崩し三部形式
「三部形式」は通常「ABA」の枠組みで理解される。AやBの各々がさらに細部に分かれている「複合三部形式」も珍しくない。このうちBの後に出現するAが、最初のAの正確な再現になっていないケースもかなり多い。いわゆる「ABA´」である。ブラームスにおいてはむしろこの「ABA´」の方が主流だったりもする。
最初のAと再現のA´の差は、千差万別である。Bの部分でテンポが変化する場合は、A´の冒頭に「TempoⅠ」が置かれていることが多い。「TempoⅠ」は「再現部ここにあり」の標識であるようにも見える。A´の部分が内容的にいかに変化していようともテンポだけは冒頭のAと同じというパターンである。
ブラームスにおいてはこのA´の部分の微妙な変質を味わうことが楽しみの中核になる。変化していて当たり前で、その変化の幅、落差、質が鑑賞の対象であることが多いのだ。用語使用面においてもそうした傾向が現れている。
「苦悩の子守唄」で名高いop117-1の変ホ長調のインテルメッツォに代表的な実例がある。第4交響曲の緩徐楽章と同じく8分の6拍子「Andante moderato」で始まる主部は21小節目「Piu adagio」から中間部いわゆる「Bの部分」に突入する。CDを聴いている限り紛う余地の無い再現は38小節目に訪れる。疑問の余地の無い再現部なのだが、発想記号は「Un poco piu andante」になっている。「TemoⅠ」でも「Andante moderato」でもない。「中間部のPiu adagioに比べて少々テンポを上げよ」という指図にとどまっている。発想記号の上では明確な三部形式を志向していはいない。
再現部冒頭に「Tempo Ⅰ」を掲げることは、中間部の展開はどうあれ、半強制的に元のテンポにリセットするという強い意志が感じられる。op117-1の再現部のように、旋律は冒頭部分に復帰するにしても、あくまでも中間部分のテンポをベースに再現のテンポを指示する仕組みは斬新でさえある。
確かにミクロに見ればこうした「崩し」に満ち溢れてはいるのだが、10歩下がって全体を俯瞰すると、やはりしっかりとした三部形式が浮かび上がるようになっている。ちょっとした崩しがかえって形式感を高めていると思われる。蝉の声がうるさいからこそ、あたりの静けさが際立つのと似ている。
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