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カテゴリー「100 作曲」の29件の記事

2017年8月 8日 (火)

多変数関数

中学の時代だったか、初めて確率を習った。「確からしさ」という言い回しだった。コインを投げて表が出るか裏が出るかの確率は共に50%ずつである云々だ。「コインを同じように投げた場合、表裏の出る確率は同じ」というロジックだ。天の邪鬼だった私は「同じように」という言葉が引っかかった。

「表が出るのは表が出るような投げ方をしているのではないか?」という消しがたい疑問があった。次に裏が出てしまうのは「表が出るような投げ方をしていないからだ」と思った。つまり「次に何が出るか判らないのは本当に同じように投げていないからだ」という訳だ。

表が出るか裏が出るかは、膨大な数の変数を抱えた多変数関数をその都度神様が演算した結果なのだ。全ての変数をコントロール出来れば、表か裏かは完全に予測できる。投げる手は右か左か、コインを持つ指はどれか、手の表面の脂は同じか、投げる高さは、方向はと考えればそれがいかに膨大かわかるというものだ。床に落ちるたびにコインは微量ながら摩耗し変形するから、前回と同じ条件にはけしてならないことも容易に想定できる。

数学は、コントロール不能な入力値の設定を諦めたのだ。結果どうなるか。膨大な変数が表側の値になるか裏側の値になるかは、まさに五分五分となる。表を出すようなパラメータ値と裏を出すような値とが偶然均衡するのだ。「アット・ランダム」とはこういうことだ。最近はこれが確率50%の意味だと思うようになった。数学の怠慢といってはいけない。抽象化とはこういうことだろう。

音楽作品の演奏に2つと同じものがない理由はこれで説明出来ると考えている。演奏とは膨大な多変数関数の処理だ。同じ楽譜を見ながら弾き手によって、会場によって、楽器によって演奏が変わる。膨大な変数のうちのごく一部が楽譜によって定められているに過ぎない。4分音符一個にしても、ニュアンスの付け方には膨大なバリエーションがある。人が聴いて心地よいと感じる弾き方は、このうちのほんの一部だ。高い確率で心地よいと感じる弾き方の出来る人が、名人なのだと思う。独自の変数管理によって多変数関数を制御していると解されよう。

一方、演奏の前段階としての作曲は、「こうしたら感動しますよ」という変数の候補を設定することかもしれない。古来静けさは最良の環境の一つだ。何も音を出さないのは誰にでも出来る。そうした最良の環境を打ち破ってでも聴きたい音の羅列の提案が、作曲だ。ブラームスは「こんな音楽なら、静けさの方がマシ」という音楽を作ってしまった場合、迷わず廃棄していたと思われる。

私に限っていうと、こんな演奏なら「静けさの方がマシ」という演奏をしてしまうことが少なくない。多変数関数の入力値がちっとも一定しないのだ。単なるへたくそだ。

2016年12月 8日 (木)

スケッチ

古今の大作曲家が作品を完成させる過程には、謎が多い。それが一般の愛好家にとって悩みである反面楽しみももたらしていること周知の通りである。

出版社に手渡す最終稿がいきなり降って湧くわけではないことは想像がつく。何かのキッカケで着想が湧いては来るが、それが最終的な作品になるためには段階が踏まれることは確実だ。着想と最終作品の間、つまり中間品のことをスケッチと呼びならわしている。

スケッチは、後世の研究家にとって宝の山である。多くは作曲家本人の自筆である。完成された作品の着想がどこまで遡れるか、推測出来る。

問題は作曲家によってスケッチの残存に差があることだ。ベートーヴェンはスケッチが残っている側の筆頭格だ。そしてブラームスはスケッチが残っていない側の親分である。ベートーヴェンは無意識だと思うが、ブラームスは確信犯だ。この手の作曲の過程を遺さないことを肝に銘じていた節がある。

ブラームスの生きた時代は、いわゆる音楽学が学問として確立した時代だ。ブラームスは時代を代表する研究者たちと親しく交わった。作曲家が後世の研究者からどのように研究されるかを実感として感じ得る立場だった。それでいて自ら後世の研究者たちに手がかりを遺さぬことを是と判断したのだ。スケッチをしなかったのではなく、遺さなかったのだ。ブラームスの処分は完璧だ。

スケッチなら私だってやっている。

ブログのネタを思いついたとき、とっさに手帳に書き残す。移動の途中が一番多い。長文を残せないから、キーワードだけを手帳に書いておく。帰宅してから楽譜を開き、曲を聴き、書物をあたって裏付けを取る。さらに記事にしたあともエクセルで管理をしている。記事本文から見ればこのエクセルデータもスケッチと位置づけ得る。

