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カテゴリー「300 作曲家」の80件の記事

2016年11月11日 (金)

会見の記録

ブラームスの伝記を読んでいると著名な作曲家との面会が記述されている。いわゆる大作曲家同士のそうした会見は、後世の愛好家にとって大変興味深い。

  1. フランツ・リスト 1853年6月12日。リスト作品演奏中に居眠りというエピソードあり。
  2. ロベルト・シューマン 1853年10月1日デュッセルドルフにシューマンを訪問。ブラームスの人生の転換点。1856年7月28日に臨終に立ち会う。
  3. ルイ・エクトル・ベルリオーズ 1853年秋おそらく11月ライプチヒにて。
  4. リヒャルト・ワーグナー 1864年2月7日にただ一度実現。
  5. ヨハン・シュトラウス 初対面は意外にわからない。1866年夏バーデンバーデンかもしれぬ。
  6. カミーユ・サンサーンス 1870年ミュンヘン。「ニーベルグの指環」前半の公演の会場で会った可能性がある。
  7. アントン・ブルックナー ウィーンのレストラン「赤いハリネズミ」にて。
  8. アントニン・ドヴォルザーク 1879年秋おそらく9月プラハにて初対面。
  9. ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー 1888年1月2日ライプチヒにて初対面。1889年3月12日ハンブルクにて再会。
  10. エドワルド・グリーク 1888年1月2日ライプチヒにて初対面。 
  11. リヒャルト・シュトラウス 1885年秋おそらく10月マイニンゲンにて初対面。
  12. グスタフ・マーラー 1893年夏イシュルにて初対面。

バッハ、ベートーヴェン、ハイドン、ヘンデル、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパンには会っていない。当たり前だ。しかし、ブラームスの伝記においては、会ってもいないこれらの作曲家への言及が目立つ。実はこのことがブラームスの特長の一つになっていると感じる。

2016年11月 6日 (日)

庭師

記事「フィンガルの洞窟」の中で作品17に属する4曲の合唱曲について、その珍しい編成について述べた。

その周辺を調べていてお宝情報を発見した。先日言及した「フィンガルの洞窟」op17-4のひとつ前に「庭師」という作品がある。アイヒェンドルフによるこの作品のテキストはメンデルスゾーンの女声合唱曲と同じものだ。

作品17は女声合唱の伴奏をハープと2本のホルンにさせていることが特色だが、メンデルスゾーンとの関連を疑わせる作品が2つも混入していた。

2016年11月 1日 (火)

残念なこと

メンデルスゾーンという作曲家が気になっている。書店を徘徊していて残念な情報を見つけた。メンデルスゾーンのピアノ作品の解説書の中だ。

作品解説に先立つ総論があって、その一部で古今の作曲家とメンデルスゾーンの関係が書かれている。その中に目を疑う記述があった。

「ブラームスはメンデルスゾーンを顧慮していなかった」というものだ。

婉曲な表現ではなくほとんど断言されている。しかも困ったことに根拠らしい根拠も示されていない。それ相応の専門家が、書籍という開かれた媒体で断言するからには、荒唐無稽な妄想ということはないだろう。根拠を是非ともお聞かせいただきたいものである。

私個人は、シューベルトに先立ってメンデルスゾーン取り上げたくらいなのだが、どうも水を差された感じだ。

2016年10月31日 (月)

怖い物を見たい

人間の嗜好とはとかく不可解な事が多い。寒い中わざわざスキーに出かけるし、危険を顧みずに冬山にも登る。「わかっちゃいるけどやめられない」人は多い。

そのうちの一つに「怖い目に遭いたい」がある。お化け屋敷に入ったり、ホラー映画をみたり、ジェットコースターに乗ったりする。「怖い物見たさ」という言い回しがキチンと定着していることからもそれが伺える。

本日の話はその最たる物。

バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌニ短調は古来名曲として君臨してきた。その一方でたった一挺のヴァイオリンによって演奏されることを、放置しておけない人が幾多の編曲を試みてきた。

メンデルスゾーンについて調べていて、息を呑んだ。どうやらメンデルスゾーンは話題のシャコンヌを編曲している。というよりヴァイオリンソロのパートをそのまま保存し、ピアノ伴奏を追加したというのだ。これが本当なら聴きたい。

20歳で「マタイ受難曲」を蘇演し、バッハ復活に先鞭をつけたメンデルスゾーンのバッハへの見識は論を待たない。それをきっかけに始まったバッハルネサンスの中で様々な演奏が模索され、現在の目から見ると奇異なトライもあったというが、メンデルスゾーンによるシャコンヌのピアノ補強もインパクトは相当大きい。

