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カテゴリー「500 逸話」の101件の記事

2023年10月21日 (土)

必要なのは才能だけ

ブラームスはこう言って唯一の作曲の弟子グスタフ・イエンナーを叱咤したという。叱咤された本人の証言である。イエンナー自身が、ブラームスの恩師マルクセンの弟子ということもあって、ブラームスが作曲を教えることを引き受けたといういきさつがある。後にイエンナーはブラームスの想い出を出版している。時を隔てての回想だけのことはある。記述のトーンは全体として恨みがましくはないのだが、この言葉をかけられた時の心境だけは、とても辛そうだ。

ある日のレッスンの後、ブラームスは不意にシューマンの楽譜を取り出して言った「ロベルト・シューマンは18歳でこれを作曲した。必要なのは才能だけで、あとは何の役にも立たん」と。善意に受け取れば「若いモンを甘やかしてはならぬ」「作曲で飯を食うのは大変なことだ」という意味を込めたと推定も出来ようが、言われたほうは大変だったと思う。泣かされながらもレッスンを続けた結果、イエンナーはドイツ・オーストリアの音楽界でそこそこの地位まで昇ることになる。「ブラームス唯一の作曲の弟子」という肩書きの威光はそうとうな効き目なのだと思う。作品が後世まで広く愛好されるかどうかとは話が別である点、微笑ましくも悲しいものがある。

才能が何より大事という点、同感だ。正論過ぎて怖いくらいだ。しかし「必要なのは才能だけ」と断言出来るのか少し不安である。「運」も要ると思う。マルクセン、ヨアヒム、シューマン夫妻と出会っていなかったら、ブラームスの才能をもってしてもその創作人生は順風満帆という訳には行かなかったのではないだろうか。

「運も実力のうち」と言われてしまうと返す言葉はない。

 

 

2023年10月16日 (月)

音符喰い

音符の呑み込みが速いこと。クララ・シューマンの弟子の一人である女流ピアニストを称してヨアヒムがこういったらしい。英語だと「ノーツ・イーター」とでも言うのだろうか。なんだかやんちゃな感じのする言葉だ。この言葉を女性ピアニストに奉ったということはよっぽどのことなのだろう。読譜する能力が単に優れていたというだけではあるまい。ヨアヒムほどの音楽家をうならせるというからには、もっと深い意味があったと思っている。

作曲家の意図をたちまち理解し音に正確に転写する能力全般という具合に捉えなおしたい。それが速くて正確だったことに加えて、短時間に記憶できる作品の量が大きかったことも含まれていよう。そして一度記憶したものを記憶している能力つまり暗譜にも特異な才能を示したのだろう。あるいは、想像を絶する初見能力までも含まれるかもしれない。

初めて見る作品であってもそれをどん欲に吸収する様を見て、あたかも音符を食べているような錯覚にとらわれたのだろう。

単なる暗譜好きをヨアヒムほどの実力者が手放しで誉めるハズはない。

彼女イローナ・アイベンシュッツ(1873-1967)はブラームスの晩年の宝石op118とop119の初演者である。なるほど食べたくなるのも解るおいしそうな作品である。

 

 

2023年10月11日 (水)

いびき

就寝中狭くなった気道を通過する呼気によって周辺の筋肉が振動する現象と習った記憶がある。病気とまでは言えないのだと思うが睡眠時無呼吸症候群との関連も疑われているらしいし、離婚の原因になることもあるそうだからバカに出来ない。

実はブラームスは、相当に激しいいびきをかいたことがジョージ・ヘンシェルによって証言されている。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第1巻だ。旅先でブラームスと同じ部屋に投宿することになり、翌日の出発が早いのでと思っていたら、ブラームスがあっという間に眠りについてしまい、ホテルのボーイにかけあって別の部屋で寝たという証言だ。当日は深刻な話だったのだろうが、ここでは良い思い出としてユーモラスなニュアンスで語られている。

その他作曲の弟子だったグスタフ・イエンナーもいびきネタを証言している。こちらはもっと豪快で、ホテルの隣室にいてもいびきが聞こえたと言っている。

作曲や演奏の面では、聴衆や演奏家を魅了して止まないブラームスだが、いびきまで音楽的ではなかったということだ。

さては鼻と口の二管編成だったとオヤジギャグをかましておきたい。

 

 

2023年7月 3日 (月)

さようならイニエスタ

一昨日7月1日にJリーグヴィッセル神戸のイニエスタのラストゲームがあった。

愛するアントラーズにおけるジーコのような存在を象徴する一連の感動的なエピソードについてはもはや論を重ねるまい。

彼の名前イニエスタは「Iniesta」と綴る。その綴り冒頭に「H」を付与して「Hiniesta」となるとこれは植物のエニシダを指すスペイン語だ。欧州原産のこの植物の日本伝来は17世紀とされている。日本語名のエニシダは、スペイン語名「イニエスタ」のなまったか形という説がある。この手の語源ネタは眉に唾の二度塗りが要るものだが、もう少し続ける。