ブラームスのスケッチ帳が発見されればセンセーションだが、私のスケッチではバイブレーションにもなるまい。

2016年12月 1日 (木)

不適合品の廃棄

ISO9001通称「品質ISO」は、品質管理システムの国際規格だ。厳密な定義は手に余るが、「顧客満足」「トレーサビリティ」が主たる柱と目される。平たく言うとお客様に変な商品をお届けしないことが主眼だ。自らの支配下にある倉庫から、不適合品を外部に出荷しないことに心が砕かれる。「不適合品の判定」「不適合品の別管理」「不適合品の廃棄」が事細かに手順化される。

この「出荷」を「出版」と読み替えることはとても興味深い。仮に作曲を終えても自らの手許に楽譜を留め置く限り、作品は世間に認知されない。出版という手続きを経て初めて、自作を世に問う形式が整うことになる。万が一ろくでもない作品を出版してしまったら、いわゆる「顧客満足度」が下がることになる一方で、出版さえしなければ加筆修正が思いのままという訳だ。ヴァイオリンの魔神パガニーニは、自らの作曲したヴァイオリン協奏曲の楽譜を出版しなかったという。曲に盛られた演奏のテクが漏れるのを防ぐ意図は明白だ。録音録画の無かった時代においては、出版さえ差し止めればある程度の機密保持は出来たものと思われる。出版こそが作品を世に問う行為であったと推定出来る。

ブラームスが「出版によって世に出た作品が全てである」という命題を肝に銘じていたことは想像に難くない。だからブラームスは、作品の完全性を突き詰めた。出版結果によって作曲家が評価されることを潔く受け入れ、逆にそれ以外の発信を封印した。極端な話、出版さえされなければ無かったも同然なのだ。出す以上は「優」が欲しいのだ。「可」の作品を後世に残すくらいなら単位を落とす方がましだとブラームスは考えているに相違ない。

だからこそ運命の分かれ目とも言うべき出版について、可否判断の手順が高い水準で確立されていた。本人がまれに見る完全主義者だったことに加え、クララ・シューマンが出版前に楽譜に目を通し第三者として意見していた。当代最高のピアニストにしてロベルト・シューマンの妻による承認がシステムとして確立していたことになる。さらにヨアヒムやビューローを筆頭とする演奏家や、音楽的素養の高いアマチュアも必要に応じてブラームスをサポートした。ブラームスが作曲家として確固たる地位を獲得して後は、ブラームスを囲むこうした体制で、相応しくない作品、つまり不適合品の廃棄が体系的に行われていたと解したい。

作品の「はずれの無さ」「打率の高さ」は、こうした体制の賜物であると思われる。

2016年11月28日 (月)

廃棄の自主基準

やりとりされた手紙の内容や、友人知人の証言から、ブラームスが10代の頃から作曲を始めていたことが確実視されている。交響曲、ヴァイオリンソナタ、弦楽四重奏曲において、現在第1番として流布する作品以前に、少なくとも一曲以上作曲されていたこともよく知られている。

ところが、実際に作品を見ると10代の頃作曲した作品はほぼ残されていないと断言出来る。伝記では大抵「厳しい自己批判の結果廃棄された」と書かれていることが多い。10代の頃作曲したそばから廃棄していたこともあるだろうし、シューマン夫妻やヨアヒムとの交流後に知り得た知見に照らして、廃棄を決断したこともあるだろう。そこにブラームス独特の自主基準が存在したことは疑うことが出来ない。

廃棄を免れた作品と廃棄された作品の間に、決定的な違いがあるに決まっている。

現在我々の目の前にある作品は、そうした自主基準に照らして合格判定の出された結果で横たわっていることになる。その自主基準とはいかなるものだったのだろうか?基準に満たぬ作品は容赦無く廃棄されたという自主基準を見てみたいと言うのが愛好家の本音に違いない。恐らく明文化などされてはおるまい。ブラームス自身の本能の命じるままなのだろう。楽想をひねり出すブラームスと、その結果を冷静に吟味し、非情な判断をも示してみせるもう一人のブラームスがいたことになる。

何よりも素晴らしいことは、そこで下された判断が限りなく的確だということだ。使用された自主基準も的確なら、それに照らして下された可否判断も的確だったことに他ならない。残されているブラームスの諸作品が獲得している高い評価がそれを裏付けている。

