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2025年7月21日 (月)

ピアノ書法

思うだに難解。

ピアノ作品におけるピアノの取り扱いを言うと感じている。浮かんだ楽想と、楽器の機能・性質・音色のマッチングのさせ方かもしれない。作曲家の個性がパラレルに反映するから「ショパンのピアノ書法」「モーツアルトのピアノ書法」という言い回しも頻繁に見かける。

例によって音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻120ページをご覧頂きたい。ホイベルガーとの会話の中に興味深い話がある。

親しい知人の特権だろうか、ホイベルガーはブラームスのピアノ作品について鋭い突っ込みを入れる。ブラームスのピアノ作品が世間様ではしばしば「ピアニスティックではない」と言われていると水を向ける。

ブラームスは怒るでもなく「知っているよ」と答える。「でもピアノでちゃんと演奏出来るように気を配っているんだ」と続ける。

禅問答とはこのことだ。ピアノで演奏不能なところが無いよう気を配っていても「ピアニスティックではない」と言われてしまうことを当然と受け止めていると見た。

そしてブラームスはこのあと面白いことを口にする。「シューマンの作品はピアノでは演奏不能に見えるところもある」「その方が幻想的で素敵だけれど」と続けるのだ。ピアノで演奏不能な箇所があることを半ば肯定している感じである。そのほうがかえってピアニスティックであるかのようなニュアンスだ。

具体的に作品名を挙げていない上に私自身にシューマンのピアノ作品の知見が無いこととで、これ以上議論を深められないのが残念だ。けれどもピアノ書法に関するブラームスとシューマンの個性をうまく言い表しているのかもしれないと感じる。

 

 

 

 

2025年7月10日 (木)

Andante non troppo

ブラームスは速過ぎを恐れる傾向があると記事「速過ぎを恐れる」で書いた。特にアレグロが速過ぎることを恐れていたと思われる。物事が過剰であることを戒める「non troppo」は主に「allegro」を修飾する。

本日のお題「Andante non troppo」は、その意味では異例である。「Andante」を構成する何らかの要素が極端にならぬようにという警告の意図があるとひとまず考えておく。「Andante」を「歩くような速さで」と解する立場から解釈するとたちまち行き詰まる。「Andante」には古来より、「速いのか遅いのか判らぬ」という側面が付いて回る。用いた作曲家によって意味合いが代わるのだ。ブラームスにおいては「遅い側」の用語なので、「non troppo」で修飾されれば「過剰に遅くなるな」の意味と推測出来る。

生涯で唯一度の「Andante non troppo」はインテルメッツォop117-2に出現する。作品117は3つのインテルメッツォからなる珠玉の小品集だ。3曲の冒頭における発想記号は以下の通りだ。

  • 1番変ホ長調 Andante moderato
  • 2番変ロ短調 Andante non troppo e con molto espressione
  • 3番嬰ハ短調 Andante con moto

見ての通り、3曲全て「Andante」ベースになっている。速いのか遅いのかちっとも判らぬというのはブラームス節の一つである。ブラームスにあっては「遅め系」の用語である「Andante」を敷き詰めておきながら、それらを修飾する用語の使い方を見ると「遅め一辺倒」にはなっていないのだ。

中でも本日話題の2番は「Andante」系の用語としては異例なのである。「Andante」が「過剰であること」を恐れるというのは、直観としては理解しにくい。

フラットてんこ盛の調で歌われる旋律は、16分音符羅列の繊細さとともに、チャーミングな旋律の存在も浮かび上がらせねばならない。旋律自体は「Andante」でよいのだが、それにまとわりつく16分音符の流れを感じさせねばならないことを考えると、停滞はご法度だ。その微妙さが「Andante non troppo」の意味だと考えている。

「Andante non troppo」を異例だと感じるところから全てが始まると思う。

2025年7月 5日 (土)

深謀遠慮

物事への考えが深いこと。おそらくこれに加えていくつか条件がある。先が見通せるという意味を濃厚に含む。その結果に基づきタイムリーに適切な手が打てていることが予見される。考えることに時間がかかり過ぎないことも必須だろう。多分に良い意味だ。

シューマンの知己を得て世の中に広く認められる前、ブラームスはレーメニーというヴァイオリニストと組んで欧州を演奏旅行していた。ブラームスの伝記であればほぼ漏らされていることのないメジャーな話だ。レーメニーはハンガリー系のヴァイオリニストで、情熱的な芸風だったという。ハンガリー民謡をレパートリーにしていた。伴奏者として同行していたブラームスは、このときにハンガリーの語法を吸収したと思われる。

1869年ブラームスは、ピアノ連弾用の「ハンガリア舞曲」を発表する。これが楽譜の売れ行きという面で大ブレークとなった。言わば「欧州の紙価を高めた」という状況が生まれた。前年1868年に初演されたドイツレクイエムの成功とともに、作曲家ブラームスの地位を飛躍的に向上させた出来事といってよい。

