発想の順序
作曲の過程を想像して欲しい。
まず作曲家の頭の中に音楽が鳴る。作品全部かもしれないし主題の断片かもしれない。いずれにしろそれは「楽想が浮かんだ」と表現される。世間様にそれを知らしめるためにはまだ不十分だ。楽譜という形にダウンロードする工程が残っている。その間に作曲家の頭の中である判断がなされる。「浮かんだ楽想を、最も効率的に表現出来る編成は何か」である。あるいは、まず編成ありきで、楽想がそれに遅れて思う浮かぶこともあるだろう。浮かんだ楽想と編成は最適の組み合わせでないと、期待通りの効果は得られないと考えるべきだ。
- 管弦楽のためのセレナーデ第1番op11
- ピアノ協奏曲第1番op15
- 管弦楽のためのセレナーデ第2番op16
- ピアノ五重奏曲op34
上に列挙した4曲は、現在残された形態とは、別の形態を経由して完成に至っている。当初選定した編成がベストではなかったとブラームスが認めた可能性がある。これをもって「創作初期の迷い」「若書きの痕跡」と断ずるのは早計だ。作品番号を見る限り初期の作品ばかりにその証拠が残っていることは事実だけれど、それは証拠隠滅のスキルが未熟だっただけかもしれないからだ。あるいはその点が甘かった作品は全部破棄に回った可能性もある。
ワーグナーはしばしば「楽想と編成がマッチしていない」とブラームスを批判した。曰く「室内楽の楽想でしかないものが交響曲として提供されている」という論旨だ。
大きなお世話だと思う。ワーグナーとワグネリアンには悪いが、ブラームスはそうしたアンマッチには厳正に対処していたと思う。むしろそうした点のバランス感覚においては比類のない存在だったと確信している次第である。







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