とはいえ自主基準を満たすことが出来ずに廃棄された作品の中に、素晴らしい作品が無かったとは断言できない。ブラームス個人としては不満でも、我々愛好家を驚喜させる作品が存在した可能性は、少なからず残っていよう。もったいないことだ。「無様な作品をけして残すまい」というブラームス独特のプライドに心から賛同するものの、もったいないという気持ちが無いと言ったらウソになる。

2016年6月19日 (日)

色彩豊か

作品や演奏を言葉で表現する際、「色彩豊かな」と形容されるケースがある。作曲家もしばしば「色彩豊か」と形容される。

いわゆる「音色」が多彩であることを指していると思われる。「のだめ」こと野田恵のピアノもこういって評価されたことがある。演奏する作品あるいは場面によってピアノの色合いを自在に変えられるというニュアンスだ。ピアノにおいてはタッチとペダリングが全てではないかと思われる。ヴァイオリンだってボウイングとヴィブラートが全てに違いない。見た感じも若干は影響していると思う。名人になればなるほどこれらの順列組み合わせを駆使して、聴き手に「無限ではないか」と思わせることが出来る。室内楽、管弦楽という具合に楽器の数が増えれば、この順列組み合わせは天文学的数値に達する。これを作品や演奏に活かす能力を指して「色彩豊か」と呼んでいるハズである。

演奏において使用可能な音色の数は多い方がいい。必要とするときに必要な数を使えるのがよいのだ。絵の具をいっぱい持っているからといって、無駄に使うのは感心しない。

あるいは演奏が上手で色数が多くても、元の作品が色数に乏しいと宝の持ち腐れになる。たとえばラベル、ドビュッシー、ショパンはそういう意味での色数が多いと思われる。管弦楽ではベルリオーズ、Rシュトラウスあたりも入って来よう。気のせいかもしれないが、ドイツ系の作曲家はあまり思い浮かばない。

パレットの上の絵の具の種類が多いとでもいうのだろう。湧き上がる楽想次第で、いかようにも変幻自在に着色して見せる。これらの作曲家の作品を、これまた色彩感溢れる演奏家が演奏すると良い演奏になる確率が高まると思われる。バッハやモーツアルトは、少しニュアンスが違う。いかようにでも染められるという意味で、彼ら自身は「白」「無垢」と表現されることが多い気がする。

さてさてブラームスは「独特の」と表現されることはあっても「色彩豊か」という形容には滅多にお目にかかれない。世間様から「色彩豊か」とはお世辞にも思われていない。音楽を色彩にたとえるのは難しいと知りつつ、私が考えるブラームスの特質を以下に列挙したい。

  1. 原色を使用することは希である。限定された場所で効果的に使われる。
  2. 好む色が暗色系に偏る。
  3. 総数としての色数は多くないが、微妙な色合いの違いを繊細に表現している。
  4. 何色も混ぜた微妙な中間色を多用する。たとえばこげ茶を5種類使い分けたり、グレーが5種類、紺が5種類という感じ。

2016年1月 5日 (火)

晩年の創作

誰にも晩年は訪れる。本人が「晩年」と自覚しているかどうかは別にして、後世に生きる我々愛好家は作曲家の没年を知っているから、作品名を見ればそれが晩年の作品かどうかわかる。

モーツアルト、シューベルト、シューマンなど死が早く訪れた作曲家は、死期を悟った作品を残しにくい。後世の愛好家はいかようにもこじつけるが、当人の自覚は薄かろう。

ベートーヴェンは、本人が意識していたかどうか不明ながら、人間離れした作品が出現する。14番嬰ハ短調の弦楽四重奏曲や、大フーガで名高い変ロ長調13番の弦楽四重奏曲だ。あるいはイ短調の15番も加えていかもしれない。常人の理解を超えてしまっている。ピアノソナタの30番31番32番あたりも同様で、ある種の狂気を感じる。お叱りを覚悟で付け加えるならば、第九交響曲にもその萌芽を感じてしまっている。そしてバッハには「フーガの技法」がある。「音楽の捧げ物」や「ロ短調ミサ」など集大成を狙った巨人のような作品もその仲間だ。

バッハ、ベートーヴェンとともに3大Bに数えられるブラームスの晩年は、少し勝手が違う。伝記を読めば分かるとおり、弦楽五重曲第2番を仕上げた後、ブラームスははっきりと創作力の衰えを自覚し、クララの死以降は自らの死期まで悟ったと思われる。

一連のクラリネット入り室内楽、ピアノ小品、4つの厳粛な歌、オルガンのためのコラール前奏曲といったラインアップを見ると、響きや表現の簡素化を指向する傾向こそあれ、そこには狂気と名付けたくなる要素は少ない。そしてさらに死の3年前には「49のドイツ民謡集」が刊行される。枯淡の境地とはこういものなのだろうと思えてくる。特別なことは何もないシンプルさがかえって心に響く。そこではバッハやベートーヴェンの晩年の作品に感じてしまう近寄り難さを感じることは少ない。