こうなってしまうとレーメニーはブラームス無名時代のパートナーということになるのだが、大ヒット作ハンガリア舞曲には自分の教えてやった旋律が含まれることを理由に著作権侵害というクレームを付けた。ついには訴訟沙汰にまで発展するが、結果としてはレーメニーの訴えは退けられることになる。理由は以下の通りだ。

  1. ハンガリア舞曲の元になった旋律の作曲者が特定不可能だから著作権を設定出来ない。
  2. ハンガリア舞曲の出版にあたってブラームス作曲とされずにブラームス編曲となっている。
  3. ハンガリア舞曲にはブラームスの作品番号が付与されていない。

大抵の伝記では「レーメニーのねたみ」を原因に挙げている。関係者間のレーメニー評も添えられていることとも多い。ブラームスの伝記の中だから争いの当事者レーメニーの評価が芳しくないことについては、100%信用は出来まい。

そんなことより、ハンガリア舞曲の出版にあたって、作品番号も付けずに編曲扱いとしたブラームスの姿勢を喜びたい。裁判沙汰の発生を予見したとまでは言えなかろうが、民謡に対する姿勢に一貫性が見て取れる。自作と採譜を厳密に区別するストイックさを味わいたい。どんなに魅力的な旋律でも「おいらの作曲じゃあないよ」と宣言する潔さは、彼の作品に充満するストイックさと呼応してはいまいか。

2025年7月 4日 (金)

左手の親指

ブラームスのピアノ演奏を知る人々の証言、あるいは「51のピアノ練習曲」の傾向から、ブラームスのピアノ演奏法の独特な癖を類推することが出来る。

まず言われているのが、左手の重要性だ。多くの人にとって利き腕ではない左手を自在に繰ることが、練習の目的になっていることが多い。申すまでもなく、左手は低い音域を担う。自作のベースラインを曖昧に演奏しようものなら烈火の如く怒ったというエピソードや、「僕はこれしか見ていない」といってピアノの右手のパートを隠した話など、ブラームスの低音域偏愛の証拠は多い。

次に認められるのは、親指の役割期待の特殊性だ。親指への黒鍵使用や親指が小指をまたぐような指使いなどなど、通常のカリキュラムでは考えられないアイデアが「51のピアノ練習曲」には数多く盛り込まれている。

本日のお題「左手の親指」は、上記の2系統の話の交点である。ブラームスは自らの左手の親指を「テノール旋律用の指」だと自慢していたエピソードもある。

右手にしろ左手にしろ、腕を交差させない限り親指は、中音域を担当領域にする指である。つまり親指の活躍する音域はヴィオラの音域とかぶっているということだ。ピアノのフィンガリングには全く疎いが、この話はブラームス自身のヴィオラ好きの嗜好とも関係があると勝手に思っている。ピアノ演奏における左手の親指の音域的な位置付けは、弦楽四重奏におけるヴィオラのそれに対応していると思う立場。

2024年8月16日 (金)

バッハの子守歌

昨日の記事で、ブラームス先生とファーバー先生が子守歌を歌う趣向を組み込んだ。こまったのがバッハだ。「バッハの子守歌」なるものはないからだ。

主旨は違うが無理やりBWV82の第3曲を持ち出した。「眠れ疲れた眼よ」といきなり「Schlummert」とあるが子供を寝かしつける意図はない。でもまあ「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」にも入っているし、うまくいけば子供も寝るだろうという希望的観測だ。

いやむしろ、誰かを眠らせるという意味ならゴールドベルク変奏曲の方が効き目はあるかもしれんと、歌の出番がないことは承知で組み入れた。

歌の無い子守歌という趣向でいいならバッハには候補曲が少なくない。チェンバロ協奏曲BWV1056の第二楽章や、ブランデンブルク協奏曲第6番の第二楽章など、すぐにいくつか思いつく。コンチェルトの緩徐楽章など、遅い楽章が長調の場合、どれでも子供が寝そうだ。

2023年10月22日 (日)

Quasi Fantasia

ピアノ協奏曲第1番の第3楽章376小節目に唯一存在する。事実上カデンツァの弾き方を規定する意図があることは明白だ。「Fantasia」は幻想曲という意味だから、「quasi 意訳委員会」の裁定に従えば「幻想曲っぽく」という意味となる。

「Quasi~」という言い回しをする以上「~」に相当する単語について、自分自身の中に確固たるイメージが確立していることが大前提だ。さらにはそのイメージが世間一般の認識と大きくかけ離れていない方が望ましい。

しかししかし、これは意外と厄介だ。

ブラームス自身は「Fantasia」つまり「幻想曲」というタイトルの作品を残していない。晩年のピアノ小品の中、op116が「7つの幻想曲」と題されているに過ぎない。4つのインテルメッツォと3つのカプリチオの集合体に「幻想曲」とタイトリングしているが、単独曲が幻想曲とされている例がない。

ピアノ協奏曲の作曲段階で晩年のピアノ小品のことが念頭にあったハズがないから、解釈の参考にはならない。ピアノ協奏曲第1番作曲時点での「Fantasia」のイメージが反映しているに違いないのだが、簡単に尻尾をつかめない。それがまた幻想的なのだと思う。

2023年10月15日 (日)