ということで、今ではその貴重な録音のCDがある。ブラームスのヴァイオリンソナタの売り場を探していて偶然ゲット。ヴァイオリンソナタ第一番の余白に、シャコンヌのメンデルスゾーン編曲がおさめられている。何かの縁だ。

2016年10月30日 (日)

フィンガルの洞窟

スコットランドに実在する洞窟。18世紀に発見されて以来の名所である。

1830年20歳のメンデルスゾーンは、この地を訪れた感銘を元に作曲したのが序曲「フィンガルの洞窟」だ。以来オーケストラの定番レパートリーになっている。あのワーグナーまでもこの描写力を称賛しているという。

実はブラームスにも「フィンガルの洞窟」がある。作品17-4を背負う女声合唱だ。作品17の4曲は何と言ってもその編成が粋である。ソプラノ2部、アルト1部を伴奏するのがハープと2本のホルンという代物だ。

スコットランドの詩人マクファーソンの叙事詩がフィンガルの洞窟の名声獲得に一役買った。それをヘルダーが独訳したものをブラームスがテキストに採用したのだ。ハ短調4分の2拍子アンダンテの粛々とした歩みが印象的だ。

ブラームス自身は英国に渡ったことがないから現地を訪れていないが、マクファーソンの叙事詩の他、メンデルスゾーンの序曲も知っていたと思われる。

2016年10月29日 (土)

マタイを贈られる

1823年のクリスマスのことだ。14歳のフェリックス・メンデルスゾーンは、祖母からバッハの「マタイ受難曲」の筆写スコアを贈られた。何たるプレゼントだ。羨ましさで言えばバッハ全集第一巻をクララから贈られたブラームスに匹敵すると感じる。バッハは何かとクリスマスがお似合いだ。

メンデルスゾーンはこの6年後に、贈られた作品「マタイ受難曲」の演奏にこぎつける。世に名高い「マタイ受難曲の蘇演」だ。贈った方も贈った方なら、贈られた方もただ者ではない。

ブラームスが友人ホイベルガーと指揮者の暗譜について語っている。暗譜の風潮に批判的なコメントを発した後、メンデルスゾーンに言及している。それによればメンデルスゾーンは「マタイ受難曲」を暗譜で指揮したばかりか、楽団員にも暗譜を求めそれを実現したらしい。ブラームスはそのことを絶賛することで、昨今の暗譜の流れなどまだまだ序の口扱いしている。ブラームス自身は楽友協会の芸術監督時代に「マタイ受難曲」を取り上げた経験があるからメンデルスゾーンの凄さが身にしみているのだ。

メンデルスゾーンは祖母から贈られたスコアを6年かけて勉強したことは間違いない。暗譜はその副産物だろう。

2016年10月28日 (金)

交響曲ハ長調

リヒャルト・ワーグナー現存する唯一の交響曲。弱冠19歳の作品。

ホイベルガーはこの作品についてのブラームスの見解を証言している。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻53ページだ。「ここからあのワーグナーが生まれるとは驚きだ」というものだ。

示唆に富んだ証言である。19歳の若書きにしては良く出来ているというニュアンスと、後年の楽劇群に比した落差の大きさも言い現していると感じる。同時にメンデルスゾーンの態度にも言及している。メンデルスゾーンは楽譜をちょっと見ただけで何も言わなかったらしい。曰く「メンデルスゾーンも忙しかったのだろう」だ。

同交響曲の自筆スコアは、現在行方不明だ。1833年ライプチヒ・ゲヴァントハウスの演奏会で取り上げられた時に紛失したという。このときゲヴァントハウスの指揮者だったメンデルスゾーンが何か事情を知っていた可能性は高いが真相は闇の中だ。ブラームスがメンデルスゾーンに言及しているのは偶然とは思えない。

2016年10月27日 (木)

M.B.