人名「Brahms」はドイツ語におけるエニシダ「Brahm」に所有を表す「s」が付与された形だという。つまり「エニシダの息子」だ。

サッカー選手としてのイニエスタへの敬愛とは別に、私にとってはずせない話。

 

2022年9月15日 (木)

傍観者

ブラームスは活字が好きだ。楽譜以外の出版物によく目を通していた。文学作品はもちろんのことだが、新聞雑誌の類も定期的に読んでいたらしい。学術的音楽雑誌が彼の遺品の中から、書き込みとともに見つかっているという。クラシック音楽界の動向にも関心があったということだ。だから、当時の楽壇を二分した論争を十分知っていた。自らが片方の当事者の首領に祭り上げられていたこともよく認識していたに違いない。

ところが、奇妙なことに論争の当事者であるはずのブラームスは、新聞雑誌などに意見を投じていない。論争の様子を眺めるだけで、自らはジャーナリスティックな手段に訴えることをしていない。もちろんブログもHPもない。ブラームスは自らの情報発信を楽譜の出版だけに限定していた。

自称「未来の音楽」が闊歩していた時代にあっては大変珍しいことだ。自らの領分が作曲であることを肝に銘じていたのだと思う。

「未来の音楽に興味はない。未来に残る音楽を書きたいだけだ」と言ったらしい。単に「ウィット」というには、あまりにも含蓄が深い。

 

 

2022年4月27日 (水)

絶対音感

厳格な定義は私の手には余る。

鳴らされる音の音名が即座に言い当てられると絶対音感があるっぽく見える。鳴らされるのが和音であっても、それを構成する音全てを言い当てられる人も多い。

疑問が無い訳ではない。音名を言い当てられるというのは既に相対的だ。Aの振動数をどれほどと設定するのかで同じ音でも音名が代わってしまうこともあるだろう。あるいは、ハ長調で書かれた作品をニ長調に移調した楽譜を用意する。半音低く調弦された楽器で演奏して録音する。それを再生するときにさらに半音低く再生すると、絶対音感のある人々は何調と認識するのだろうか?

絶対音感どころか相対音感も怪しい私には別世界のお話である。

ブラームスは、はたして現代使われている意味での絶対音感を持っていたのだろうか?鳴っている曲を即座に楽譜に書き留めるくらいの芸当は朝飯前だろうが、それが現代絶対音感と呼びならわされている能力に相当するかどうかは断言が難しい。

散歩の最中に聴いたもの悲しいカエルの鳴き声を「減七和音」と指摘した逸話もある。音に対する鋭敏な感覚を持っていたことは想像に難くない。

2022年4月22日 (金)

二元論

たとえば「白黒」「善悪」というように、世の中で起きている諸事象を2分類することで捉えようとする試み、または考え方のことだ。

天下分け目の戦いとされている関ヶ原の合戦は、当時の大名たちを2分する戦いだった。一般に東軍西軍と言われているが、単純に地理的な東西対抗ではなかったという。風雲急を告げてから、実際の合戦までの間水面下の諜報活動が盛んだったらしい。大名たちはその勢力の大小にかかわらず東西どちらの陣営に与するか、事前に意思表示を求められた。自分が味方した陣営が負ければお家の一大事だ。しかし中立というのも戦後の論功行賞で後手を引くのだ。

皆相当困った。とりわけ東西どちらにも恩も義理もない大名は、相当困ったはずだ。だから意思表示を引き延ばして、周囲の流れを読んだ。あるいは戦いの大勢が決すると、次々と寝返りが起きた。どだい東西の二元論では無理があるのだ。

19世紀後半、欧州とりわけドイツ・オーストリアの楽壇を2分した論争があった。両陣営の首領の名前をとってブラームス派とワーグナー派の論争とも言われている。当時普及著しかった音楽ジャーナリズムに乗って論争はおおいに盛り上がった。論争の中心人物たちはともかく、どっちでもいい人あるいは両方嫌いな人や、両方好きな人は困ったと思う。

実際にワーグナーの周囲に集う門人でありながらブラームスの音楽を評価する人々もいて、過激な中傷合戦には沈黙をもって距離をおいていたという。ゴルトマルクやタウジヒなど音楽史上の評価ではワーグナー派と目される人とブラームスの交流も伝えられている。何よりもブラームス派の首脳と目される2人、ハンスリックとビューローは元々はワーグナーの賛美者だったくらいだ。

関ヶ原の合戦に際して、機を見るに敏な商人たちは、ちゃっかり両陣営と商売していた。似た立場にいたのが、この論争が盛り上げれば盛り上がるほど、売り上げが伸びる音楽ジャーナリズム業界の人々だ。両陣営の関係者からコメントを取っては誌上を飾る。コメントが過激なほど好都合だった。この手の二元論が根強いほど商売には有利だ。