Presto energico

「速く力強く」と解される。辞書的な解釈としては、あるいは試験での模範解答としてはこれでいいのだと思うが、何だか味わいが無さ過ぎる。

 

「energico」のキャラは特徴がある。ブラームスはトップ系において生涯で8回使用している。ダイナミクスは「f」または「ff」に限られている。8例中7例が短調だ。弦楽五重奏曲第1番の第3楽章にのみ長調の用例がある。また「energico」単独での用例は存在せず、必ず何か別の用語との併用になっている。パガニーニの主題による変奏曲第2巻157小節目第10変奏が「Feroce,energico」になっている以外は「allegro」または「presto」との併用に限られている。「速め系の短調が強く走り出す」ことに特化していると考えていい。「appassionato」よりは響きが厚い印象だ。

 

「Presto energico」はそういう流れの中で捉えられるべきだと思う。作品116-1のニ短調の「カプリチオ」に一回だけ出現する。「短調、f」の枠組みはキチンと守られている。ブラームスにおいては「presto」は制御の対象であり、しばしば意味を弱める抑制系を伴うが、本例はどちらかというとテンポを煽る意味合いが込められている。

 

このカプリチオはブラームスの一連のピアノ小品の中では、難曲の部類だ。演奏者のリズム感が絶え間なく試される。アクセントの位置が小節の頭と一致しない。いっそ小節線が8分音符一個分前にズレていたらいいと思う。拍節のズレが延々と続くストレスと、たまに訪れるズレの回復の快感が本質なのではとさえ思わせるものがある。

 

そうした緊張は、テンポが速くてこそ味わえるということが、この「Presto energico」にはこめられている。

 

 

2023年8月 4日 (金)

タイトル無し

ハイドンの多楽章器楽ソナタに限定する。交響曲、弦楽四重奏曲、ピアノ三重奏曲、ピアノソナタで全部で280曲ある。

この中で標題付きの作品がいくつかある。交響曲で30曲、弦楽四重奏曲で14曲あるけれど、ピアノ三重奏曲とピアノソナタには見当たらない。

交響曲にしろ弦楽四重奏にしろハイドン自身の命名はない。愛好家が生前または後世になって付与したということだ。数が多いための判別が主な目的で、言い得て妙はあっても。必ずしも曲の本質を表してはいない。そこがロマン派の標題音楽とは違うところだ。ベートーヴェンでさえ現在流布する標題には本人の関与しないものが多く混じる。

作品の優劣とは関係ないが、後世の聴衆への流布という点で差がつく。私だってとっかかりには「標題付き」を選んだ。作曲あるいは初演時のエピソードが標題に反映していることもある。挙句の果てにCDには「標題付き作品全集」なるものも出る始末だ。

判官びいきとでもいうのか、こうなると標題の付与されないジャンルを大切にしたくなる。

2023年7月24日 (月)

オルベルツ一択

音源を押さえるには全集が効果的と申したばかりだ。それっとばかりにピアノソナタをあたる。全32曲のベートーヴェンのピアノソナタには、数え切れないくらいの選択肢があるけれど、ハイドンはスカスカだ。曲数が52もあるせいだけとも思えない。

手に入れたのはワルター・オルベルツだ。カール・ズスケと組んだベートーヴェンのヴァイオリンソナタで感心させられたばかりだった。単に上手なだけではなくピアノ自体がいい感じ。

とりあえずの音源確保のつもりだったが大満足。ドライブや在宅のおともに最適。彼のテクなのかピアノのせいか聴き分けられずにいるが、とてもなじむ。アレグロがモーツアルトと別の意味ながら流れる。時折ある短調のきらめき。フィナーレの散見されるプレストには気品と切れが両立する。

2023年3月13日 (月)

クララのレパートリー2

昨日クララ・シューマンのレパートリーの中のピアノ協奏曲を調べたところだ。生涯で最低1回はコンサートで弾いた曲という定義だ。ついでに独奏曲もと思ったが、なかなか資料がない。かろうじてベートーヴェンのピアノソナタだけはリストが見つかった。

  1. 3番変ホ長調
  2. 8番ハ短調「悲愴」
  3. 13番変ホ長調
  4. 14番嬰ハ短調「月光」
  5. 15番ニ長調「田園」
  6. 17番ニ短調「テンペスト」
  7. 21番ハ長調「ワルトシュタイン」
  8. 22番ヘ長調
  9. 23番ヘ短調「熱情」
  10. 26番変ホ長調「告別」
  11. 29番変ロ長調「ハンマークラヴィーア」
  12. 30番ホ長調
  13. 31番変イ長調

以上だ。32曲から13曲が抽出されている。過半数に満たないが手堅く要所を押さえてある感じ。強いて申せば16番と18番「狩」も欲しかったところだが、悲愴とテンペストとワルトシュタインがあって満足。公開の席上での演奏記録だけなので、身内の集まりでは他の曲も弾いていたかもしれない。短調優勢だった協奏曲と違ってこちらは長調優勢だ。

そうそう、当時クララはベートーヴェンの演奏と解釈の第一人者だった。

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