1809年にメンデルスゾーンが生まれたのはハンブルクだ。申すまでもなくブラームスの故郷でもある。だからという訳ではないがブラームスはもちろんメンデルスゾーンを知っていた。直接会ったことは無いと思われるが、作品を通じて親しんでいたと見るべきだ。

さらに1853年にデュッセルドルフを訪問してシューマン夫妻に会い、しばらく滞在した間、メンデルスゾーンの友人でもあったシューマンから情報を仕入れたに決まっている。おそらくブラームスはメンデルスゾーンに好意的な印象を持ったと思う。

明くる年1854年の春。ロベルト・シューマンの入院との前後関係は不明だが、ヨアヒムに全2集からなるピアノ小品集を贈った。タイトルは「ある音楽家の日記から」といい、ヨハネス・クライスラー作曲とされている。第2集には現在op9になっている「シューマンの主題による変奏曲」から10番目と11番目の変奏が抜けたものが入っていたらしい。興味深いのはこの第1集の最後4曲目に「M.B.の想い出」というロ短調の小品が置かれていたことだ。この「M.B.」は「Mendelssohn Barthordy」の頭文字である。ブラームスなりのメンデルスゾーンの印象が作品に反映されていたことは確実だ。

この曲集をヨアヒムに贈ったことはとても興味深い。ヨアヒムの才能を発見したのは他ならぬメンデルスゾーンだ。ヨアヒム10代の頃ロンドンに同行したこともあるという。自分にシューマンを紹介してくれた恩人ヨアヒムはメンデルスゾーンとも深い親交があったということだ。「私はあなたの恩師メンデルスゾーン先生を、シューマン先生と同様に尊敬しています」というメッセージが込められていたと感じる。

1848年に38歳の若さでこの世を去ったメンデルスゾーンだが、もし少々長生きしていたら、ヨアヒムはきっとブラームスを恩師メンデルスゾーンに紹介していたと思う。

残念なことにこの曲集は現存していない。

2016年10月21日 (金)

改宗

重い言葉だ。信じる宗教を変えることだ。本来信仰は自分の自由な意思の現れだから、変えるのは自由なのだと思うが、現実にはそうも行かない。特に改宗が弾圧の結果であるような場合、本人の意思に反する改宗が起こり得る。

音楽史をひもとけばメンデルスゾーンの場合が有名だ。ユダヤ教からプロテスタントへの改宗とともに彼の名前の末尾にバルトルディが付加されることになった。グスタフ・マーラーもユダヤ教からカトリックに改宗した。

グスタフ・マーラーは、作風から申せばいわゆる「ワーグナー派」だった。ブラームスに対するマーラーの評価にそれが反映されている。皮肉なことにワーグナーの現した「音楽におけるユダヤ性」に代表される反ユダヤ主義の影響か、マーラーのウィーン宮廷歌劇場音楽監督への就任を妨げる。おそらくメンデルスゾーンが生前そして死後に受けた困難と同質だと思われる。

1893年マーラーはイシュルにブラームスを訪ねた。理想とする音楽の違いは承知の上で、ブラームスに援助を求めたのだ。ブラームスは音楽性・作風の違いを超えて協力を約束する。

ブラームスのことだから、影響力を駆使して調整を試みたとは思うが、結局マーラーがウィーン歌劇場の音楽監督になるのは、カトリックへの改宗後だった。

私にはいささか荷が重い話題。

2016年10月10日 (月)

マルトゥッチ

ジョゼッペ・マルトゥッチ(Gieuseppe Martucci)1856-1909はイタリアの作曲家、ピアニスト、指揮者だ。オペラ一辺倒のイタリアの風潮に異を唱えたことで知られる。教育者としても名高くナポリ、ボローニャで教鞭をとった。

1888年5月旅行でイタリア・ボローニャを訪れたブラームスをマルトゥッチが表敬訪問した。このときの旅のパートナーであるヴィトマンの証言だ。マルトゥッチがイタリア語まくしたてるので当初は通訳が必要と思われたが、やがて意気投合した二人は通訳を必要としなくなった。マルトゥッチはこのときまでのブラームスの室内楽を全部暗譜していたらしい。主題を次から次へと歌ったのだ。ブラームス自らも歌いだし通訳が不要になったと証言されている。

このときまでに出版していた室内楽は18曲。ヴァイオリンソナタ3番と弦楽五重奏曲第2番、そして一連のクラリネット入り室内楽だけが未出版だ。18曲を暗譜していたとは素晴らしい。暗譜はしていないが、作品の主題を歌うだけなら私にだって出来る。これに交響曲、協奏曲を含めても歌える。

生涯に8回あったイタリア旅行は、必ずパートナーを連れて行った。それも音楽家ではない人物を選んでいる。旅行先で演奏をしたことは一度もないし、コンサートに出かけた記録もない。つまりイタリア旅行はブラームスにとっての息抜きなのだ。興味の対象は主に美術と建築だったらしい。だからこのマルトゥッチとの会見は異例である。

2人の歌合戦を聴いてみたかった。

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