個々の作品の優劣を断じようという意図は全く無いが、私がブラームスのことを深く愛する原因の一つであることは疑えない。

2016年1月 4日 (月)

創作力の衰え

1890年11月11日ウィーンにおいて弦楽五重奏曲第2番ト長調op111が初演された。op111の初演が11月11日とは芸が細かい。

出来映えはいつも通りの素晴らしさだったが、本人は創作力の衰えを感じて、今後大作の創作をやめ、過去の作品の整理に没頭しようと思いつめる。この決定はやがて翻意されるが当時は真剣だったと見える。

ドヴォルザークにおいては、弦楽四重奏曲第13番変イ長調をもって、いわゆるブラームス型の絶対音楽の創作を打ち切る。これ以降創作の軸足はオペラに移るが、傑作を生み出せぬまま8年を過ごしてこの世を去る。ドヴォルザークの伝記の中でさえ、この時期を評して「創作力の衰えが伺える」とする論調も多い。

私のような素人には伺い得ぬ感覚があるのだと思う。作曲家は創作力の衰えを自覚するものなのだろうか。

その疑問に迫るための実験を思いついた。

今私はブログ「ブラームスの辞書」のための記事を溢れるように思いつく。無論ブラームスやドヴォルザークほどの普遍性は持ち合わせていないが、私自身はそう感じている。小さな波はあるが、記事の着想が途絶えることがない。この先この状態がいつまで続くのか自分で自分を見守りたい。

衰えの兆候は、記事の質に現われるのか、単位時間当たりの着想量に現われるのか、そしてそれがいつなのか自分で見極めたい。難しいのは質だ。量の衰えと時期は明確に自覚できるが、質は難しい。あるいは質の劣化に気付かなくなる感性の衰えは客観的な測定が難しかろう。

読者に指摘されて気付くか、ブログのアクセス減として思い知らされることもあろう。その最初の兆候に気付くのが自分であって欲しいと心から思う。

2015年12月17日 (木)

第2主題の狙い撃ち

ピアノ三重奏曲第1番ロ長調op8は、1854年の初版に続いて1891年には改訂版が出ている。ブラームス本人による改訂だ。この改訂ではスケルツォ第2楽章はほぼ無傷で保存されたが、その他はかなり大きく手が加えられた。初版におけるおのおのの楽章の第2主題は下記の通りだ。

  • 初版第1楽章82小節目
  • 初版第3楽章33小節目
  • 初版第4楽章104小節目

不思議なことにこれら全ては改訂版で別の旋律に差し替えられている。第1主題は全て保存されているから、第2主題の全滅はひときわ目立つ。第一主題は大抵楽章冒頭の旋律になっているから、こちらを差し替えるとなると、全く別の作品になりかねない。第1主題を軒並み温存することで、作品の枠組みだけは残しながら一方で第2主題を全て差し替えるというのは、かなり大胆だ。完全に新しい作品を作る方が楽かもしれない。出来上がった改訂版が、継ぎ目だらけの欠陥品になっていない奇跡を思い遣るべきだろう。

こう考えると第2楽章スケルツォがほぼ無傷で残ったのというのは大変なことだ。

さて、18番目の室内楽ピアノ三重奏曲第3番op101への言及を終えた直後に、ピアノ三重奏曲第1番op8の記事が出現するとは、何事ぞと思われるかもしれないので補足する。

ピアノ三重奏曲第1番はブラームス最初の室内楽なのだが、本人の手によって改訂されている。そのタイミングがピアノ三重奏曲第3番の後、ヴァイオリンソナタ第3番の前になっている。だから改訂版についてのネタは、このタイミングでと狙っていた。ささやかなこだわりだ。

2015年10月31日 (土)

標題考

19世紀欧州の音楽シーンを象徴する概念に「絶対音楽」「標題音楽」がある。この2つの概念は相反する概念で、当時の音楽業界を2分した論争があったとされている。

この2つの概念の定義など私の手には余るが、愛するブラームスが前者「絶対音楽」陣営の重鎮だったことだけはいつも心に留めている。絶対音楽などと言うとものものしいが、超平たく申せば「標題音楽」じゃあない音楽だ。つまりブラームスは標題音楽ではない作品を発表し続けた作曲家だったと位置づけられている。大まかな話である。

