本日この記事をもって「第二歌曲特集」をお開きとする。この7か月本当にお世話になったフィッシャーディースカウ先生の著書「シューベルトの歌曲をたどって」を今一度引用する。
先生はブラームスがシューベルトを終生変わらず、しかも理解に満ちて崇拝していたと評する。そして極めつけの瞬間が458ページにやってくる。「シューベルトの歌曲において、何かを学び取れない作品は一つもない」と言ったブラームスの言葉を引きながら、「こう言ったこと自体がブラームス本人の名誉になっている」と断言しておられる。
このブラームスの言葉は弟子のグスタフ・イエンナーがブラームスから作曲を学んだ時の記憶として証言しているもの同じ系統にある。当時のウイーンでのシューベルトの扱われ方まで微妙に反映しているとにらんでいる。つまりブラームスの周りにシューベルトを評価しないか悪く言う人がいたり、そうしたネガティブは評価がブラームスの耳にも弟子の耳に届いていたことの反映だろう。「シューベルト舐めてんじゃないですよ」のニュアンスを含むと思っている。こうした背景をよく噛みしめて今一度フィッシャーディースカウ先生の言葉を見直すといい。
「シューベルトの歌曲において、何かを学び取れない作品は一つもない」と、評したことそれ自体がブラームス自身の名誉である。
含蓄がある。深い。泣きたい。
弟子にも自分にも世間にもシューベルトを擁護を言い聞かせるブラームスだが、そのこと自体が発言者ブラームスの見識の深さと懐の深さの証拠になっているとは。それをバッサリと断言するフィッシャーディースカウ先生の言葉を紹介してお開きの挨拶といたします。
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