紹介状
「こいつをよろしく」と書いた親書。紹介される側の人物が持参し訪問先で、お目当ての人物に見せるという送達方法が一般的だ。
1853年5月ヴァイオリニスト・レーメニの伴奏者として、ハノーファーのヨアヒムの前に現れたブラームスだが、2人はあっと言う間に意気投合する。危険分子として国外追放処置を受けたレーメニの伴奏者ブラームスも、しぶしぶハノーファーを辞去する。別れ際にヨアヒムは、リスト訪問を薦めて、紹介状をしたためる。
ワイマールを訪問したレーメニとブラームスは、さっそくリスト邸に招待される。紹介状の威力だ。このときブラームスは20歳、ヨアヒムは22歳だ。ブラームスよりわずか2歳年長のヨアヒムの楽壇における位置づけは驚くばかりだ。ピアノの魔術師として欧州に君臨するリストの覚えめでたいということが、どれほどのものかご想像いただきたい。
わずか15歳でメンデルスゾーンに見いだされ、22歳の段階でリストやシューマンともお知り合いということだ。
リストの本拠地ワイマールの元コンサートマスターだったヨアヒムは、どのみちリストやレーメニとは長続きするまいとにらんでいたと感じる。楽譜も読めれば空気も読める音楽家だったのだ。程なくデュッセルドルフにシューマンを訪問することも、ヨアヒムから事前にシューマンに予告されていたという。
ブラームスの楽壇デビューについて、ロベルト・シューマンの助力はしばしば力説されるが、ヨアヒムの功績も強調されていいと感じる。
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