「標題音楽」とは「標題」を伴う音楽だ。となるとsymphnie(交響曲)konzerto(協奏曲)intermezzo(間奏曲)は標題には当たらないという結論にたどり着く。これらの表現はブラームス作品の根幹だからだ。楽曲の曲種、ジャンル名はここでいう「標題」には当たらないということなのだ。曲種名、ジャンル名とは別に作品に付与された詞書きが「標題」と呼ばれていると解さざるを得ない。「田園」のような単語とは限らない。文章であることもしばしばだ。

また、作曲家本人の関知しないところで誰かが勝手にニックネームを奉ってしまったケースもここでいう「標題」には当たらない。1番を「第10」、2番を「ブラームスの田園」、3番を「ブラームスのエロイカ」と呼ぶケースもあるが、ブラームスの交響曲は標題音楽とは考えられていない。

一方、ブラームスの創作の一つの柱を形成する歌曲にはしばしばタイトルが付いている。しかしそれらが標題音楽と見なされることはない。テキストが元々タイトルを持っていて、ブラームスはただ付曲しただけの位置づけだからだ。

上記を総合すると、標題とは「作曲家本人が自らの作品に対して付与する詞書き」と解されよう。その目的は「作品の理解や普及を助けるため」と目される。ブラームスの生きた時代にはその意味の「標題音楽」がかなり栄えていた。ブラームスの若い頃の作品には一歩間違えれば「標題音楽」に走りかねない気配も散見される。どっちに転ぶ目もあったのに「絶対音楽」を選んだのがブラームスなのだ。

ブラームスは自分が言いたいことは音楽だけで完結することを美徳としていた節がある。タイトルや詞書きの助けを借りねば言いたいことを表現出来ないのは作曲技術の未熟とさえ考えていた可能性を想定したい。形式、楽器編成、和声構造等のあらゆる種類の制約の中で、自らの音楽的主張を盛り込みきってこその作曲であると考えていたのではあるまいか。無論そうした技術・作曲技法は、芸術と継ぎ目無く融合していなければ話にならぬのは、不可避の前提であった。

ブラームスは特に器楽作品において標題を伴わぬ作品を連発した。しかしながらブラームスは自らの音楽を「絶対音楽」と考えていたとは必ずしも断言できない。標題を付与せぬ姿勢が一貫していることすなわち「絶対音楽」という短絡は実は何だか危ない気がする。ブラームスはそんなものには興味がなかった可能性も低くないと思う。

つまり、ヴァイオリンソナタ第一番を、人々が「雨の歌」と呼よんだところで、それは人々の都合でしかない。

2012年12月 9日 (日)

前衛

クラウゼヴィッツの「戦争論」を調べたくて探していたら、よい本に出会った。PHP研究所刊行、兵頭二十八訳の「戦争論」だ。950円という価格が魅力的なのだが、それ以上に内容がすばらしい。とかく難解な「戦争論」が平易に読み下されている。ときおり挿入されるコラムが充実していて、不足しがちな周辺知識を効率的に補える。訳文本文とコラムの字体が変わっているのも親切だ。

内容に深入りするとブラームスにも音楽にも関係がない話になってしまうが、一部を紹介する。

数万の軍に長距離移動を強いる場合、司令官の視界が限られているから、本隊がいきなり奇襲を受けないように、小部隊を本隊の前に先行させるべきと説く。行軍1日分の距離を先行させろというのだ。本隊のいわば触覚代わりに先行させる小隊を「前衛」と呼ぶらしい。フランス語で「アヴァンギャルド」と言われてみて納得した。

「戦争論」全体に音楽の要素なんぞ皆無なのだが、「アヴァンギャルド」には心当たりがある。「前衛音楽」だ。本来の軍事用語上の意味に照らせば「その時代の音楽と一線を画しつつも、未来の音楽を先取りしている音楽」くらいの意味合いかと合点した。「その時代の音楽と一線を画すこと」と「未来の音楽を先取りしていること」の両立が必須だ。なるほどそうすれば本隊に先行する前衛のイメージにピタリと重なる。

しかし音楽において現実は厳しい。その時代の音楽と一線を画することはともかく、未来の音楽の先取りが難しい。行軍の場合は、目的地が明らかだから、本隊は前衛の後ろをついて行くが、音楽の場合は本人の自覚は「前衛」のつもりでも、誰も追随しなければ単なる「異端」になってしまう。音楽の行く末を正確に予見するのは困難だ。気のせいか、音楽における「前衛」は、現代の音楽と一線を画することだけで成立し、未来の先取りまでは求められていない気もする。

ブラームスの言葉を思い出す。「未来の音楽に興味は無い」「未来に残る音楽を書きたい」

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フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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