坊主憎けりゃ
あるものを嫌いになると、それに関連する事柄までつられて嫌いになることを意味することわざが「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」である。誰にでもある現象で、人間の心の有り様を良く現していると感じる。
作曲家個人が嫌いだと、その作品まで嫌いという現象は古来枚挙に暇がない。特に作曲家存命中だと、作曲家個人のキャラに触れることが出来るからそういうことが起きやすい。
ブラームスの伝記を読んでいてすぐに思いつくのがハンス・フォン・ビューローだ。クララの父の弟子として台頭した彼は、リストに賞賛されその娘と結婚する。ワーグナーに心酔した彼はその作品の支持者になるが、妻がそのワーグナーの許に走ると一転してブラームス支持者となる。愛妻を取られたのだからワーグナー憎しは自然である。それでワーグナーの作品への共感も冷めてしまったという訳だ。
それからハンスリック。19世紀ドイツ楽壇を2分した論争における反ワーグナーの急先鋒だ。ワーグナー憎しが高じてその周辺の賛同者まで批評の対象にした。ウィーンを本拠にしていたブルックナーが、あまりの攻撃振りに困り果てて皇帝に直訴の一幕もあった。
一方、ロベルト・シューマンの妻クララや、大ヴァイオリニスト・ヨアヒムは、最初から一貫してブラームスの支持者だ。後年不和に陥ることもあったが、ブラームス作品そのものへの評価は一貫している。坊主は坊主で袈裟は袈裟ということだ。
私はというと、ブラームスの没後に生まれたから、ブラームスに直接接した訳ではない。伝え聞く範囲で彼のキャラや作品を知り心酔した。作品の味わいからブラームスのキャラを推定し、そうして完成したブラームス象が作品の聴き方に影響するということを繰り返してきた。坊主と袈裟が限りなく一体に近い。作品に親しむと同時に作曲家のキャラも深く知りたいと願う。
気が付けば、そういう聴き方しか出来なくなっている。







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