大河ドラマを作るには好都合だが、世の中どうもそう単純ではないらしい。

 

 

2022年4月18日 (月)

レッスンの教材

ブラームスが何人かにピアノを教えた記録が残っている。大抵は教わった本人の証言だ。ブラームスの指導方法の貴重な証言であるばかりでなく、その音楽観をも垣間見ることが出来る。その中でブラームスが指導に用いた教材あるいはレッスン中の課題曲に言及されていることがあるので拾ってみた。

  1. クレメンティ「グラドゥス・アド・パルナッスム」
  2. バッハ「インヴェンション」
  3. バッハ「シンフォニア」
  4. バッハ「平均律クラヴィーア曲集」
  5. バッハ「イギリス組曲」
  6. バッハ「フランス組曲」
  7. モーツアルト「ソナタヘ長調」
  8. ベートーヴェンの変奏曲ヘ長調
  9. ベートーヴェンの変奏曲ハ短調
  10. シューベルトの即興曲
  11. メンデルスゾーン無言歌より
  12. ショパン「ノクターン」より
  13. チェルニー練習曲より
  14. スカルラッティのソナタより

きっとこれらはほんの一部だろうと思われる。詳しい作品名が記されていないものも多い。考えてみればバッハのシュミーダーによるBWVやモーツアルトのケッヘルナンバーも考案される前だから、作品の特定が難しいのだ。自作が無いこととシューマンの作品を見かけないのも気にかかる。

 

 

 

2022年4月17日 (日)

自作への沈黙

ブラームスは出版済みの自作品に対して、著述にしろ発言にしろコメントを発することが極端に少なかったという。「ごくごく親しい友人相手」「ブラームスが上機嫌」「周りに人がいない」この3つの条件を満たした場合に、ごくまれに限定的な表現で自作に言及したらしい。

さらに作曲やピアノを教える側に回った場合、自作を教材に使うことは無かったという証言も複数残っている。

恐らくこれは作曲家としての強烈な自負の裏返しだと思われる。楽譜に全てを盛り込みきっているという自信とも言い換え得る。あるいは作曲家自身が作品について中途半端に言及することで、弾き手や聴き手に無用の先入観を与えかねないというリスク回避行動かとも考えられる。自作に標題を与えないという姿勢と一脈通じるものがある。

許されたのは自作を演奏することのみであったようだ。かくのごとき自作に対する沈黙ぶりは、禁欲的でさえある。この種のストイックさはブラームス作品の放つ禁欲的なオーラと矛盾しない。

だからその分だけ楽譜が大切なのだ。という毎度の落ち。

2022年4月11日 (月)

神童

「特定の分野に関して非凡な才能を持った子供」くらいの意味。音楽史でも作曲・演奏の両分野で神童に関するエピソードには事欠かない。残念ながら聴衆側に神童の概念はないようだ。

子細に見るとさらに、おおよそ以下の如く細分化出来ると思われる。

  1. 大人顔負けであること。これが本来の意味。20歳過ぎてただの人になってもよい。
  2. その年齢の子にしては優れていることの誇張表現。
  3. 上記1も2も満たしていないにもかかわらず主にマーケティング上の意図から神童と呼ばれている状態。ブラームス自身ピアノの才能を認めたプロデューサーからアメリカ行きを持ちかけられたことがある。

1896年2月1日、13歳のブロニスラフ・フーベルマンがブラームス本人の前でヴァイオリン協奏曲を演奏した。終演後ブラームスが楽屋に駆けつけるとフーベルマンは、カデンツァの途中で拍手が起きて集中できなかったことを嘆いていた。ブラームスは「それならカデンツァをあんなに美しく弾かなければいいのだよ」と言って慰めたという。大抵の伝記には「神童の類を好まなかったブラームスにしては珍しく」というニュアンスで書かれている。とてもセンスのある誉め方だ。ブラームス本人とのこうしたエピソードがヴァイオリニスト・フーベルマンを内外から支えたことは想像に難くない。フーベルマンは20歳を過ぎてもただの人にはならなかった。

このエピソードから、ブラームスが嫌っていたのは、上記分類の2または3の意味の「神童」だと思われる。あるいは「神童」という言葉そのものへの嫌悪だった可能性もある。優れた演奏が子供の弾き手によって実現した場合、賞賛の意思を温かく表現するデリカシーは持ち合わせていたと考えられる。

もちろんブラームス自身は神童扱いされていない。大器晩成 と神童の間くらい。それなら私と一緒かというとやはりそれも違う。

しかし昨日、日本プロ野球28年ぶりの完全試合を達成した20歳と18歳のバッテリーは、神童にカウントしたい気分である。

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