ四重奏曲第1番がその例だ。そうした細工はリピート記号が守られることを前提にした仕掛けだから、リピート記号の省略が習慣化してしまうと効果が減じられてしまう。

問題はそうした省略の慣習がいつ始まったかだ。断言は慎みたいが、LPレコードの収容時間に関連した業界の都合だった可能性を疑いたい。最近リピート有りの演奏が増えたのはCDの普及と関連があるような気がする。

ディヴェルティメントじゃあるまいに、およそソナタに関する限りブラームスは自分の書いた音符がリピート記号も含めて必ず再現されると考えていたと思う。「提示部の末尾に必ず置かれる飾り」という程度の認識だったら、ソナタ形式の楽章全てにリピート記号を置いたはずである。現実にはリピート記号の有無が混交しているから、リピート記号に積極的な意味を認めざるを得ない。

2009年5月22日 (金)

弾き語り

楽器を弾きながら歌うこと。自らの歌の伴奏を自分で行うとも言い換えられる。弾き手自らが歌い手であることに加えて、ソロであることも必須条件であるような気がする。オフィシャルな定義があるのかどうか自信がない。

人間の体の構造上、管楽器での弾き語りは考えにくい。だから弾き語りなのである。そういえば吹き語りという言い回しにはお目にかからない。

自唱、自伴奏、ソロの他にも条件がある感じている。演奏される曲のテンポだ。あまりテンポが速い曲は無いような気がしている。あるいは、言葉をクルクルと回すような歌は少ないとも思われる。

イメージとしては、切々とあるいは淡々と訴えかけるような曲調がふさわしい。

クララ・シューマンの没した後、ブラームスは親しい知人とクララの思い出に浸って過ごした。思い出に浸るとは、つまりクララの愛した音楽作品を仲間内で演奏することだった。

ブラームスの出番になった。選んだのは「4つの厳粛な歌」だ。ピアノを弾きながらブラームス自身が歌ったらしい。涙を流しながらの弾き語りだった。居合わせた者全てに深い印象を与えたという。

何という弾き語りだろう。クララの死を惜しむという状況、「4つの厳粛な歌」という選曲、自作自演という形態、どれをとっても空前絶後だろう。もちろんブラームスは声楽の専門家ではない。けれども凄い演奏だったことは容易に想像できる。4曲全て歌ったのだろうとは思うが、3番「おお死よなんと苦しいことか」が一番似合うような気がする。

2008年7月16日 (水)

スコアに忠実

スコアに忠実」。難解ここに極まるといった感じだ。

演奏評の中でしばしば用いられる。ピアノ独奏曲をはじめとする、薄い編成の作品に対しては現れにくい。多くは管弦楽曲だ。「作曲家の意図が余すところ無く再現出来ていますね」という程度の概ね好意的なニュアンスの表出だろうと思うが、「通り一遍の演奏」という意味の皮肉な表現だという可能性も残る。

元々何かと「楽譜通り」であることが珍重されるクラシック音楽だから、音の間違いや音程の不安は論外として、音の過不足がないことや、リピート記号が忠実に守られている程度では、この言葉は奮発されないと思う。

  1. 「Allegro」と書かれた楽譜の再現として、「確かにアレグロに聞こえました」
  2. 「p」と書かれた場所が「確かにpでした」
  3. 「書かれている声部全部がちゃんと聞こえました」

リピート記号に忠実かどうか程度であれば、客観的に確認が可能だが、上記などは立証が難しい。ある人が「スコアに忠実」と評した演奏を聴いても、全員がそう思うとは限らない。500小節を超えるような巨大な作品を聴いてたちどころに「スコアに忠実な演奏だった」と総括出来るのは凄いことだ。

ブラームスの管弦楽作品の演奏において「スコアに忠実」であろうと思うと、それは大変だ。

「音符の多さ」もさることながら、ヘミオラ、ポリリズム、シンコペーション、重音奏法、複雑なアーティキュレーションなどなどだ。さらに本人も自覚している通り、ピアノに編曲したら大名人にしか弾けそうもない程のこみいった声部書法が追い打ちをかける。もっとある。楽譜上にちりばめられた繊細、多彩かつ難解な音楽用語だ。これら楽譜上のブラームスの意図をあらかじめ全て見抜くことが既に難儀である上に、それら全てを演奏中に反映させることが至難の業だ。

仮に、その至難の業が実現出来たとしても、演奏を聴く中からそれを感じ取るというのはもっと難易度が高い。

「スコアに忠実」という言葉を使うからには、その筆者が「スコアの譜読み」を終えているということが前提だ。しかし、残念ながら譜読みの深さには個人差がある。そしてその個人差は「スコアに忠実」という言葉にも反映せざるを得ない。

恐ろしくて使えたものではない言葉だが、読む側に回っても心の準備が要る。

2008年7月 8日 (火)

獲物の処理

6月28日の記事「狩の目的」で4月24日の記事「禁則」に端を発した一連のシリーズが一応の完結を見た。

  1. 4月24日「禁則
  2. 4月28日「5度ハンター
  3. 5月29日「リストの復元
  4. 6月 3日「狩の獲物たち
  5. 6月18日「やっぱりバッハ
  6. 6月28日「狩の目的

ここに最後の疑問がある。

ブラームスがウイーンジンクアカデミーや楽友協会の指導者として、自ら指揮する曲の譜読みの中から、先輩作曲家の禁則違反箇所をリスト化したと推定したが、実際にブラームスはその禁則違反箇所をどう演奏したのだろう。禁則違反を承知の上でそのまま演奏したのだろうか。実際にはブラームスが見ていたのは手稿譜であって、流布していた楽譜は既に誰かの手によって修正されていた可能性もある。もっと言うとブラームス自ら修正したという可能性もある。

ブラームス自らの修正の痕跡が残った楽譜は無いのだろうか。

またしばらく辞書片手にマッコークルを探して見ることにする。

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